マリ_040

伝説のトゥンブクトゥへ

ガンビアのジャンジャンブレからマリ共和国の首都、バマコへは目一杯移動して、丸3日かかる。うぉ~、長~!


バマコは首都だし、ちょっとした都会を期待していたのに、何もなかった。どっかの西洋人が「街じゃなくってただの大きい村だ」と罵声を吐いてたっけ。
アフリカの都会は本当に何もない。トホホだ・・・イランやパキスタンの都会で何にもないなーと嘆いていた自分はかわいかったのだなと今になって思う。

バマコからアフリカのベニスと呼ばれるモプティへ。期待するまでもなくベニス感はゼロだった。ここは5分おきには自称ガイドがすり寄ってくる、マリのツーリズムインダストリーの中心地。この地からニジェール川を下る客船に乗り、伝説の都市、トゥンブクトゥへと向かうことにした。

トゥンブクトゥはマリ帝国やソンガイ帝国の時代に塩金交易の中心地として繁栄を極めた。時にして13世紀から16世紀の間である。当時のトゥンブクトゥの王の1人マンサムーサがメッカ巡礼を行った際に運んだ金はロバ40頭分とも言われ、それは当時、エジプトの金の価値を暴落させたほどだった。そして、その黄金伝説はヨーロッパに広まり(ジパング伝説みたいだね)、人々を、そして探検家たちを魅了したのだった。
彼らは皆、トゥンブクトゥの道路は金で舗装され、建物も全て金でできているとさえ思っていたようである。
このトゥンブクトゥを紹介したガイドブックにはこう書かれている。
「トゥンブクトゥを訪れたほとんどの旅人は、かつての冒険家と同じ思いを味わうこととなるだろう。」と。
つまりは、探検家が初めて訪れた1800年代初期には、トゥンブクトゥにはもう何もなかったのだ。

そして今、1800年と同じく、いや当時よりもおそらくもっと、ここには何もない。
あるのは小さな商店、モスク、そして砂に埋もれた道だけだ。ここは町とも呼べないような2時間も歩けば全て見れてしまうような小さな村。
ここにきた旅人が持ち帰れるのは「トゥンブクトゥへ行った」という事実だけ。ヨーロッパ人には伝説の都市へ来たという事実が非常に大きな意味を持つようだった。警察に強制的に押されてしまう、町の名前が入ったスタンプをとてもありがたそうにしていた。しかし僕はアフリカのガイドブックを読むまでこの町の名前さえ知らなかったのでなんの感慨もなかった。

でもそれだけではつまらないので、 この町に着いてすぐに、ラクダに乗って砂漠の民、トゥアレグの村を訪れに行った。

砂の絨毯の上に雑魚寝をした
満月が砂一面の世界を美しく 照らし
顔の脇では糞ころがしが一生懸命働いていた


トゥンブクトゥに行くだけで往復6日間。
広大なデルタを持つニジェール川で、小さな村々を眺めながらのんびりと進む船旅は楽しかったし、ムーア人やフラニ、バンバラ、トゥアレグなどさまざまな人々が共存している、ミックスカルチャー的なトゥンブクトゥの一面も興味深かった。
確実に砂に呑まれていく世界。
この伝説の都市が存在しえるのはあと何年だろうか?


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