無の境地で臨む左胸へのお水やり
左胸にガンがあることが発覚し、まず私が希望したことはガンの摘出です。その結果、私は左胸の乳腺を全て失いました。何もしなれば左胸はぺちゃんこのままです。それが嫌だった私は、左胸を取り戻す作戦を形成外科の先生に遂行してもらいました。
■左胸を取り戻す下準備
左胸の乳がんが発覚し、乳腺外科の主治医の先生から提案された治療は、乳房全摘と同時に乳房を再建を開始するという方法。一次二期再建と呼ばれるものです。そして、私はそれを実行してもらうことにしました。
私は、形成外科の先生とは、手術前に1度しか会っていません。手術当日も会うことありませんでした。
乳腺外科の主治医のように信頼関係を作る時間は、ありませんでした。
初対面の先生への印象と、主治医の「きれいな胸を作ってくれる先生」という言葉を信じて手術に臨みました。
乳腺の切除は、主治医である乳腺外科の先生が行いました。乳腺の切除が終わると、すぐに形成外科の先生が、大胸筋の下にティッシュ・エキスパンダーとよばれる組織拡張器を入れくれました。
この時、ティッシュ・エキスパンダーには、約80ccの生理食塩水を入れたそうです。
術後は、エキスパンダーで数ヶ月かけて乳房内のスペースを確保し、皮膚を伸ばしていきます。
■注入中の微妙な間
退院の1週間後。
形成外科の先生との2度目の対面です。
2回目のエキスパンダーへの注水です。
胸に入れられたエキスパンダーには、生理食塩水を注入するため入口の目印として金属がくっついています。それを皮膚の上から小さな磁石で探し当て、注射針をさして胸にお水を入れていきます。
探しあてる様子は、まるでダウジング。ある意味、水脈を探しているのだからそうかもしれませんが。
胸にお水を入れていく作業は、なんとも不思議。
乳腺を切った時、神経も切られているので、左胸は針が刺されても何も感じません。
さらに、乳頭・乳輪もないため、自分の羞恥心もなぜかありません。自分の胸なのに、自分の胸じゃない感じです。
先生は、それでも慎重にお水を黙々とエキスパンダーに入れていきます。
その間、微妙な空気が流れています。
初診の時に感じた胸を晒すという恥ずかしさはありません。
自分の胸のなのに自分の胸という感じがないため、なんだか、クマのぬいぐるみなった気分です。ボロボロになったクマのぬいぐるみの補修を先生がしてくれているという感じです。治療というようより、作業。
先生にとっては、私は人間の患者さんなんでしょうが、私にとって形成の先生は、ぬぐるみの先生という位置づけに。可笑しなマインドが形成されました。
■骨がミシミシ
エキスパンダーに生理食塩水を注入しているとき、私は痛みを感じませんでした。
ただ、回を重ねていくと、胸にお水を入れているなぁという感覚はありました。
入れた直後は痛みはないのですが、翌日から痛みが出てきました。
生理の前に胸が張ってくるような痛みと、あばら骨が引っ張られるような痛みです。
私が辛かったのは、あばら骨がグイっと引っ張られるような持続する痛みでした。それが、数日間続きました。
エキスパンダーにお水を入れる作業は、2週間おきに繰り返されました。
お水を入れて次の注入日の2、3日前になるとようやく痛みが治まります。
ところが、すぐにお水やり。そして、痛みの継続。私の場合は、痛みとの戦いでした。
■人工物を入れているという不安
エキスパンダーは人工物です。そのため、風邪などの感染症やケガには注意するように先生からいわれていました。
特に注意をして欲しいと言われたのが、うつ伏せで寝ることや長時間の胸の圧迫、左胸への強い衝撃です。これは、エキスパンダーの破損に繋がるということでした。
人工物を身体に入れるということは、注意すべきことが多いようです。
自分の身体に、細心の注意を払って生活することなど、私の人生では皆無。先生から伝えられた注意事項を守れるかとても不安でしかたがありませんでした。
■全4回で終了
私の乳房再建を担当する形成外科医の先生は、エキスパンダーへの注水回数は少ない回数で行っていきたいと考えていました。
私の場合は、手術の当日の注水を除いて、全部で4回で終了しました。
8月の末に乳房全摘の手術を受け、11月の下旬にエキスパンダーでの胸の拡張作業が終了した感じです。
■安定期
お水でほぼ満タンになったエキスパンダー。いよいよ左胸の拡張が安定するの待ちます。その期間は、最低でも4ヶ月から6ヶ月。
エキスパンダーが最大限に膨らんでいるので、以前にも増してより注意事項を守ることが大事と先生からの通告。
しばらくは、じっと待つのみです。
この時期の心理は、とても前向き。ワクワク感が少しありました。
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