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145.宇宙へ繋がる闇

2004.11.23
【連載小説145/260】

TQジャパンのオフィスは六本木ヒルズの高層階にある。
あえてそこを拠点に選んだのではなく、ミスターAが関わる組織の遊休スペースを活用したことによる。

このオフィスのユニークなところは、窓に向かって7人着席可能な半円形テーブルが置かれたミーティングルームだ。
眼下に巨大都市東京を見下ろしながら会合を行うことができるのである。
(TQ社については第143話、ミスターAに関しては第136話

神島の取材を終えて東京へ移動した僕は、幾つかの仕事をこなした後の昨夜、TQジャパンを訪ねた。

そして、鳥羽の海から一転、眩い光の海を前に、氏の観光ビジネスに対する考え方と構想をじっくり聞くことになった。

豊富な海外渡航歴と幅広い国際ネットワークを持つA氏ならではの観光に対する着眼と発想には驚かされるものがあった。

同じTQ(Tourism Quality)でありながらも、TQシンガポールとは全く異質なシナリオが彼の中には準備されているのである。

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インバウンドとアウトバウンド、つまり誘客市場と送客市場がバランスよく成り立っている状態が一国における観光産業の適正な状態というのが、ミスターAの基本的な考え方である。

その意味において日本の観光市場はアンバランスである。

2003年の日本人海外旅行者数が1330万人であるのに対して、訪日外国人旅行者数は550万人である。

この数値はSARS等の影響によるアウトバウンド対前年度比20%ダウンによるものであり、市場における送客と誘客比率は3対1以上の数値で推移してきた。

20世紀後半の日本は、貿易黒字と観光赤字の中に成長を重ねてきたといっていい。

戦後復興策のもと勤勉に働き、工業製品を続々と産み出す。

出来た商品は高品質であったため、海外へ送り出せばどんどん売れる。

儲かれば国力が増し、一般大衆に余暇市場が増大する。

勤労に対するインセンティブとしての海外旅行市場は、島国ならではの異国浪漫も相乗効果となって躍進する。

ところが、国家も旅行業界も日本人を海外へ送り出すのに精一杯で、異国の旅人を迎える努力が相対的に疎かになった。

その結果招いたのが、「コスト高で、ホスピタリティ度の低い日本観光」という国際評価であり、今になってようやくヴィジット・ジャパン・キャンペーンが繰り広げられている。

他の産業でもそうだが、一旦定着した市場評価や産業の枠組みというものはなかなか覆すことができないものである。

一例として空港着陸料金を紹介しよう。

成田空港のジャンボ機1機当たりの着陸料金は94万8000円で、旅客数の多いシンガポールのチャンギ空港の6倍にもなり、世界一高い。

これでは、どれだけ「ようこそ日本へ!」と連呼しても日本へのツーリスト獲得増は困難であろう。
抜本的な構造改革や意識改革がなければ、インバウンド増大は望めないということだ。

日本は観光赤字でもいいという考え方が潜在的にあるなら、それは危険だとミスターAは言う。

持てる財の不均衡の中に国際社会は成り立つから、土地に影響を受ける農作物や天然資源の強み弱みの中に通商が展開されるのは仕方ないことであるが、「観光」は万国それぞれが固有の財を持つ平等市場であり、産業的可能性は多分にある。

極論すれば、観光赤字とは自国の歴史や文化に対する理解と自信の低さの表れであり、そこからは真の他者理解さえ生まれない。

これでは国際社会をバランスよく歩むことなどできないはずだ。

このドメインにおいては優れて先進性の高いシンガポールのTQ社に対して、日本のTQ社の取り組みは全く違ったものでなければならないというのがミスターAの基本方針になるわけだ。

では、日本の何を見せるのか?

僕が最も驚かされたのは、その根本発想の部分だった。

「東京にシンガポールからのツーリストを集め、文明の光と影を見せる」

というのがミスターAの基本戦略なのだ。

かつてはシンガポール政府が「日本に学べ」運動を展開して開発のモデルとしたほどの発展と活力の象徴であり、今では経済停滞や各種犯罪など文明国家の病みと迷いの象徴。
それが東京という巨大都市である。

その東京で文明の光と影を同時に見せるツーリズムが、対シンガポール観光誘致戦略としては有効だと彼は断言した。

TQシンガポールとは全く違う「観光」になるであろう今後の展開が楽しみである。

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光の海を見る中で意識すべきは、それを包む背後の闇の部分ではないだろうか…

TQジャパンのオフィスを出た後、展望台である「東京シティビュー」から東京の夜景を改めて見下ろしながら僕はそんなことを思った。

文明都市の夜はあまりにも明るく、自然に抱かれて過ごす夜はあまりにも暗い。

が、それでも人類の暮らす世界に完全な闇はない。
限りなく自然の夜に近いトランスアイランドでも天空に月や星が輝き、波間には夜行虫が輝いている…

僕らが見落としてはならないのは、光の量や強さの差異の部分ではなく、それを支える共通のベースの部分。

つまり、宇宙へと連なる闇の部分なのだろう。

闇がある故に光は成り立ち、美しく人の目に映る。
そして悠久の闇から見れば、眼前に眩しく輝く東京の夜も、いや、文明の謳歌さえもまた無数に瞬いては着える星のひとつでしかないはずだ。

そんな実感と共に、僕はシンガポールのナイトサファリで見たヒョウやジャッカルの眼光を思いだしていた。

宇宙レベルの無限なる闇のカンバス上では、文明のネオンサインも野生生物の眼光も同質のものとして輝く刹那なのだ。

「光を観る」という意味での「観光」の大きなヒントを得た東京の夜だった。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

「インバウンドとアウトバウンド、つまり誘客市場と送客市場がバランスよく成り立っている状態が一国における観光産業の適正な状態」とミスターAが語った、この回。

20年前のインバウンド数が550万人だったということは、現在の1/6以下ですから日本の観光産業には驚くべき変容が起こったと言えるでしょう。

さらに、僕のアヴァター?である真名哲也はミスターAの
「東京にシンガポールからのツーリストを集め、文明の光と影を見せる」
という基本戦略に驚かされたと記しているが、今、僕はこの部分に自身で驚いています。

舞台こそ東京ではなく、関西ですが、今ビジネスとしてシンガポールのインバウンド市場活性化に関わっているからです。

文明都市の夜はあまりにも明るく、自然に抱かれて過ごす夜はあまりにも暗い。

という一節も残していますが、それは20年前も今も変わらない「世界」です。
が、僕が訴えたいことは宇宙の側に立てば地球という星は光と影で構成される美しい場所なのだろうということ。
そして、そこで生きる自分もまた「あまりにも明るく、あまりにも暗い」存在なのだろうという変わらない気付きがあるということです。
/江藤誠晃

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