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船旅

船旅には船旅のおもしろさがある。

先日、数年ぶりに長距離フェリーに乗ってみて、そう感じた。

まず、空気がなんとなくゆったりしている。
船の中ではすることがない。ネット環境も安定しない。意識することといえば、せいぜいレストランや大浴場の営業時間程度だ。
だから、ただベットに横になるとかデッキに出て海風に吹かれるとか、そういう時間の使い方ができる。本当は日常の中でも適宜何もしない時間を作れればいいのだろうが、つい掃除とかご飯を作るとか何かしてしまう。その点、船の中では他にすることもないので存分に「退屈」を味わうことができる。そして、何もしていないからといって、何もできない環境なのだから罪悪感もない。これはある意味、その上ない贅沢なのではないだろうか。
さらに、選択肢の数も適当で疲れにくい。選択することは脳に大きな負荷をかけるらしいが、船の中だとできることは限られ、レストランのメニューなども選択肢が予め絞られている。これも気楽な時間を後押ししてくれる。


次に、謎の交流が生まれる。
私はあまり周りの人に話しかけるタイプではない。それでも、先日の船旅で、レストランでは隣に座った80代の女性に話しかけられ、下船後の街中へ向かうバス停の前では50代くらいの女性2人と会話を交わした。普段は十中八九こんなことはないが、船の中だと互いに警戒感が薄れるのだろう。
とはいっても、会話の中身は、船に乗った経緯や今後の予定、趣味の話など本当にたわいもないものだ。当然、こういった会話で竹馬の友ができたり運命の出会いになったりするわけでもない(そういうこともあるかもしれないが、私には経験がない)。
今回の場合、80代の女性は1人でツアーに参加しており、普段は近場へ日帰りで出かけたり30年続けている習い事に精を出したりしているというような話だった。50代の女性2人も、1人は自転車でもう1人はバイクで北海道を巡っていたということだった。しかし、他愛無い会話でも、年を重ねても1人で出かける気力、体力、財力があることや、30年も一つの趣味に熱中できることは、素直にすごいことだと思った。私もそうなれたらいいなあとぼんやりと目標にもなった。

つまり、竹馬の友になれずとも、見ず知らずの人と話すことで、自分の知っている世界が限られたものだと、世の中にはもっといろいろな生き方があるということを実感できる。それは日常に追われていると知らぬ間にとらわれている世界や常識を相対化し、見つめ直す絶好の機会を提供してくれる。

そういう意味でもおもしろい時間だった。


もちろん、船旅にこういう出会いが確約されているわけではないが、いつかまた出会えたらいいなという思いで、人生の楽しみにしたいと思う。

船内より


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