ミュージシャン(しながら)→大企業(ヤフー)→スタートアップ(何社か)→フリーランスを経て「音と旅と株式会社」という会社を起業したのは全て勢いという話。
はじめまして。音と旅と株式会社 代表取締役CEOの藤牧宗太郎と申します。
その名前の通り音と旅をテーマにした会社を作ったのでご報告がてら、自分のキャリアが面白いと周りに言われたので(自分ではそんなに意識してなかったのですが)近況報告と自分の振り返りを兼ねてnoteで書いてみます。
少し長いこの記事を読み終わった時にミュージシャン(しながら)→大企業(Yahoo! JAPAN)→スタートアップ→フリーランス→起業 ※ミュージシャン(しながら)という自分のキャリアが皆さんの参考になれば嬉しいです。
まずは僕の(音)経歴の話から
1990年に東京の大田区で生まれました。多摩川や洗足池も近い自然もあるエリアです。3歳くらいから近所のピアノ教室に通っていたので、音楽歴は30年弱になります。別にTHE 音楽一家というわけでもないのですが、父親は趣味としてドラムとかトランペットを触ったりしている音楽好きでした。ピアノを学んだのは親の意向なのですが、教室で覚えたての曲を披露すると家族は皆喜んでくれていたそうです。音は楽しい!という原体験はそれが刻み込まれてるのかもしれません。
小学生の頃は家族で車で移動する時に流れていた、サザンオールスターズ(そういえば最初に買ったCDもサザンでした)やSmap 、そして親世代の懐メロ(70年代歌謡曲とかですね)に夢中になり、中高生の頃は宇多田ヒカルさん、X JAPAN、 CHAGE&ASKA、小室哲哉さん、坂本龍一さんあたりにハマり、大学に入るとcapsule、Perfumeあたりに刺激をうけました。もちろんクラブミュージックやフェス系の洋楽も大好きです。
でもなにが一番好きかというと、やはり僕はメロがわかりやすいコテコテの90年代的なJ-POPが好きです。最近のJ-POPはそっち寄りになってきてる気がするので嬉しいです。例えばずっと真夜中でいいのに(ずとまよ)のような楽曲はとても好きで、よく聴いています。
音楽活動としては、citrusplusというユニットで活動していました。
少し前のものですがインタビューとかMV置いときます。
コロナ渦のリセットもあり、最近はソロの変名での裏方仕事やDJ活動が多いのですが、そろそろまた音楽も新しい動きを考えています。ベタでキャッチーなメロを僕が通過してきた新しいビートやアレンジと融和させて、フューチャーな令和最新型のJ-POPを作りたいなぁと思って活動しています。
まずは勢いで偉い人に連絡したヤフーで大企業のスケールと刺激を体験させてもらった話
ヤフーには2015年新卒で入社しました。在籍は2年半なのですが、学生時代からクロコスというヤフーにM&Aされた会社でインターンしていたので、六本木のミッドタウンにあるヤフーのオフィスには5年ほど通っていました。
そもそもは、ヤフーの小澤さんのこのFacebook投稿を見かけて、メッセージを送ったのがきっかけです。
スタートアップ界の有名人である小澤さん(現・ヤフー株式会社社長)のことはその時は存じ上げなかったのですが、「あ、これは行ったほうがいいやつだ!」と、本能的に感じたのを覚えています。自分は経済学部出身で文系ですし、エンジニアとしてはほぼ独学で未経験だったのですが、子会社(クロコス)で修行生」という形でインターンをさせていただきました。ここでエンジニアとしての土台ができました。その時お世話になった皆様にはとても感謝しています。
もしかすると、この時に勢いでメッセージを送っていなかったらエンジニアをやっていなかったかもしれないですし、そもそもIT業界にいなかったかもしれません。人生というのは些細なきっかけで大きく道が変わるものなんだなとつくづく思います。こういう時に「とりあえず飛び込んでみる」というのは今の自分の指針になっています。ちなみにインターンの時にはこんな旅関連の新規事業の立ち上げに参加しました。
インターンでの刺激的な経験からヤフーに興味を持ち、15年度に新卒で入社させていただきました。主に、ショッピングカンパニーという部署の中で、Yahoo!ダイニング(現 paypayグルメ)という新規事業の飲食店予約サービスの開発をした後、Yahoo!トラベルという宿泊予約サービスの開発を担当しました。実際に生活や決済に関わるサービスを開発し、運営する喜びと責任を凄く感じ、仕事に無我夢中で2年近くが過ぎました。
前述した音楽ユニットcitrusplusとしての活動を始めたのはこの頃です。実は就職の時に音楽への温度が少し下がってしまいました。ギターのコードよりもプログラムのコードの方に興味が出てきたというか、ロックスター的なかっこよさを当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったマーク・ザッカーバーグとかに感じていたりしていて、ITの方が表現活動として面白そうだなと思っていました。
入社から2年が経ってヤフーの仕事もだいぶ回せるようになり、少し時間の余裕もできて、ある日、ふと久々にスタジオに入ったら楽しさを覚えました。なんとなしに曲を作ったらそれがSNSで褒められて、しばらく忘れていた充足感を感じました。
2年もたつとぼちぼち転職者もでてくる頃で、仲間うちでもそんな話題もでるようになりました。僕はもともと音楽で身を立てながらも自分でWebサービスを作ったり起業したいと思っていたので、エンジニアはそのための手段に始めた感じだったのです。なのでこのまま長期的に大企業のエンジニアとしてのキャリアを進めていくことに関しては正直悩んでいました。
大企業ならではの安心感はある一方で、大きな組織の開発職となると大枠での仕事内容が決まってはいるので、もう少し、企画の上流的なところから関わりたいという気持ちも出てきました。
起業したいけど。人生を掛けれるほどやりたいテーマが見つかってるわけではない...→勢いで飛び込んだスタートアップの学びの話。
そんな時にちょうど、動画系スタートアップの会社に誘って頂きました。こちらも本能的に「とりあえず飛び込んでみよう」と思い、2017年の秋に転職をしました。話をもらって1週間くらいで退職報告をした気がします。
もともと学生時代スタートアップでインターンしていたのもあり、大企業→スタートアップに移ったことによるカルチャーショック的なものはありませんでしたが、当然ながら設備も仕組みも大企業ほど整っていないので「大企業ってすごかったんだな…..」と思ったのを覚えています。
2人目のエンジニアとして入社し、半年ほど経った頃、事業責任者になりました。大きな会社のように各分野に専任担当を配置しているわけではないので、割り振りながらも開発・広告運用・マーケ・SEO・採用・プレスリリース作成...…幅広い職域を経験しました。自分の事業をやることになったら全てやるべきことではあるのですが、大企業にいたら身につかなかったであろうスキルをたくさん身につけられました。
また、マネジメントも初めての経験だったのですが、”あちらを立てればこちらが立たず”みたいなことは多々生じたり、メンバーがやりたいことだけをやってもらう状況を生み出すのは難しかったりしました。立場で考えるべきことってだいぶ変わるんだな痛感し、ヤフー時代にマネージャーに不満を言ったりしていた自分を恥ずかしく思いました。
経験してみないと分からないことってたくさんあるな。大きな組織のメンバーであることと、スタートアップのメンバーであることで脳の使い方は結構変わるなと。何かやりたいことがあったり、迷っていることがあるならとにかく経験したほうがいいとの確信がいっそう強くなりました。
とても充実した日々を送らせていたきましたが、音楽活動との時間の折り合いをつけることが段々と自分の中で難しくなってきました。そして自分を整理する時間をとるために、2019年秋にフリーランスになることにしました。
そして勢いでフリーランスへ(さまざまな組織や会社を体験して)自分がしたいことは何かが(段々)明らかになった話。
フリーランスになってからは、音楽レーベル、IT、スクールや検定の事業まで、様々な業種の助っ人としてエンジニアとして開発案件に携わるかたわら、SaaSスタートアップでPdMをしつつ、池尻大橋に作った自分のスタジオで音楽を作っていました。そんな中、コロナがガツンとやってきてしまいライブ活動もなくなり。段々誰とも会わずに楽曲制作や仕事をするうちに段々気が滅入ってくるのを感じました。
そうした悶々としてるタイミングで、離島や限界集落で事業や投資をしているローカルツーリズム株式会社の糀屋さんと知り合いました。
糀屋さんは先に同社にジョインしていた高橋ひでつうさんから紹介されました。ひでつうさんとは僕が学生時代に氏が会長の一般社団法人日本ホームパーティー協会のおでんパーティーに飛び込んだのがきっかけで知り合ってインターンをしていた時からのご縁です。そういえばこの時も面識ゼロでした(笑)。
糀屋さんの考える地域循環経済を実現するために案件をウェブの世界の人の視点から見てほしいと誘っていただいたのもあり、今はフリーランサーなんだしとこれまた勢いでしばらく同社の投資先でもある福岡県の離島の大島の一件宿のMINAWAに行くことを決めました。
僕はバックパッカー経験もなく、旅は好きだけど、旅の偏差値としてははそんな高くなかったと思うのですが、なぜかこの時は「今すぐいかなければ」という使命感とタイミングを感じて大島行きのフェリーに乗りました。コロナ渦で厳戒下の東京とは違った空気やゆったりとした時間の流れる離島でしばらくぼんやり滞在しているうちに、自分の中で何かが音を立ててはまっていくのを感じました。
東京の仕事は島で糀屋さんがやってるシェアオフィスumibaに快適なWiFiがあり、問題なく進められました。フリーランスとして「旅をしながら働く体験」が腹落ちしました。
そうだ〇〇したいな…….から勢いで会社の立ち上げへ
….の前に。話長くなりましたので今までの流れを一度整理します
ITと音楽の2軸の人生だったのですが、コロナ禍中にローカルツーリズム社に関わることになり第三の軸に「旅」が加わりました。
そしていよいよ2022年。勢いで起業を決意。→音と旅と株式会社」→で、どんな会社?
大島のワーケーションから戻り、フリーランスの仕事やローカルツーリズムの様々な領域の投資事業のお手伝いをしながら、特に宿という事業に興味が出てきました。思えば大学時代にインターンで手掛けたのも前述の宿泊系のサービスですし、Yahoo!トラベルにもいたので点が繋がった感じです。
繋がった点は経験だけではなくて、人もです。
フリーランスである立場だからこそ、僕が音楽をしていたからこそ、ここ数年で出会ったり再開した幅広い領域のメンバーとこの会社をスタートさせます。
Visual Directorであり映像や写真も手がけ、様々なメディアや大手企業のプロップスタイリングや、Instagramアカウントの運営も担っている久林紘子さん。アーティスト・空間選曲家で、オリンピック会場や渋谷区役所などの公共施設のBGMも担当し、渋谷花魁などの人気店舗やホテルのアートプロデュースも手掛けるカワムラユキさん。一般社団法人日本ホームパーティー協会の会長でありホームパーティーやフードやテーブルスタイリングのトレンドやマーケティングの造詣が深く、ホテルマニアのひでつうさん。日本でも有数の音響小売企業であり音楽メーカーやアーティストから尊敬を集めるオタイオーディオのようすけさん。大手新聞社出身で、旅行について造詣が深いエディターでありライターのミサックスさん。数多くのレンタルスペースやローカルツーリズム社の地方創生の事業を手掛けてきたファイナンスのプロの糀屋さん。
例えるならギター布袋寅泰、ドラム YOSHIKI、ベース亀田誠治、キーボード小室哲哉みたいなとんでないアベンジャーズなバンドのような体制です。しっかり結果を出していかないとなと思っています。
ちなみに会社名ですが。散々メンバーと悩んだのですが「音と旅と株式会社」にしました。部屋とYシャツと私……的な90年代的なJ-POPタイトルというか、分かりやすくて気に入っています(笑)。
音と旅と株式会社はホテル事業を支援する会社です。我々には3つのtoB事業(とその先の一つの夢)があります。
いま、音と旅と株式会社が行っていこうと考えている業務は以下になります。
1.音楽を活用したホテルのコミュニティスペース化
音楽を活用し、宿泊者にも地元の人にも開かれたサードプレイスとしてのホテルの賑わいを創出していきます。空間選曲や音響、イベントオーガナイズ等各領域のプロフェッショナル達が、ロビーやバーからレストラン、そしてウェディングなどのバンケットやイベントまで、宿泊施設の既存の空間リソースを活かして、音を使ったブランディング支援のサービスを提供します。ホテルが賑やかなフェス会場のように、荘厳なクラシックコンサートホールのように、パワフルなクラブやライブハウスのように。音楽の力で空間に力を。
2.ローカルの魅力を活かした宿泊プランのプランニング代行
旅とホテルを知り尽くした我々メンバーが通過してきたカルチャーの目線から、ホテルと周辺エリアの魅力を徹底的に再検証し棚卸してリミックス。リピーターを呼び込むバリューのある宿泊プランを構築します。観光資源、食、文化、アート、そしてワーケーションやホカンスなどのホテルステイの提案まで。オリジナリティ溢れる差別化された魅力的な付加価値のあるプランを季節に合わせて立案を代行し、各種ソーシャルメディアを活用したマーケティング支援をしていきたいです。
3.テクノロジーでホテルをスマートに。宿泊体験をスタイリッシュに。
僕はエンジニアとして生きてきたので、ITやウェブサービスの力で宿泊者に驚きを、働く人に快適さを提供したいと考えています。非日常を体験するはずの客室のAV機器が自宅を下回るということは損失だと思っていますし、IoTを活用したタブレットや音声認識とリンクしたオリジナルAVシステム(世間のスマートスピーカーは音質が寂しいので)の開発などにも取り組んでいきたいと考えています。ですので、エンジニア大募集中です! フロントサービスやルームサービス、周囲の観光情報のコンシェルジュ機能のクラウド化などにも取り組んでいけたらと思っています。
僕らはもったいない空間をリミックスしてアップデートしたい→『ホテル内ホテル』をやりたいです。
1、2、3を手がかりにして、ゆくゆくやっていきたいなと思っているのが、『ホテル内ホテル』(仮称。かっこいいプロダクト名考え中)です。
コロナ渦を経てインバウンドが復活しつつあったり、観光需要がリベンジされていく中で、歴史やポテンシャルのある施設を保有していても、それを活かしきれていないもったいないホテルが多いなと思っています。しかしフルリニューアルはコスト的にも、従来のお客さんが離れるリスクもありなかなか踏み切れないという経営者の方々も多々いらっしゃると思います。
そこで僕たちが提案したいのは、1万5千円の部屋を二つ潰してコネクティングして、6万円のジュニアスイートルームをつくりませんか、ということです。使っていない家族風呂をサウナに。稼働していない宴会場をチェックインできるようなクラブラウンジに。施設だけでなく、カルチャーのエッセンスをとりいれてストーリをゲストに。我々はコンセプト設計から資金調達のサポートまでまるっとお手伝いができます。このあたり、詳しくは後日別エントリにてお伝えできればと思います。
最後に
以下はフリーランスになった数年前、僕の個人noteに書いていた決意です。恥ずかしくてもう削除してしまいましたが、ここに再掲します。
僕は「年齢」や「生活」を理由に創作活動を諦めなくていい世の中にしたいと思っています。音楽キャリア自体は長いものの、ユニットを組み始めたのも社会人になってからで、正直開始タイミングは遅いほうです。
やっぱり20代で夢と生活どちらかを選択せざるを得なくなって、諦めちゃう人が多いと思うんですけど、今の時代では必ずしも諦めなくてもいいんじゃないかなと思ってます。実は、社会人になってから本格的に活動を開始したアーティストはそれなりにいたりします。スガシカオさんは有名ですが、アジカン・サカナクションや最近だとポルカドットスティングレイやofficial髭男dismなどもそうです。
一昔前だと音源制作→リリースするのにそれなりの資本が必要だったので、資本を用意する側(レコード会社)も若くないと投資対象として見づらかったといったの事情がありましたが、今はDIYでも色々できちゃうので、個人が全然賄える範囲で音源制作→リリースはできます。音楽以外もそういう構造になってきてますよね。YouTuberみたいな。
今回起業するにあたりこのnoteで自分の人生を振り返ると、勢いで飛び込んできたことが繋がってきたなと改めて思いました。『年齢』や『生活』の不安がある中でやりたいことがわからなくても、とりあえず勢いで並行してパラレルキャリア的に複数のことをやってきたことが、徐々にひとつの大きな流れになってきたなと思います。音楽をしてきたからこそ得られた視点や繋がり。これからも僕はミュージシャンでありたいので。音楽活動は続けますし、バンドのように会社で皆とセッションしていきたいです。多種多様なバックグラウンドを持った人が自分のアートを表現できる世界のほうが絶対に楽しいと思うので、そういった世の中にしていきたいし、そんな場所を作りたいし。この会社で証明していきたいと思います。
僕の長い話はここで終わりです。
クライアントとして興味をもってもらえるホテル関係の方はもちろん。僕らとセッションしてくれる、ディレクター、エンジニア、デザイナー、クリエイター、アーティスト、ライター、設計や建築領域の方やホテル業界のみならず様々な方々。出資に興味のある方ももちろん。インターンも募集中です。勢いでSNS経由で連絡してきてください!Instagram、Facebook、Twitter、どれでもOKです。
また、毎月第三木曜にはここにいます。ぜひリアルにお会いして、雑談しましょう。
この会社が最後にオーケストラになるのか、スリーピースになるのか分かりませんが、ソロにはならないようにします! 最後まで読んでくれてありがとうございました!
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