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012.物語のスピード

2002.5.7
【連載小説12/260】


人類は既にタイムマシンを手にしている。
などと断言すると驚かれるだろうか?

時間を超えるのがタイムマシンなら、まぎれもなく我々はそれを入手するばかりか、それを活用して、過去から見れば充分にSF的な日々を過ごしていると僕は思う。

例えば1世紀前に遡ってみよう。
ひとりの人が他の誰かに何かを伝える時、そこには空間の移動とそれに伴う時間の消費が求められた。
話すにしろ、手紙を誰かに託して届けるにしろ、コミュニケーションとは、人が動いてはじめて成り立つものであり、歩く、走る、乗り物を使う…の選択肢で、時間の短縮は可能であったが、時間そのものを超えることは不可能だった。

で、現在はどうか?
eメールに複数の宛先を指定してクリックすれば、瞬時に世界中の友にメッセージを配信終了。
WEB画面を立ち上げれば、地球の反対側ともリアルタイムでチャットが可能。

そう、既に我々は自らの肉体をもってしては不可能なコミュニケーションを実現し、複数の時間を同時に過ごすテクニックさえ手にしているのである。

こんな生活を過去から覗き見れば、タイムマシン的生活と言えはしないだろうか?

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トランスアイランドのオープンからひと月が経過した。
そしてそれは、それ以上でも、それ以下でもない「ひと月」の時間。
地球が太古から変わらず刻んできたリズムで、新たな30数回転を重ねただけの時間だ。

何かが変わったかといえば、何も変わっていない。
目の前に広がる景色も、そこに吹く風もそのままで、自分はひと月前に留まったままなのではないかと錯覚するほどだ。

テクノロジーと自然の融合の中に、豊かな未来を模索することが目的のトランスアイランドという島へのタイムマシンによる旅。
ところが、その浪漫飛行に加わって到着した先は「遠い未来」ではなく、「遥かな過去」だった…というお伽噺が似合いそうな日々。

「物語のスピード」
ふと、そんなフレーズが頭の隅をよぎる。

僕の主な仕事は小説を書くことだから、現実の時間とは別に流れるフィクションの時間との付き合いは深い。
ひとりの人間の生涯を一冊にまとめたなら、それはハイスピードの物語。
反対に、三日間のロマンスをじっくり書き上げたなら、ロースピードの物語…という時間操作の中に執筆活動の醍醐味はある。

小説が読み重ね、愛されてきた背景にあるのは、自らが受け入れる時間とは違う場所に存在する別の時間や、自ら歩むスピードとは違う速度に対する人類の憧憬のようなものだろう。
一度の人生においてひとつの自分しか演じられない唯一性から人々を解放し、疑似体験の中に人生の奥行きや幅広さを提示することに小説の持つ使命はあった。

その前提に立てば、昨今の本離れや活字離れの深刻さの原因は容易に推測可能だ。
つまり、タイムマシン的日常を手にしたことで、人々の生活そのものが複層的フィクションと化し、従来的小説が時間をかけて創作される間に、大衆は多数の物語を体験可能となったということ。

書くのに数年、読むのは数日。
かつて小説は、そんなゆったりしたスピード感の中に存在する文化だった。
が、これからは読み手がスピードを要求し、作家は創作を急がなければならない。
時代を先取りしてきたはずの作家は今、時代に取り残されかねない立場にいる。

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で、僕はどうするか?
あえて急がない道を選ぶ。
いや、この島にいれば流れる時間がゆったりしているから急ぐ必要はないといったほうがいいだろう。

島の変遷を語るこの手記は週に一回だが、記録者として周囲のスピードに遅れをとっているとは決して思わない。
これが文明国の記録であれば、日刊でも追いつかないのだろう。

現実とフィクションのスピードを自動的に同調させるスピード制御機能を持つ進化したタイムマシンとしての島。それがトランスアイランドだ。

僕は物語を書いているのではなく、物語の中に暮らしている。
そしてこの物語のスピードを、かなり正確にとらえているつもりだ。

------ To be continued ------

※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】
コピーライターや雑文の仕事をかなりこなしていた僕が趣味の延長で小説を書き出したのは90年代前半でした。友人に薦められて文学賞へ応募したところ、審査でまずまずのところまで残ったので真剣に創作活動をしようと思って立ち上げたのが「ヴァーチャル作家プロジェクト」。僕のアヴァター的存在である「真名哲也」の誕生?が1997年11月でした。

そこから5年間、オンライン小説分野で作品執筆依頼が相次ぎ、晴れて2002年にこの作品を手がけることになりました。
さらにそこから5年間。毎週欠かさず260週間というとんでもない作品になったわけですが、肩の力を抜いて物語を紡ぎ出すという取り組みは振り返ってみると本当に楽しい旅のような仕事でした。
/江藤誠晃

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