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私にとっての『エセー』 - 思想を文章化するという試み
16世紀に生きたミセリュ・ド・モンテーニュという人は、自らの知性を『エセー』という大著の中に閉じ込めた。
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『エセー』とは「エッセイ」という意味ではなく、「Essais(随想録)」という意味で、モンテーニュ自身の経験や思想をもとに、多種多様な分野について考察がなされる「試み」として書かれている。
この本を初めて読んだ時、「なるほど、こういうやり方があったのか」と感心したものだ。
私がこの世に生まれて30年が過ぎたが、これまでの人生、私は自らの知性を頼りに生きてきた。
他の人から見れば取るに足りないような知性だが、それでも私にとっては唯一の頼れるもの、寄る辺だったのだ。
そんな私の知性、つまりは私がこれまで考えたことや体得したことの結晶が、私が死ぬことによって無に帰してしまうのはちょっと勿体ないことだなと若い頃から感じていた。
そんな折にモンテーニュの『エセー』と出会い、諸事情によって時間が大量に出来てしまったのもあり、「ここはひとつモンテーニュを見習って自分の思想・思考を文章に書き記してみよう」という気になってきた。
取るに足りない私の知性で、しかも他人に自慢できるような人生を歩んでこなかった私が、拙い文章を書いても何にもならないと思う。
実際、この試みが何かに繋がるかもしれない、とは全く期待していない。
「私の文章を読んで欲しい」という導線を用意するつもりもさらさらない。
ただ、「今の自分の思考を文章に書き記した時、果たしてどのようなものが出来上がるのかやってみたい」という、興味本位での試みでしかない。
万が一、読んだ人にとって何かプラスの効果があったならば、それは望外の喜びとなるだろう。
厭世主義者で虚無主義者で懐疑主義者、かつ功利主義者で快楽主義者
私には他者に自慢できるバックグラウンドが何もないため、まずは自分がどういう主義なのかを記載しておく。
簡潔に言うならば、私は「厭世主義者で虚無主義者で懐疑主義者、かつ功利主義者で快楽主義者」、つまりは「この世や人間はろくでもなさ過ぎて失望しきっているが、それでもどうにか個人としての幸福や善を追い求めたい人間」である。
はっきり言うと、私はホモ・サピエンスという人類全体に失望・絶望している。そんな中で、どうにか残された人生をなるべく幸福に生きたいと願っている。
こんな心境に達するまでには紆余曲折あったのだが、恐らく今後の人生も大きなスタンスは変わらないだろう。
一応の補足も付け加えておく。
厭世主義者(ペシミスト):「この世界は悪と悲惨に満ちたものだ」という人生観で生きる人
虚無主義者(ニヒリスト):「世界や人間の存在には本質的に価値はない」という考え方の人
懐疑主義者:基本的原理・認識に対して「本当に正しいのかどうか」を疑い深く考える人
功利主義者:「最大多数の最大幸福」という言葉が象徴するように、関わる人の幸福を追求する人
快楽主義者(エピクロス派):個人的な「快い状態」「心の平静」を追い求める人
一見すると矛盾しているように見えるかもしれないが、そうではない。
私は「ホモ・サピエンス」という人類の大枠に対して失望しているものの、その中に極少数の素晴らしい人たちがいることを知っている。
大多数のろくでもない輩とは極力距離を置き、素晴らしい人達との交流を楽しみ、もし素晴らしい人たちの幸福の一助となれれば、それが自分の幸福なのである。
実際、現在の私は人付き合いが極端に少なく、年に数回友人と会う程度のものしかない。これまで信じられないほど愚劣な奴等と関わって散々な目に遭ってしまったために、そういったろくでもない連中との付き合いを可能な限り避けるようになったのだ。
今では会社勤めではなく1人会社の社長として、1人で生計を立てて1人で生活している。
孤独な生活ではあるが、私の本質に非常にマッチした生活を送れている。
そのため、派手な幸せこそ無いものの、苦痛もストレスもない快い生活に大いに満足しているのだ。
住処もヘンリー・デイヴィッド・ソローの『森の生活』から大いに影響を受け、山梨県の山中湖村という美しい湖と富士山が見える場所に引っ越した。
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四季折々の美しい景色を見せてくれる山中湖は、私の心に安らぎと感動を与えてくれる。本当に引っ越してきてよかったと思う。
人混みを離れ、美しい自然を見ながら心安らかに過ごし、様々な本を読みながら思索にふける生活を送っていたのだが、考えたあれこれを出力する場がこれまでなかった。
そんな中、仕事の都合が数カ月間空いてしまい、暇になった折に『エセー』と出会ったため、「よし、いろいろ書いてやろう」と決心したのだった。
これから書く内容は私の個人的な考えでしかなく、「一切共感できない」という内容も多々出てくるだろう。
ここまでの文章だけでも「何言ってんだこいつ」とか「痛々しいな」と思われてしまっているかもしれない。
それでも、モンテーニュのように「自らの思想を文章化する」という、私なりの「エセー」をやってみようと思う。
何が起こるかわからないし、何も起きない可能性のほうが遥かに高いと思う。
それも含めての「エセー(試み)」なのである。