117.ラッフルズホテルから
2004.5.11
【連載小説117/260】
「日本に戻ったら世界が見えなくなる。自分の未来も見えなくなる。
林立する高層ビルの谷間で、おそらく1世紀前と変わらぬ静かな時間の流れるラッフルズホテル。
その中庭から不自然に切り抜かれたシンガポールの青空を見上げて私はそう確信した…」
この、ひとりの女性の独白は、僕がサマセット・モームの短編『エドワード・バーナードの転落』のトリビュート作品として創作を始めた短篇小説の出だしの一節。
シンガポールを旅した際に「nesia2」に入力していた幾つかのフレーズを加工修正したもので、一昨日、定例となったマウイのラハイナ・ヌーン会合時にメンバーに公開したものだ。
(ラハイナ・ヌーンと、それに関連する創作活動については第104話を)
僕の小説づくりは、常に冒頭の一節を固定するところから始まる。
もちろん、その前段階でストーリーの漠然としたイメージや時代設定、展開地、主な登場人物などの要素が頭の中に雑然と並ぶのだが、それだけでは物語は動き出さない。
小説の出だしの一節とは、いわば静かな水面に落とす一滴の雫のようなもので、そこから広がる波紋が物語の行く末と広がりの全てを決めることになる。
出だしの部分に対する僕のこだわりは大きい。
物語という仮想現実の世界は、その大小に関わらず最初の一滴を核とする同心円の中に全てが表現されるものである。
それだけに、出だしを間違えると、いびつな波紋がその後の創作を困難なものとし、創る世界を狂わせることになる。
今回は、そんな作家活動の舞台裏を1編の短編創作現場から紹介してみよう。
ところで、超長編となった、この『儚き島』の冒頭をご記憶いただいているだろうか?
116週間も前のことになるが、こんな出だしだった。
「ニンベン」に「ユメ」と書いて「儚」という字が出来上がる。
そう、「ハカナイ」という字だ。
人の見る夢が儚いのか?
夢見る人そのものが儚いのか?
椰子の木陰に座って海を見ながら、僕はそんなことを考えている…
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物語のタイトルは最後まで決定しない主義なので、仮に今回の短編小説を『ラッフルズホテルから』ということにして、続きを紹介しよう。
「夫の海外赴任が終われば日本に帰る。それは私にとって選択肢など存在しない当然の流れであり、シンガポールで暮らす3年の月日は期限限定の少し長い旅でしかない予定だった。
1年半前から始めたアジア文明博物館の日本人旅行者向けガイドの仕事にしても、自分を高めようとか見聞を広めようなどという志を持ってのものではなかった。
夫の会社から派遣される優秀なメイドの存在で主婦業は無きに等しい退屈な日々であったし、かといって毎日を社交的雑事で過ごす他の赴任者の妻たちにも馴染めなかった私にとって、観光局のボランティア募集は、この国での生活にも慣れ、少し興味を持ち始めていた東南アジア史を知る上でも好都合の時間つぶしになると思えたからだ。
そんな私が、日本帰国の決まった夫と離れ、ひとりシンガポールに残って歴史の勉強を続けようなどという決意に至ったのには、幾つかの要因があった。
ひとつ目は、博物館に眠る歴史の重みだ。あらかじめ準備された主な展示物の解説文を和訳して暗記し、観光客に向けて語る日々の仕事はそう難しいものではなかった。ところが、そんな表層に対して奥に眠る様々な歴史を知れば知るほど、自発的な探求心のようなものが芽生えてきたのである。
ふたつ目は、私たちを取り巻く国際情勢だろう。夫が赴任して半年後の2001年9月。私がこの国にやってきた数日後のことは今でも忘れることができない。そう、あの9.11同時多発テロの日だった。生まれ育った日本を離れて暮らす海外体験は、そのスタートからシンガポールという一国を超えて世界を意識する日々となった。あれ以来、私は小さな目で世界と日本を観察するようになった。中東問題や北朝鮮に絡む拉致問題が最たる例だろう。そして日本という国家に対してなんとも表現し難い違和感を抱くようになってきた。これは他国で長く暮らした体験を持つ者にしか解からない実感だと思う。
そして、三つ目。博物館で出会ったあの人の存在である…」
さて、僕の小説は続くここまでの部分で、主人公の置かれる状況を明らかにする。
モームの作品では、主人公の男性に対して、愛する女性と彼女を愛するもうひとりの男性の3者関係がシカゴとタヒチという文明と南洋対比の中に物語の骨格を形成していたが、僕はそれを21世紀初頭的にアレンジすることにした。
主人公は女性で、彼女の夫と謎めいたもうひとりの男が登場。
海外赴任の地シンガポールを舞台に、アジアや世界までを巻き込んだ文明観察ストーリーだ。
物語のキーとなるのがラッフルズホテル。
進化し続けるシンガポールという国家において古き植民地時代の名残をとどめるオールドホテルの存在が、東西と南北の価値観や「過去」と「未来」、「夢」と「現実」のはざまで揺れる3人の微妙な心理の覗き窓として機能する。
実は、2月のシンガポール行ではじめてラッフルズホテルを訪れた際に最も驚いたのがその周辺環境だった。
世界的にも有名なランドマーク的ホテルであるから、市中に威風堂々と建っているだろうとの予想に反して、現実のラッフルズは林立するビルの陰にひっそりと横たわっていた。
小説冒頭の一節同様、中庭に立って真上を見上げた僕の目に映ったのは、そびえ立つビルの背景としての不自然な青空だった。
が、今から思えばあの不自然さこそがシンガポールらしさなのだろうとの思いが強い。
「変化」と「不変」が共存する混沌の中に人類史は積み重ねられる。
創建当時から変わらないコロニアルスタイルの建物の外なる世界は日々「変化」し、内なる世界は「不変」のまま息づいている…
そんなラッフルズホテルゆえに可能な舞台性というものが確かにあり、僕はここをもうひとつの主役として作品を仕上げていこうと考えている。
では、続きをもう少しだけ記しておこう。
「去年のクリスマスの日だった。フリーのジャーナリストだと名乗る彼が、館内ガイドを終えた私に囁いたひと言は今でも耳にはっきりと残っている。いや、あのひと言が私をこの国に留まらせたのだ。
“世界を見れば見るほど、知れば知るほど僕らの日本は理解できなくなるね”
そして彼は、年が明ければイラクに入ると言っていた…」
さて、この小説は、どんな作品になるのだろう?
創る本人にしてその行く末が楽しみなプロローグ段階である。
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改めて考えてみると、作家とは極めて幸福な人種である。
なぜなら、自らの人生という「物語」の中に別次元の「物語」を生み出す特異な生業を通じて、濃密な人生を過ごすこと可能だからだ。
と、僕は思い、それを天職だと感じている。
豊かで意義あるトランスアイランドのエージェント職としての、この『儚き島』。
故郷日本を観察する旅を続けて行う「大きくなり過ぎた島国」の連載。
今回紹介したラハイナ・ヌーンの文芸活動、等々。
複数の創作に囲まれる僕の人生は、確かな波紋に導かれて着実に広がり、世界と繋がっている。
さて、島の生活から再び旅の生活に戻ることになりそうだ。
次回は新たな旅の計画をお伝えしよう。
------ To be continued ------
※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。
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