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138.比較の中に見る島

2004.10.5
【連載小説138/260】

フィジーを知るために、あれこれと数値を並べて比較してみる。

南西太平洋の中央部、メラネシアに位置するフィジーの正式国名はフィジー諸島共和国。

大小330の島から成る島嶼国家で総面積が18300平方km。
これは日本の四国とほぼ等しい大きさである。

前回、フィジーが他の太平洋国家と比べて大きい国だと記したが、面積181平方kmのマーシャル諸島共和国の約100倍。
もっと小さいナウルと比べれば900倍近くになる。

他所とも比較してみよう。

シンガポールの面積は685平方kmだから約26倍。
ハワイのマウイ島なら1884平方kmだから約10倍。

逆に少し大きな国家と比較してみよう。

面積約10万平方kmの韓国の1/5弱。
カンボジア王国は181000平方kmだから、ちょうど1/10。

次に人口を比較してみよう。

フィジーの総人口は約80万人強で、マーシャルの約15倍、ナウル約550倍。
また、この数はハワイ州全体の70%強が集まるオアフ島の人口とほぼ同数である。

人口300万人口強のシンガポールとの比較では大小が逆転し約1/4。
四国4県の人口が400万人強だから約1/5。
ちょうど10倍の人口国家を探せばドイツの825万人といったところ…

さて、フィジーという国家は大きいのか?小さいのか?

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僕はフィジーへ行ったことがない。

だから、この国を知ろうと懸命に机上の作業を重ねているのだが、客観的な数値による国家比較というのは、最初のアプローチとして有効である。

国や島を取材して巡るのが僕の仕事だが、常に旅立つ前の基礎知識として集めるのが様々な数値データだ。

面積や人口はもちろんのこと、GDP・経済成長率・貿易収支・失業率等々、訪問する先の社会をイメージするためのデータは多いほうがいい。

その他にも指標は様々にあるが、フィジーという国家の特徴と大きさを示すものとして僕が注目した数値に以下のようなものがある。

●上院32議席、下院71議席の議会構成。

●2004年現在の兵力約3500名。

これらは国家としての独立性の高さを示す指標である。

●2002年の観光客受け入れ数、約40万人。

●ナンディ国際空港の年間利用者80万人弱。

これらはリゾート観光地としてのフィジーの国際的評価を示すものである。

近代国家的数値の高さを見れば、フィジーが「大きな」国家であることは容易に推測可能だ。

が、これらのデータをもってしても、フィジーという国家を知る上で僕は未だ入り口部分にしか立っていない。
何故なら、数値化された国家情報というものは、積み重ねられる歴史の断面にすぎないからだ。

そこで僕の作業は次なるステップへと進む。
そう、この国家の歴史を観察するのだ。

この知的作業はインターネットの登場によって大きく進化した。

以前なら限られた書物を求めて書店や図書館を巡ったり、専門家を訪ねて話を聞いたりしていた内容が、小さな島に暮らしていてもネットワークにアクセスするだけで瞬時に入手できるし、細かいキーワード検索を繰り返せばフィジー1国に関しても、百科事典に相当するほどの情報を集めることができるからだ。

TWCのフィジー滞在は2ヶ月と長い。
その間を利用して、ゆっくりとこの国の歴史へのアクセスを重ねて理解を深めていくことにしよう。

実は、TWCの旅を遠隔観察し、この手記で読者の「貴方」にあれこれ紹介している僕がこの3ヶ月間に集めた太平洋島嶼国家群の情報は膨大なものになっている。

ひとつの国家だけでも様々な情報を入手可能だが、海で結ばれたそれらの国々を次々と追いかけることで、そこに横断的情報が浮かび上がってくるからだ。

そして、クロスオーバーする情報は太平洋島嶼国家間だけにとどまらない。
西欧諸国による発見から侵略、植民地政策を経て独立に至る共通史にまで目を広げれば、連鎖する情報で世界が結ばれ、人類史が紡がれていくのだ。

机上の旅を重ねることで僕の地球はますます大きくなっていくだろうし、その中でフィジーという国家の輪郭が次第に明確になっていくだろう。

が、しかし…

そこまでの作業をもってしても、ひとつの国家という壮大な物語においては、そのプロローグ程度しか読破できていないことを僕は体験から知っている。

何故なら、それに続く本編は現地に足を踏み入れなければ読むこと叶わぬものからだ。

実際に足を運び、その地の空気を吸い、糧を食し、人と語らい、そこで眠り夢を見る…
土地を知るということは、何よりも身体で感じることである。

知識としてのフィジーや知識としての世界をどこまで極めても、そこを旅して初めて見える実像というものは全く別のものだ。

つまり、頭脳をもっての知識は肉体をもっての歩みを超えないのであり、ヴァーチャル体験はリアル体験の前で常に非力なのである。

幸いにも、航海を重ねるトモル君からは毎日のようにライブな報告がメールで届くし、当初ツバルからフィジーまでの合流予定だったハルコがフィジーからの参加となり、現地の模様を詳しくレポートしてくれることになっている。

今僕にできることは、近しい友たちのライブな体験を想像力でもって自身の中に取り込むことだ。

そうすることで、フィジーを心の岸辺のより近い場所へと引き寄せることができるだろうし、いつの日かフィジーを訪れる時のための最善の準備作業を重ねていることになるはずだからだ。

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フィジーは「南太平洋の十字路」と呼ばれている。

地理や交通の要素だけでなく、様々な民族と文化が交差する中にその歴史を重ねてきたからである。

そんなフィジーの太平洋地域における中心的役割を物語る2つの組織が首都のスバにある。

ひとつ目はPIF(太平洋諸島フォーラム)の事務局。

1971年に太平洋周辺諸国によって設立された国際機関で、政治・経済・安全保障など幅広い分野における共通課題を討議する場である。

2003年1月のソロモン諸島におけるサイクロン被害への支援活動や、その後治安の悪化した同国に対する平和維持軍への協力を巡ってPIFとのやりとりが島政の大きな問題となったから、ご記憶の方も多いだろう。
(救援活動は第47話。平和維持活動については第73話

ふたつ目はUSP(南太平洋大学)の本校。

この大学は南太平洋島嶼諸国の出資により創設された国際高等教育機関で、各国に分散する学生は1万人以上にもなるらしい。

スバのキャンパスには複数学部に加えて幾つかの研究所や図書館が設けられていて、TWCはフィジー滞在中にこの大学と海洋資源や環境に関する協同研究行う予定だ。

さて、フィジーが南太平洋の十字路に立つなら、我々のトランスアイランドもまた、違った意味で十字路の上に立っているといってもいいだろう。

「テクノロジー」と「自然」、「開発」と「保全」、「過去」と「未来」などが複雑に交差するポジションから21世紀の世界に向けて新たな価値観を提唱しようとしているからだ。

が、その根底に流れる思想はフィジーと共通のもの。
そう、前回紹介した「PACIFIC WAY」の精神である。

そこで次回は、十字路に立つトランスアイランドの今後のヴィジョンをレポートすることにする。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

9月末にシンガポールの総人口が600万人を超えたというニュースが飛び込んできたところなので、20年前に連載の中でフィジーとの対比の中にシンガポールの人口が300万人と記していたのを見て、一瞬目を疑いました。

数値だけを見ると倍増したことになりますが、ニュースをよく見ると外国人が185万人ということで、シンガポール国民は微増とのこと。

この20年で着実に移民が増加してきたところには着目すべきで、予測では2030年の人口が637万人。5%増となるそうです。

「人口=国民」という先入観のある日本人にとって、国土に住む実数に外国人を加えるシンガポールの勘定はユニークです。

人口減少が着実に進む日本においても、そのうち人口に外国人を加える考え方が到来するかもしれません。

真名哲也いわく「数値化された国家情報というものは、積み重ねられる歴史の断面にすぎない」ですが、日本の20年間を振り返ると特筆すべきがインバウンド数値の変容です。

VJ(ビジットジャパン)開始の翌年である2004年。
訪日観光客の数値は614万人でしたから、おそらく3500万人を超えてくる2024年の1/6程度。
これほどの交流人口増加は想像していませんでした。

政府目標では2030年のインバウンド目標数値が6000万人。

僕たちは今後6年の間に、いかなる「歴史の断片」を見せつけられることになるのでしょう?
/江藤誠晃

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