間違った幸福への期待②
こんにちは、タビィです。
幼少期・思春期の毒性の強い家庭環境・親子関係により、大人になっても複雑性PTSDに苦しむ「わたしたち」が抱いてしまいがちな二大幻想について、お伝えしています。
前回は、そのうちの一つ、「魔法の杖幻想」についてお話しました。
魔法の杖幻想=Magic Wand Fantasyとは、「心の傷が癒えたら、嫌なこと全部吹き飛んで、夢は叶って、彼氏・彼女できて、信頼できる仲間に囲まれて、好きな事仕事にしてる理想の自分で、そんな、バラ色の人生が待っているに違いない」という、壮大なる間違った期待のことです。
とても幼稚でナルシシスティックな幻想です。
そして、その期待を誤認と受け入れ、手放した(=絶望した)先にしか自分らしい幸せはない、と断言しました。
今回は、もう一つ、断念しなければならない幻想について、お伝えします。
それは、
この症状は完治する
です。
残念ながら、完治はしません。
傷が癒えても、負った傷をなかったことにはできません。
かさぶたになって、新しい皮膚になっても、傷ついた過程までなかったことにはなりません。
そのように自分の一部を否定して、抑圧・逃避してしまうと、自分の中に葛藤が生まれ、ヒーリングのプロセスは後退してしまいます。心は誰かに救ってほしい子供のままです。
(そうならないようにグリーフ、Grievingというプロセスがありますが、それはまた別の機会に触れますね)
では、複雑性PTSD(CPTSD)が解消するとは、そこから回復するための「ヒーリングが効果的」であるとは、どういうことなのか、CPTSDの心理的フラッシュバックを解消するためのテクニックを考案した第一人者、ピーター・ウォーカーの解釈を借りたいと思います。
彼は、心理的トラウマを「糖尿病」になぞらえています。
診断が下ったら誰しも動揺するし、認めたがらないだろうけど、危険値に近づかないように、健康状態をメンテしていれば、普通の人以上に健康的でいるのも不可能じゃない。その代わり、一生付き合うということを受け入れなければどうにもならない症状。
というふうに、著書の中で説明しています。
全くその通りです。
寛解状態を維持する、症状を完全に鎮火した状態に維持するしていくスキルは手に入ります。
しかし、それは、「いつか完治したら、ほっといても大丈夫になる」という幻想を手放した先にしかないヒーリングのレベルです。
ヒーリングが進んで効果が出てくると、皮肉なことに、自然と、「ああ、こうやってメンテする毎日が続くんだな」、ひいては「そうしないと、またあの心がすり減った毎日が戻ってくるんだな」ということが、直感的にわかってきます。
同時に、「あの心理的に地獄の日々に比べたら、ちょっとしたコツとセンスさえつかめば、うまく付き合える古傷を抱えてる今の方が、天国☆」っていう実感に至ります。
これは、ヒーリングはあくまでも日々の働きかけ、プロセスであって、「完治」というゴールはないんだ!という、がっかりな発見でしたが、でも、そのおかげで手に入った嬉しい真実もありました。
それは、
・ヒーリングはあくまでも個人的なプロセスであって、「完治するかしないか」というオール・オア・ナッシングな勝ち負けではないこと。
・ゴールがない以上、日々前進する意思がある限り、「ヒーリングに失敗」はありえないということ。
・「完治」という幻想がなくなると、日々の幸福度に目がいく、また(幸せそうな他人との比較でなく)以前の自分と比べて、心の平安度・成熟度を確認することができる。
などです。
さらに、今回挙げた、手放さなければいけない幻想「完治」にプラスしておきたい提案があります。
それは、複雑性PTSDのヒーリングの手段は、一つには収まらない、ということです。
いくら、巷に出回ってる心理学の知識を応用した書籍やスピリチュアル系のセミナーが、「たった一つの」と謳っていたとしても、それは、大甘に好意的に解釈するとしたら、入り口として「一つ」提案がなされてる、という意味に取れなくもないだけであって、ソリューションが一つという意味ではありません。
この言葉、本当に要注意です。
前回お伝えした、手放さないと毒になる幻想「魔法の杖」に似てますが、心のスタミナが消耗していて、心理的成熟度の低い段階にある場合は、こう言った「一発逆転・一挙解決」みたいな誘い文句に、吸い寄せられます。
この「たった一つ」という魔法の杖のような謳い文句については、以前「あなたを救う『たったひとつの』ワナ?」というタイトルで、魔法の杖を探し求める事の危険についてブログで投稿しています。まだの方は、ぜひ覗いてみてください。
では、今回は、この辺で。
また次回!