第二次大戦中のグラフ誌たち
1939年、第二次世界大戦勃発。
この頃に、日本では海外に向けたプロパガンダとしてグラフ誌「NIPPON」と「FRONT」が誕生した。
この時代、日本は海外に向けて何を目的にどんな表現で何を伝えようとしたのか気になったので調べてみることに。
日本のグラフ誌「NIPPON」
名取洋之助を中心に1934年に出版された「NIPPON」。
名取は日本の国際情勢を欧米諸国の読者に向けて、西欧流の編集とコラージュなど芸術的表現写真を駆使して日本を紹介することに注力し、読み物としての「報道写真」を初めて日本に持ち込んだ。
写真の大小や順序などのレイアウトによって事柄をストーリーとして見せるルポルタージュ・フォトや、複数の写真の合成で構成するフォト・モンタージュなどの技法が多用されている。
日本の印刷技術の優秀さを海外にアピールすることも目的のひとつであり、書体、印刷、造本、紙質等も含めて、極めて高い質にこだわった。
デザインに山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策、写真家に土門拳などが参加。
日本のグラフ誌「FRONT」
1939年に第二次世界対戦が勃発、1942年に「FRONT」が出版される。
「FRONT」は友好国・占領地域・中立国・敵対国といった日本国外の地域や民族に対し、日本の国威・軍事力・思想等を誇示する狙いがあった。
モンタージュや特異なアングルからの写真を駆使し、日本軍はアジアの侵略者ではなく、アジアを解放する知性と実力をもった軍隊であることを訴えるものになっている。
「FRONT」を見れば日本がアジアの人々にどんなイメージを持たせようとしていたかが分かるのが面白い。
デザインは原弘、写真家には木村伊兵衛などが参加。
「FRONT」はソ連の対外宣伝グラフ誌「USSR in construction(ソビエト連邦建設)」の表現手法を参考に制作された。
ソ連のグラフ誌「USSR in construction」
「USSR in construction」は、1930年に出版されたソビエト連邦で起こっている進展の前向きなイメージを世界に知らせるための対外宣伝向けプロパガンダ・グラフ誌だ。
マキシム・ゴーキーが設立し、ロシア・アヴァンギャルドを引率したエル・リシツキー、アレクサンドル・ロトチェンコらが編集者や写真家として参加し、ロシア・アヴァンギャルドで多用された表現手法が随所に盛りこまれている。
アメリカの「LIFE」「LOOK」など、他国の雑誌に大きな影響を与え、日本の「FRONT」は、極めて強い影響を受けた原弘らのアートディレクションのもと、この『USSR in construction』の日本版を目指して制作されていた。
ドイツのグラフ誌「SIGNAL」
1940年にナチス・ドイツで出版された「SIGNAL」。
発行の目的は友好国・同盟国の獲得のために中立国へ向けてドイツの国力を誇示し、対外宣伝することにあり、同盟国の日本にも多く輸入されていた。
誌面のレイアウトはアメリカの『ライフ』誌を倣しており、兵器の撮影は一般にどこの国でも避けていたが、ドイツは逆に積極的に撮影させている。
まとめ
どの国も自国の主張と、他国に持って欲しいイメージをデザインと写真の力を駆使し、世界に向けて伝えようとしていたことが分かる。
言語に頼らず視覚で伝えることができるデザインの力を政治利用として使われたという点では悲しい反面、これらプロパガンダによって生まれた技法は現在のグラフィックデザインに大きな影響を与えている。
デザインは社会情勢を移す鏡であることが面白いと思った。
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