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137.電脳切手

2004.9.28
【連載小説137/260】

例えばの話。

着信したメールをクリックすると、最初にタイトルや差出人の名前ではなく、ひとつの画像が画面に立ち上がる。

モバイル端末の小さな画面なら、枠内にちょうど納まる2センチ四方のデザイン。

四角く切り取られたデザインは、その周囲が丸く波打っているから一目して切手だとわかる。
いや、正確にいうと切手をイメージしたデザイン画像だ。

そしてこの“切手もどき”は、紙というリアルな実在を持たず、ネットワークを通じて個々の手元に飛びこんでくるヴァーチャルな電脳切手=eスタンプである。

このeスタンプの面白いところは、受け取った人が中身を読む前にカテゴリー分類できる記号性にある。

小さな絵の中に凝縮された図柄やメッセージと発行地及び年度を見れば、そこに添付される本文内容を推測できるという仕掛け。

そう、メールに画像が添付されるのではなく、画像にメールが添付されているという逆転の発想だ。

例えばついでに一例を示してみよう。

南海に浮かぶ島を背景に「BLUEISM」なるメッセージがデザインされたeスタンプが届く。
そこには2004年の西暦表記とトランスアイランドという実験国家名が小さく記入されている。

このeスタンプを受け取った人は、21世紀的エコロジーライフのキーワードともいえる「低成長&循環型社会」に関するヒントや具体的な計画に関する情報が届いたことに心ときめく。
もちろん、差出人は太平洋の遥か南、トランスアイランドに暮らす友である…
(トランスアイランドの楽園創造コンセプトである「BLUEISM」に関しては第44話

実はこの話、僕のフィクションではない。

あの“ふたり”が推進しているトランスアイランドの「ブランド創造」計画なのである。

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トランスアイランドの広報エージェントであるハルコと、彼女の有力なブレーンとなった日本のエディター香山波瑠子。

このふたりのharukoが、トランスアイランドの価値観を広く世界にアピールする戦略を共同企画していることについては以前にこの手記で紹介したが、その具体策が電脳切手プロジェクトだ。
第122話

20世紀末のインターネット登場に端を発する情報ネットワーク時代の到来が、人類史上もしくは産業史上における一大革命だとされる最たる要素がeメールの登場だといっていいだろう。

紙メディアと人的配送システムによってテキストの交換を成り立たせてきた郵便というコミュニケーション活動はeメールの登場によってその存在が脅かされることになった。

まずはその即時性。

送る相手との距離に比例して到達に時間を要した手紙に対して、eメールは瞬時にして世界の隅々にテキストが到達する。

次に同時分散性。

送る相手の数だけ送付物を準備しなければならなかった手紙に対して、eメールはボタンひとつで何千何万の人々に同一メッセージを届けることが可能だ。

最後がローコスト性。

電子ネットワークへのアクセスや機器の準備というイニシャルコストを別にすれば、eメールは限りなく無料に近いコストによるコミュニケーション活動を可能にした。

おそらく、テキストのやりとり件数のみを比較すれば、eメール対手紙の比率は100対1や1000対1どころではない格差になっているだろう。

もちろん、ここで僕はeメールの存在を否定するつもりはない。
即時性にしても、同時分散性にしても、ローコスト性にしても、それら自体は人類のコミュニケーション活動にとって有効有益なものであるから。

問題はそれらの利便性の背後で失われつつあるもの。
ひとことで言えば「情操性」だろう。

便箋と封筒を準備し、幾度かの書き損じを経て1通の手紙を完成させるまでの濃密な時間。

1対1の関係性のみをベースに、1通が1度きりの役割を担う手紙の心理部分における相対的重み。

低額とはいえ、貨幣から独立した交換価値をもって存在する切手という文化を付しての投函行為。

ボタンひとつで無尽蔵なる受発信が可能なeメールの「情報性」の高さは、一方で手紙文化に内在するこれらの「情緒性」部分を大きく削減してしまうおそれがある。

そこでeメールの世界に手紙時代の「情緒」を再現しようというのが、ふたりのharukoの狙いなのである。

メールに添えるヴァーチャルな切手をデザイン&システム化し、それを本文テキストの前に立たせることで、「想像」や「手さぐり感覚」の中に情緒の交換を成立させようというのである。

なんとも女性らしい、繊細な発想ではないだろうか?

既にふたりはトランスアイランドの2004年度eスタンプのデザインワークを進めているらしい。
冒頭紹介の「BLUEISM」タイプに2種が加わるそうだ。

トランスアイランドという島の価値を雄弁に物語る極小のブランドマーク。
そのデザインを見るだけで脳裏に青い海と空が浮かび、心に心地良い風が吹く知的マジック。

ネットワークの中にも「情操」は可能なのだ。

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さて、トランスアイランドのハルコは先週フィジーに旅立った。

ツバルからフィジーのスバに到着したTWCの航海に合流するためである。

7月7日にマーシャル諸島を出発した旅は4カ国目の訪問地を数えている。
そして、この国では少し長い2ヶ月の滞在が予定されている。
(TWCの航海を不定期に追う手記は第125話から)

長期滞在の大きな理由は、フィジーという国家がこれまでに訪問してきた3国家に対してかなり大きな国家であるが故にそこで行う作業が多々あるからだ。

また、この期間を利用してジャブロ号のメンテナンスが行われるのと同時に、2ヶ月半の航海で集められた珊瑚礁の実態データの分析とデータベース化作業が行われる。

さて、フィジーの国家解説は次回に譲るとして、今回はこの国が過去に発した重要なキーワードを紹介しておこう。

「PACIFIC WAY」
というのがそれで、1970年の同国独立直後に当時の首相が国連総会の演説に用いたものである。

「北」の西欧的合理主義に対して、調和と合意の下に緩やかな経済発展を目指そうとする「南」の流儀を強調したこの概念は、太平洋島嶼国家共有の価値観として21世紀の今も色褪せることなく継承されている。
(トランスアイランドの「BLUEISM」もまた、このキーワードの系譜上にあるといっていい)

仮にフィジーからeスタンプが発行されるとしたら、まずはこの「PACIFIC WAY」デザインのものが相応しいだろう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

「北」の西欧的合理主義に対して、調和と合意の下に緩やかな経済発展を目指そうとする「南」の流儀…

フィジーが掲げた国家スローガンの「北」をデジタルに、「南」をアナログに入れ替えて細部をさわってみます。

「デジタル」の人の顔が見えない合理主義に対して、調和と合意の下に個々が緩やかなコミュニケーションを目指そうとする「アナログ」の流儀…

そこに「e メール」と「手紙」という手段を無理なく位置付けることができます。

もちろん日々膨大な数をこなしているメールの多くはは1対1の個人宛なので、cc.で複数を対象とするビジネスメールとは違ったコミュニケーションなのですが、個人間のやりとりが転送ボタンひとつで他者に共有されることが可能であることからプライベート感が減少します。

では、なぜアナログの手紙には相手との濃密な関係性が存在するのか?
●ペンを手に取り紙の上にしたためる 
●それを畳んで封筒に入れる
●切手を貼って投函する
というプロセスを経て送られるがあるからでしょう。

その中でも僕は「切手」は魔法のツールだなと思います。
なぜなら相手との物理的な距離によって値段が変わるからです。

デジタル化以前の社会で遠くにいる友人とのコミュニケーションには手紙を使うしかなかったことに着目しましょう。

そのエージェントとして「切手」という小さなコンテンツが存在し、世界中を縦横無尽に飛び交っていたわけです。
/江藤誠晃

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