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155.異国への最前線
2005.2.1
【連載小説155/260】
久賀島という島に着ている。
「ひさかじま」と読むこの島は面積が38.85平方kmで人口は600人弱。
南西に位置する福江島から船で20分の静かな離島である。
と、紹介してもこれらの島を知る人は少ないだろう。
が、長崎県の五島列島に属すると記せば大体の場所を思い浮かべていただけるのではないだろうか?
九州西部に複雑に入り組んだ地形で存在する長崎県。
その西の海上に南北に連なる島々が五島列島である。
まずは前言撤回ではないが、先週の『儚き島』を否定するような表現でこの地を訪れての第一印象を記しておくことにする。
「ここは島国である」
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日本には有人無人含めて7000強の島が存在するらしいが、長崎県は島の宝庫にして1000近くを受け持っている。
まずは長崎空港への着陸前に飛行機の窓から見下ろす眺望がいい。
大村湾に浮かぶこの空港は世界初の海上空港として1975年に完成した。
東から飛んでくると湾を囲む半島の向こうに東シナ海と島々が見え、左に旋回しながら下降するにつれて南の橘湾や東の有明海が目に入り、やがてそれらが山々に遮られて視界から消えると吸い込まれるように空港へ着陸する。
長崎空港から福江空港へはORC(オリエンタル・エア・ブリッジ)の五島福江便に乗り換える。
距離105kmを30分のフライトでこなす39席のプロペラ機は、いかにも離島便というイメージの全長22.25m。
なんと驚いたことに、コペル社のハワイ~トランスアイランド便飛行艇と同じカナダのB社製だった。
福江空港は典型的な島の飛行場だ。
タラップから地面に降り立ってこぢんまりした建物へ歩き、都会なら電車の改札のような感覚でゲートをくぐる。
小さな売店に並ぶ特産品のあれこれを見た後に屋外へ出るとバスやタクシーが並び、その向こう側のパーキングには軽自動車やトラックが目立つ…
小説に例えるなら地方都市訪問のプロローグとしての小空港は、常にどこか他所での体験をコピー&ペーストしたかのような近似値体験となるが、そこから1歩先へ足を踏み入れると物語は個性溢れる中に急展開して読者(訪問者)に迫ってくる。
僕に関していえば、空港から外へ出た瞬間に感じる空気の密度や吹く風の匂いが一気にその土地固有の物語を語りだしてくれる…という感覚だ。
これが都会への旅ではそうはいかない。
均質化されたビル群の景色と汚染された空気は、訪れる者にその地の個性を見せまいとする遮断材のごときもの。
これまた小説に例えるなら、読者(訪問者)自らが能動的に探索する中にしか物語はその姿を現してくれない。
前回僕が指摘した日本の「島性喪失」とは、こういった部分にも反映されているのだろう。
例えは悪いかもしれないが、旅する者に対して個性溢れる物語の数々を提供する「少量多品種性」こそが島国の持つ観光魅力であり、集中化や規格化を優先する日本の都会化(大陸化)が様々な「土地の物語」を喪失させたに違いないのだ。
さて、そんな物語性ということでいえば、この五島列島ほど濃密な場所にもなかなか出会えないと思う。
最大特徴が「異国への最前線」というポジションだろう。
古の時代から大陸から島へのアプローチは冒険家に始まり、商人と宣教師がそれに続いたものだが、五島を取り巻くエリアも例外なくその流れの中にあった。
黄金の国ジパングを目指した冒険家は常に西からやって来たし、鎖国時代の日本において長崎が他国との交易における唯一の窓口だったことは誰もが知るところだ。
そして、日本におけるキリスト教史においてこの地ほど色濃い場所はない。
布教の最前線でもあった五島列島には多数の教会が建つと同時に、キリシタン弾圧の悲史も傷跡として消えることがない。
さらに、五島は異国からやってくる者に対してだけではなく、異国へ旅立つ者にとっても重要なポジションを持っていた。
7~9世紀に行われた遣唐使の多くが、この地を最後に広い東シナ海へ漕ぎ出し中国大陸を目指したからである。
その中には阿倍仲麻呂や山上憶良、最澄、空海…と錚々たる歴史上の人物名が並んでいる。
「島」国家としての五島列島の魅力は、僕が創作の中で取り上げる幾つかのテーマに関係しているところにもあるので以下列記しておこう。
まずは捕鯨。
かつての五島はクジラ漁が盛んだった島であり、福江島の五島観光歴史博物館では捕鯨史に関する展示を興味深く見ることができたし、到着した際に空港売店で各種の鯨肉食品が売られているのも目にした。
(捕鯨に関しては第133話)
売店で見かけた食材といえば「あご」、つまりトビウオである。
「大きくなり過ぎた島国」の2番目と3番目の訪問地だった波照間島と隠岐諸島に絡んでトビウオを紹介したことがあったが、対馬暖流が走るこの海域は彼らの道でもある。
(第127話)
さらに、島に眠る逸話や神話といった類の「物語」は小説を創作する僕にとって最も大きな関心事であるが、この島には「平家の落人伝説」や海底に沈んだ幻の島とされる「高麗島伝説」が残されている。
前回に久賀島を「伝説の島」と紹介したのはそれら故であり、「海道を行く」僕にとって極めて魅力的な場所なのである。
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五島列島を旅しながら小さな教会を順番に訪ねている。
観光には季節はずれのこの時期、他のツーリストに出会うことも少なく、静かな礼拝堂にひとり身を置くことができていい。
僕はクリスチャンではないが、教会という聖なる場所に静かに佇むことがとても好きである。
キリスト教会だけではない。
山深き場所にある寺社や、沖縄や八重山の御嶽、ハワイに残る「ヘイアウ」と呼ばれる聖地…
ヒトがそこに「神」を意識する全ての場所で共通して得ることのできる感覚が好きなのだ。
それは「何かに包まれている安心感」であったり、「自らの小ささや無力感に対するいとおしさ」であったり、「歴史と自分が強い絆で結ばれている心強さ」であったりする。
五島には50以上の教会があるという。
信仰を巡る喜びと悲しみの蓄積があるからこそ、この場所は「島国」としての存在感を強くしているに違いない。
しばらくは信仰と共にある島の時間に深く浸ってみることにしよう。
------ To be continued ------
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
【回顧録】
久賀島に降り立った時のことは鮮明に覚えていて「随分遠くへ来たな…」という不思議な感覚でした。
海外を転々としていた身からすると、物理的には遠くないわけで、ある種の「迷い込んだ感」のある遠さでした。
島を舞台に小説を創作する中で「平家の落人伝説」や「高麗島伝説」という素材はとても魅力的です。
「平家の落人伝説」は12世紀後半の源平合戦に敗れた平家の生き残りが、日本各地に逃れて隠れ住んだという伝説で、最終決戦の地となった壇ノ浦(現在の下関)後のミステリー。
一方の「高麗島伝説」は朝鮮半島の百済・高句麗・新羅から来た渡来人が熊本や鹿児島に流れ着いたという伝説。
つまり、アウトバウンドとインバウンドの伝説が九州の地でクロスした訳ですが、その背景には共通点があります。
それは都市から島へ流れ着く人々は常に「敗者」であるということ。
戦争や権力争いに敗れた人々が求めた新天地には「隠れ住む」という表現が似つかわしくて、その静けさの中で独自の濃密な文化や伝説がうまれる訳です。
これが勝者の側であればどんな文化と伝説が生まれたか?
と考えると、あまりワクワクしないのは僕だけではないはず。
どこかに隠れ住んだ敗者たちがひっそり育んだからこそ濃密な何かが後世に残る…
そんな悠久の時をかけて行うリベンジで僕たちは伝説の地を旅することができるのです。
/江藤誠晃