積乱雲とトイレ
7月某日。旅行の帰りに飛行機に乗った。
その日は積乱雲のせいでシートベルト着用サインがかなり早くから点灯していた。
そんな中、だんだんとトイレに行きたくなってしまった。一度意識してしまったらもうどうにもならない。トイレにすぐにでも是が非でも駆け込みたいのにどうにもできない状況に陥った。
本当に漏らすかと思ったし、エチケット袋に出してしまおうかと本気で考えた。
ここまで追い込まれたのは初めてだった。
結果的には、脂汗を浮かべながら耐え忍び、着陸して降機する直前にトイレに駆け込んだ。
ギリギリセーフだ。
そもそも所用時間は1時間強。窓側だが、隣の席に乗客はいない状況で、トイレに行けずに困ることなど想定していなかった。
そして、搭乗直後から「積乱雲の近くを通る関係で飛行機の揺れが予想されるため、化粧室のご使用は早めに」という趣旨のアナウンスが流れていたから、私自身も早めに行こうとは当初から思っていたのだ。
だが、離陸して、
まず無料の飲み物が出され、「あ、これを飲んでからにトイレ行こう」と思った。次にトイレに行こうと思ったら、今度はCAさんがゴミの回収をし始めて、「邪魔するのも悪いし、CAさんが通路を去ったら行こう」と思った。
結果的には、これがいけなかったのだ。
CAさんがゴミの回収を終えないうちにシートベルト着用サインが点灯してしまったのだ。
もう絶望である。
それまで飛行機は全然揺れていなかったし、飲み物を出された直後でいくら早めに点灯するといえどもう少し時間があると(勝手に)想定していた。
想定が甘かったのである。
CAさんに頼み込んだらトイレに行かせてもらえることもあるのかもしれないが、そんな勇気はなかったし、着陸まで1時間切ってるから我慢できるかもみたいな思いも頭をよぎった。
何はともあれ、そこから戦いは始まったのだ。
時計を数分おきに見ては落胆した。
とにかくしんどかった。
搭乗前は「明日から仕事かあ。現実に戻るの憂鬱だなあ」とか思っていたのに、猛烈にトイレに行きたくなった瞬間、すべてがどうでもよくなった。
兎にも角にも、トイレに行きたい。
それ以外は何もかもどうでもよかった。
攻防を繰り広げるうち、だんだんと「これは無理かも。漏らしちゃうかも。空港に着けばパンツくらい買えるよね。いや、隣に人いないし、それならいっそエチケット袋に出す方がマシ?」などと思い始めた。
混乱である。
そんな中、ふと、「いや尿意は生理現象なんだから、無理して我慢するより漏らした方が身体にはいいし、生物としては正しいのかも。トイレなんて学習して覚えるわけだし」と思った。
即座に、「いや、それはできない。何か、、そうだ、人としての尊厳を捨てることになる気がする」と思った。
そのとき、「人間にとって、トイレで排泄をするという社会的な学習事項にはとんでもない重みがあるんだな」と、(尿意に耐え忍びながら)しみじみ思った。
こんな感じのぐちゃぐちゃな思考を後々、すっきりしてから振り返ったとき、生理的反応の強さや社会的に学習したことの影響力の大きさに驚いた。
人間にこんなに強い生理的欲求があることも知らなかったし、排泄行為をトイレ以外ですることへの抵抗感がこんなに強いことも知らなかった。
しょうもない気もするけれど、これまで見ていた世界と違う世界を発見したようでおもしろかった。
そして、生理的反応や自らの尊厳の前では、仕事に行きたくないとか疲れたとかそのほかのことはどうでもよくなるんだと思い、普段の悩みが消えなくとも少し滑稽に思えてきた。
今日もトイレに好きな時に行けることに感謝して、たまに当たり前を疑って何か発見して、、。
そんな時間は案外おもしろいし。楽しい気がする。
トイレに行けないのはもうこりごりだけど、またいつか何かを発見できたらいいなと思う。