南米移住、パラグアイ、つづき3
前回の続きです。
さて、そんなこんなでパナマで途方に暮れてしまった僕。
さて、これからどうしようと考え込んでしまった。
冷静に考えて、もう一回受けてる接種をまた100$もの大金をかけて受けることは非常に憚られた。
どうしても接種はもう受けたくない、しかし、それではもう先に進めない、しかしどうしたものか、、
そこでふと考えた。
パナマからどうにか面白いルートで日本に帰れないか。
僕は航空券の比較サイトで面白そうなルートを探し始めた。
すると、パナマからドミニカ共和国に行くのが安いのを見つけて、しかもドミニカ共和国からアメリカに行くのも割りと安かったので、元々野球が好きで、ドミニカ共和国出身の選手が数多くメジャーや日本球界にも所属していることは知っていたので、興味津々なドミニカ共和国へまずは飛ぶことにした。
パナマからドミニカ共和国へは一度コロンビアをトランジットする必要があり、一度コロンビアに入国し、次の日にドミニカ共和国へ飛び立った。
あんな辛い思いをしてまでパナマまで行ったのに、あっさりとコロンビアにとんぼ返りだったので、僕はなにか複雑な心境になった。
前にコロンビアで泊まっていたホステルにまたチェックインし、そこのスタッフにもツッコまれ、少々気恥ずかしい思いだった。
さて、こんなこともあり、初のドミニカ共和国に入国した。
僕は日本に冬には帰りたくなかったので、暖かいドミニカ共和国で冬を越そうと思い、一ヶ月間海沿いの町で過ごすことにした。
その際に、アパートなどは借りず、Airbnbという民泊サイトで普通の家族の家の一室を借り、そこで一ヶ月間過ごした。
そこがなかなか香ばしいところで、そもそもスラムの中に家があり、家族がまあ問題があって、色々トラブルもあって遂には訴訟沙汰になってしまった、ここらへんの事情はおいおお別の記事にまとめようと思います。
それでなんだかんだあって、なんとか一ヶ月間のドミニカ生活を終え、その次はドミニカ共和国があるイスパニョーラ島の隣の島でアメリカ領であるプエルトリコへフェリーで渡った。
このフェリーはパナマへ渡ったときのオンボロボートとは違って、ちゃんとした船で、本当に安心してプエルトリコへと渡ることができた。
プエルトリコはアメリカ領なので、もちろんアメリカの他の都市には国内線となるので、面倒な入国審査もなく、飛行機代も非常に安かった。
プエルトリコはアメリカ領なのだが、国民はラテンで、スペイン語を母国語としている。
しかし、僕は明らかに他のラテンアメリカ諸国と雰囲気が違うのを感じた。
確かに、国民はスペイン語を話し、明るく、音楽に溢れている。
しかし、なんだか僕にはしっくりこないのだ。
道も建物もなんか妙にキレイで、人の感じも妙に丁寧で洗練されている。
アメリカ領だけあり、治安もよく経済も比較的良く、他のラテンアメリカの国とは全く状況は異なるのであろうことは容易に理解できた。
だがしかし自分には非常に物足りなく感じた。
別にプエルトリコが悪いところだというのではなく、ただ単純に自分には先進国というものは性にあわないのだろう。
ドミニカ共和国とプエルトリコ、同じスペイン語を話し、同じラテンアメリカの国民の国であるが、全く異なる国があることを経験した僕は、プエルトリコを後にして、アメリカ本土のサンディエゴへと飛び立った。
つづく。