南米移住、パラグアイつづき2

また前回からの続きです。

友達からのチケットのプレゼントを受け取った僕は、ベリーズから一度出たメキシコはカンクンにもう一度戻り、意気揚々とガラパゴス行きの飛行機に乗り込みました。

まさか他人のお金で飛行機に乗れる機会があるとは夢にも思ってなかったし、しかも普段はLCCばかり乗っているので、普通のキャリアの飛行機なんてまあ長いこと乗ってなくて、本当に内心はウキウキしていたけれども、なんか航空会社のスタッフや他の搭乗者には悟られたくなく、あたかも、私慣れてますよ、普通ですよ、みたいな雰囲気で通していた、僕にはそういう節がある。

機内食なんか出たときは正直内心ではテンションが凄く上がり、飛び上がりたい気持ちだったが、冷静を装って静かに食べた。

そしてキト、グアヤキルと乗り継いで、遂にガラパゴスへと降り立った。

ガラパゴスはもちろん知ってはいたが、お金がかかると聞いていたので、まさか自分が行くなんて想像もしてなかった。

そこで空港まで出迎えてくれた友達と合流してガラパゴス観光へと繰り出した、丁度9日くらいだったと思う。(ここらへんのことはまた別の機会にでもじっくりと書きたいと思います。)

そして楽しい時間もあっという間に過ぎ、ガラパゴスを後にして、エクアドルはグアヤキルという国内最大の都市に着いた。

これが自身初の南米であった。

エクアドルに着いた僕はこれからのルートを考えていて、もうどちらにせよ長く旅を続けるだけの資金がなかったので、南下してペルーや他の国々も周りたかった気持ちはあったが、その気持ちを圧し殺して日本に帰るルートを取ることにした。

初めての南米はとにかく新鮮で、陽気な人も多く、あまり細かいことを気にしない国民性もあって凄く気に入った。

メキシコに行ったときは観光地過ぎてよく雰囲気は分からなかったけど、ラテンアメリカの気質を存分に感じることができた。

そのつぎはエクアドルを陸路で北上してコロンビアに入国した。

コロンビアもエクアドルと雰囲気が似ていて、なかなか気に入った。

そしてコロンビアを更に北上して僕は陸路でパナマに入りたかったが、どうもパナマは陸路が繋がってないらしくて、飛行機か船で行くしかないらしかった。

僕は旅をするならなるべく陸路で行きたいと思っているので、飛行機に乗るのはやめて、コロンビア北部の町からパナマまでの船に乗ることにした。

これがまた地獄のような船だった。

船と言ってもボートみたいな粗末な船で、しかも当日海が荒れており、波を乗り越えて進む旅に船体がジャンプして宙に浮き、着水するときの衝撃がすさまじく、この度に強烈なボディーブローを食らったくらいの衝撃が体を襲うのである、しかもその航行がなんと8時間も続くのである。

もうただひたすらに耐えるしかなく、途中で降りるわけにもいかず、泣き出したいような気持ちになったがなんとか必死に耐え続け、パナマに入国した。

当初のプランだとパナマから中米を北上して、それからメキシコにもう一度入り、更に北上してアメリカに入り、それから日本へ帰国するつもりだった。

コスタリカに入るのに黄熱病の接種証明であるイエローカードが必要だと知っていて、しかし、僕は自分の不注意でイエローカードを盗難されており、パナマで取り直すつもりだった。

それで、首都パナマシティにある病院に行ってみると、受付の所に紙が張られており、その内容は黄熱病の接種の料金の値上げだった。

まあ、しょうがないか、と見てみると、5$→100$と書いてたので僕は目を疑った。

まさに膝から崩れ落ちるような気持ちだった。

しかも日付をみてみると、今月の頭からと書いてある。

僕はパナマに月の始めに入国したので、つまり、あと何日かだけのタッチの差で95$もの差が生まれてしまったのである。

僕はこの運命のいたずらに頭を抱えてしまった。

つづく。

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