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あんなにも小さかったのに

12月ということもあり、1年を振り返ったり、10年後を想像したり、この時期はいろいろと頭の中は忙しい。今年の元旦におこった能登半島の地震からもうすぐ1年。具体的に何も動けていない自分がもどかしいが、ずっと頭の片隅には「能登」がある。会社員時代、自転車で輪行して旅した能登。海岸線を走りながら棚田や塩作りを眺めて、温泉に入り、テントで泊まる。食堂に入れば能登弁でおばちゃんが対応してくれる。何が良かった?と聞かれてもコレ!というものよりも、心地よく暖かい感覚を先に思い出す能登。能登が地元石川県だったからというより、旅で訪れた場所が能登だったから好きだという想いも強いのかも知れない。

秋晴れの午後(この時期、旅をする木は午後からしか太陽の光が届かない)、年長の子たちが大縄跳びをしている。小学生の子が鶏と戯れながらおしゃべりしている。子どもたちにとって、この場所に毎日通うことがどんな感覚なのかは分からない。保育園、幼稚園、小学校とも違うこの場所にやって来る日々。『知らないことに出会ったり、仲間と過ごし自分を振り返ったり、この場所で旅をするようにひとりひとりが自分のペースで、自分の興味関心を大切に過ごして欲しい』そんな想いは僕にはあるが、子どもたちがどう感じてくれているかは分からない。

盛り上がっていた大縄から別の遊びに自然と変化して流れていく(この流れ方が美しい!)。小学生はバドミントンを始めるようだ。困りごとがあれば話し、聴き合う。そしてまた遊ぶ。あんなにも小さかった子たちが迎えるそれぞれの秋。こうしてしなやかに遊び過ごしている光景を見ていると、ここに通った日々の積み重ねが彼ら彼女たちの内側に”何か”を積み重ねてきたことだけはわかる。

それが何か、と考えると適当な言葉は見つかるけど、それははっきりとさせない方が良いんだろうとも思う。旅の思い出のように、感覚的に自分の中だけに残るものがきっとあると思う。はっきりとしない、ぼんやりとした”育っている”という感覚を、スタッフとして大人として、そして親として。掴みきれない空気を優しく抱えるように、これからも持ち続けて生きたい。


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