自分の本質に無限にアクセス!瞑想効果①
こんにちは、タビィです。
唐突ですが、瞑想を強くお勧めしたいと思います。
セラピーやカウンセリングも心理的トラウマに効果があるのは否定しません。
が!
自分の本質を発見し、認め、自己実現していくプロセスというのは、セラピーやカウンセリングで土俵に上がるところまではできても、そのあとは、結局、本人の成熟のプロセスだと私は思っています。(セラピーなどの限界に関しては、またの機会に扱いたいと思います)
瞑想全般を強く推すのは、続けるうちに、いかに普段の雑念が自分の発想やスタミナにブロックをかけているか実感したからです。
雑念というのは、例えば・・
・過去に起こった出来事のハイライトが繰り返される。
・やらなければいけないこと、先延ばしにしていること、先延ばしにする正当な理由(!!)が、ループする。
・妄想のシナリオがエンドレスで展開していく。例=「あの時、〇〇してたら、今頃△△になってたはず」「あいつがこう出たら、自分はどう出るべきか?」
・過去の感情(後悔・羞恥・悔しさ、など)が突然再燃し、うわぁぁぁーーーーっとなる。
・こんなことしてる場合じゃないんじゃないか、もっと〇〇しないと・・という不安や焦りに吸い込まれる。
などなど。
まだまだあるかもしれませんが、
要するに、過去と未来を行ったり来たりなんですね。
「時間」に翻弄されている。
「時間」の檻に囚われて、「今」に意識がない。
無意識に振り回されてる状態ですね。
特に、時間軸に翻弄されて出てくる妄想が厄介です。
実際過去にあった出来事であるか、想像しているだけの内容であるかは、関係ありません。どっちも雑念で幻です
幻ではありながら、登場人物にはセリフが与えられ、シナリオはどんどん膨れ上がっていきます。
自分で「妄想」と自覚していても、意識的にストップをかけないと止みません。
無自覚なままでいると、下手すると、一生続きます・・・。
脈絡がありそうでない映画を何本も同時に観ているようなノイズの中にありながら、心を落ち着けてクリエイティブなことに集中したり、いろんな角度で発想したり、自分が実現させたいことを思い描く、なんて、できるわけがありません。
(と、瞑想が日課になった今、つくづく思います・・・)
とくに!
幼少期・成長期に、日常的に、緊張・不安・恐れを強いられた「わたしたち」は、大人になった今も、朝の起き抜けは、恐れ、不安、憂欝や混沌という脳内環境にありがちです。過去の出来事で発動した情動であるサバイバルモードが、そもまま今も毎日、脳内・体内を支配している。そのために、いつも消耗している。
消耗しているから、夢や目標があったとしても、いつも「このままでいいのか?」とか「早くなんとかしないと」とか「これって、どっかに向かっているの?」と言った、不安と焦りが止まない・・という疲弊ループ。
心が消耗したままだから、早く安心したいんですね。
なんらかの外的な計測可能な「結果」でもって。
サバイバルモードだから、リラックスできないし、人がいると緊張するし(表層的には嬉しくても、過度にテンション上がるのは、緊張の一種です)・・・
そして、サバイバルモードというのは、「あの時こうだったから、次はこうしないと」と緊張して構えていなければならない運転モードです。
ということは、
そう、
時間の因果関係にどうしても縛られて、純粋にリラックスして、ただ「今」に存在することができない状態なんです。
というわけで、「わたしたち」を時間の奴隷にする脳内のノイズを消して、「過去」とか「未来」という幻のつながりを「超越」する瞑想を、次回ちょっとご紹介しますね。
では、今回はこの辺で!