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[閑話]旅紐の流儀

旅をするときに僕が大切にしていることは何だろうかと考えてみた。

僕と女神ちゃん(妻)の旅は、ただ観光を楽しむというよりも、二人の時間だったり、日々の疲れを癒すことだったり、自分たちを労うためという趣旨が強い。

なお、これまでの旅では何かを意識してきたわけではないから、ここで示す旅紐の流儀はこの先の旅で、僕が大切にしたいことである点を前置きしておく。

旅紐の流儀

前提として、旅紐が旅をさせてもらえるのだから、僕には権限がないということを忘れてはいけない。日常だろうが、非日常だろうが、僕のお役目は女神ちゃんのお世話をさせてもらうことなのだ。

流儀:行き先

さて、僕たちの旅では、基本的に夫婦で旅先を決めるということはない。
女神ちゃんが行きたいと思った時が旅どきであり、僕から旅に行きたいと望むことはない。これは旅紐の流儀として基本だろう。
連れて行ってもらえるだけでありがたいのだ。

ただし、旅に行くと女神ちゃんが思い立ってから、行き先を一緒に考えることはある。どこの温泉地が良いかとか、どこの神社に行ってみたいかとかを聞かれれば、僕自身も考える。もちろん、採用されるかどうかはどっちでも良い。このマインドも大切かも知れない。

お宿についても同様である。
僕はこだわりがないし、稼いでいない分の自己バイアスがあるから、正直、お宿選びは向いてない。なので、色々と旅先の宿を調べはするけど、選ぶことはない。

ちなみに、旅先もお宿も旅に出る前日に決まる。女神ちゃんが思い立つのは大体、前日とかだからだ。

流儀:移動

続いての流儀は、移動について。基本は車移動なので、運転手は僕である。

とは言え、行きしは一〜二回の休憩を挟めば、四〜六時間は走れるが、帰りは時間帯によっては眠くもなることがあるので、たまにSAなどで仮眠はする。

ここしばらくはシトロエンのベルランゴでの移動だけど、SUVに買い換えることになったので、また乗り心地含めて、運転心地も変わるだろう。ベルランゴの前もRAV4だったけど、一年経たずにベルランゴに乗り換えた気がするので、運転の感覚とかも覚えていない。

とにかく、遠出することも多いから、運転で疲れにくい車が良い。
夫婦の二人旅だと、荷物もさほど多くならないので、軽自動車でもキャパは問題ないけど、多分高速の長時間運転には耐えれない。年齢を重ねれば重ねるほどにそうだと思う。

流儀:参拝

これは流儀と呼べるものではないかも知れないけれど、僕たちの旅では神社に詣ることが多い。
女神ちゃんは、呼称の通り、スピリチュアルを超越した類の存在なので、神様からお声がかかる。お声がかかるから神社に行く。
僕は歴史が好きだから神社に行く。呼ばれるとか、感じるとかそういったことはない。
で、参拝するのは何もあやかりたいとかそういうのではなく、その土地の神様に知ってもらうために詣る。

どこどこのこういうものです。
こんなことを頑張るので、応援してください。
って感じ。

僕の場合、たくさんの神様に応援してほしいと思っている。

流儀:奴隷

僕個人が自称している呼び方なので、額面通りに受け取らないでもらいたいんだけど、僕は女神ちゃんの奴隷として、身近な「あれして、これして」をこなしている。
例えば、喉が乾いたと言われれば、飲み物を部屋まで持って行くし、甘いものが食べたいと言われれば、コンビニまで走る。
この心持ちは普段の生活からそうだから、旅の間だけってことではない。

旅紐ができる大きな要素は、この心持ちにあると思っている。
日常では世間一般の男性も働いているわけだから、そこまではできないかも知れないけれど、旅紐を実現させるなら、それくらいのことを喜んでこなせてなんぼだ。

ちなみに旅紐夫は、妻がより稼げるようにするための生き方だ。

また、ここにもう一つ付け加えるなら、フットワークが軽いってこともあるかも知れない。

流儀:気持ち

気持ちは夫婦であれば大きな問題はないだろうけど、好きであること、愛していることをちゃんと伝えることは日々の生活でも大事だと思っている。

僕は、三年以上ほぼ毎日手紙を書いている。と言っても、便箋一枚だけど。
そして、もちろんこれは女神ちゃん宛だ。

それと、これはお金がある時に限るが、毎月の記念日にもバラの花を三本ずつプレゼントしている。

このように気持ちを伝え続けることも僕は大事だと思っている。

これらが流儀と分類できるのかどうかは分からないけれど、ようはどれだけ伴侶を想い、その想いを伝え、相手の想いに共感できるかみたいなところだ。

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