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142.海道の語り部
2004.11.2
【連載小説142/260】
姉妹都市縁組みというものを改めて調べてみるとなんとも面白い。
「縁組み」というのは、まさに縁(ゆかり)のもたらす組み合わせのことで、その主体がヒトであっても自治体であっても出会いの物語性というものがある。
姉妹都市の定義を広辞苑に求めると
「文化交流や親善を目的として結びついた国際的な都市と都市」
となっており、日本のデータに限って調べてみると各種自治体の縁組み数は1500件を超えている。
エリアや希望条件にあわせて海外の提携先を探す専門の財団も存在し、あたかも都市擬人化によるお見合いビジネスのごときである。
で、今週の『儚き島』で報告したいのが、トランスアイランドの姉妹島構想のその後だ。
実はマーシャル諸島共和国のマジュロ島との提携が成立し、次なる計画も進んでいる。
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僕がトランスアイランドの姉妹島構想を提案してから既に1年近くが経過している。
このプロジェクトは、建国3年目にあたる2004年度の島政重点戦略のひとつとで文化エージェントの僕が代表になって推進してきたものだ。
(詳細は第94話)
具体的縁組みの誕生に時間がかかったのは、当初の戦略にミスがあったからである。
僕が最初に行ったのは、トランスプロジェクトの詳細解説と姉妹島提携の提案をオフィシャルなドキュメントにまとめる作業。
そしてそれを太平洋島嶼国家の各都市首長宛に送る多角的アプローチ活動を行ったのだ。
環境問題への取り組みやIT活用による自立型産業育成、伝統文化交流、遠隔地教育等々。
姉妹島提携の中身自体は、どの都市にとっても興味深いものだったらしく好反応を得たのだが、「では姉妹島提携を交わしましょう」という段になると足踏み状態となり話が進まない。
相手方に手続き問題や組織づくりと人員配置、予算計上などの課題が次々に登場してきたのだ。
つまり、このアプローチは形式重視でトップダウン型の従来的手法だった。
いくら小さな国家や都市であっても、その運営に関わる案件である以上、オフィシャルな決定を下すには踏むべきプロセスというものがある。
まして、相手が正式国家ではない民間プロジェクトのトランスアイランドとなると、公の組織としては事の決定がさらに複雑で難しくなる。
そんな中、TWCの航海という具体プロジェクトによる連携が進んでいたマーシャル諸島共和国だけは話が違った。
同国議員カブア氏のリーダーシップにより、7月の航海スタート時に姉妹島縁組みの合意書交換に至ったのである。
そして、他所との連携獲得に行き詰まっていた僕に対して、旧地の仲であるカブア氏が的確なアドバイスをくれた。
氏曰く、堅苦しい組織間の約束事ではなく、自然発生的な縁を起点とする提携が望ましいのではないかとのこと。
彼自身が国家の議員職につきながら、組織の前にヒトが動くべしとの行動主義をモットーとしており、現場の動きを国家レベルに高めていくボトムアップ型の民主主義育成を目指しているからだろう。
まずは夢の種を見出し、成長を祈って日々水を注ぎ続けることで、そこに共感の連鎖が生まれ、花は咲くのではないかとも語ってくれた。
そんなカブア氏の持論に触発されて、僕も大きな方針転換を行った。
極論すると、それが1対1の私的個人間の連携であっても、その先に島や国家の未来シナリオが準備されているなら、その絆は姉妹島縁組みに値するのではないかと考えたのである。
●互いの未来が融合する先に、ひとつの目的地があるなら、それが小さな行動であっても共感の意思表示として姉妹島提携を交わそう。
●そこに集うヒトは、数の多さにこだわらず、「思い」の強さで結びつこう。
●その「思い」を育てるために日々着実な努力を重ねていこう。
これが姉妹島提携の新たな3方針だ。
実は今、ハワイ州、八重山諸島、シンガポールと新たな提携話を進めている。
これらは『儚き島』読者の「貴方」ならよくご存知のように、僕の私的な行動圏とリンクしている。
旅の先々には何かの引力に導かれて意気投合した友人たちが少なからず存在する。
小さくとも彼らと見つけた未来の種子を新たな姉妹島提携に導いていこうと考えている。
ところで、当面の提携獲得活動を僕の周囲のみで展開することに関しては、少しの迷いや島政スタッフに対する遠慮もあったのだが、そこはむしろ彼らが後押ししてくれるところとなった。
小さなヒトとヒトの連携から大きな島と島や国と国の連携へと育てていく交流活動がトランスアイランドにおける姉妹島構想の根本思想であるならば、まずは島のスポークスマンである文化エージェントから事が起こるのは自然の流れであっていいというのがコミッティ会議における統一見解となったのである。
そして、そんな僕の役割やポジションがある故に、他エージェントもそれぞれの活動の先に姉妹島連携の可能性がある際に心強いとの期待もあった。
僕にもエージェントとしての担うべき役割と貢献の場が大いにあることを再確認した次第である。
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今日も卓上の地球儀を見ながらこの連載を記している。
ここ数年の旅を球体上に辿れば、その全てが不思議な縁によって導かれたものだったと思う。
そして、それらの日々の報告を雑感と共にテキストとして残すだけの僕にも確かな役割が与えられているのだ。
そんな僕の役割に対して
「君は島々を渡る“海道の語り部”だな」
と、会議の席上で文化人類学者のドクター海野が評してくれた。
海道の語り部。
島々を転々とする僕にして、いい響きの肩書ではないか…
ゆっくりと時間をかけて豊かな縁組みの数々をネットワークしていくことにしよう。
------ To be continued ------
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
【回顧録】
真名哲也がこの物語の中でハワイ州〜八重山諸島〜シンガポールと転々と活動を重ねる様を「私的な行動圏」と語っていますが、これはもちろん20年前の僕の行動圏でもあります。
仕事がら、40年に及ぶ国別海外渡航歴の記録をエクセルにまとめているのですが、ハワイとシンガポールについてデータを見てみると…
<ハワイ渡航歴>
2004年当時:11回
2024年現在:33回
<シンガポール渡航歴>
2004年当時:1回
2024年現在:17回
と、この2カ国で38回も渡航していることになります。
『儚き島』という創作の原点は、当時かなり深い関係?になっていたハワイを取り巻くポリネシアという概念を深掘りだったので、その後も順調にハワイ訪問を重ねてきたのですが、東南アジア(ASEAN)という、僕にとってもうひとつのライフワークのようになった旅の数々の原点もこの作品にありました。
タイとインドネシアはシンガポール以前に訪れていましたが、その後、ベトナム、マレーシア、カンボジア、ラオス、ミャンマー、フィリピンへの渡航を重ね、アセアン10カ国中9カ国(ブルネイ除く)への渡航歴は50回近くになりました。
単体としての「国家」への旅を重ねることで気付くのは、そこをつなぐ様々な歴史とドラマの存在。
よって、僕にとっては訪問した場所が全て姉妹都市のような関係なのです。
点〜線〜面、の展開は観光マーケティングでよく使われる概念ですが、「面」としての世界や地球を語る上で「点」としての国や町をどれほど見ることができたかのストックは本当に重要だったなと、振り返って感じます。
/江藤誠晃