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靴は紐?マジックテープ?

自由な学び舎の男子が、ある日、紐のある靴を履いてきた。

11歳になるその子はこれまで頑なにマジックテープの靴を履いていたが、ついに紐を選んだようだ。紐がすごい、マジックテープがすごくない、という話じゃなくて、”自分で選んだ”というところが、子どもの育ちの本質なような気がした。

親としては、紐を結ばせたい、結べるようになれば良いな、将来困らないだろうな。など色々な希望と不安が入り混じる気持ちになることがあるだろう。そして往々にして紐靴を”与える”という選択をすることがある。それによってきっかけをもらった子が紐靴が履けるようになることも事実だから、親の思惑が一概に否定できない、という意見もある。

ただ僕は、靴紐かマジックテープかという話ではないと感じている。自ら考え決定する、というプロセスを奪わず、関わることで、子どもは自らより良い自分になっていく。(靴紐がかっこいいと思ったのかも知れない、だから履くんだと)

自己決定したことは、結果がどうなっても自分の責任の中で折り合いをつけられる(納得できる)が、誰かが決めた決定には、どうしても人間は文句を言いたくなってしまう。自分の気持ちが置いていかれているような気がするからだろう。

誤解のないように、最後にもう一度書いておきたい。紐が良くて、マジックがダメだ、という話じゃなくて、何かを決定するプロセス、どんな小さな事柄であっても、子どもはたくさんの考えや想いを持っている、と思って尊重する姿勢が、大人として社会として大切なことじゃないかと、靴を通じて感じた出来事だった。

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