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「チーム竹島の見果てぬ夢 第3章 ヨーロッパに」

第3章「ヨーロッパに」

チーム竹島の見果てぬ夢 ・・・これは30年程前に出版された本を加筆訂正し、再録しています。1990年代から始まる日本人選手の世界進出と大躍進のきっかけをつくった「チーム竹島」を助監督として追いかけた遠藤智が書くノンフィクションです。全7章、全7回でアップします。第1章「竹島将の死」 第2章「大きすぎる夢」 第3章「ヨーロッパに」 第4章「レースの興奮と空しさ」 第5章「嘘と憎しみ合いと」 第6章「夢の残がい」 第7章「クレイになれなかった男」。第1章がちょっと重苦しい空気の中で始まりますが、第2章ではチームが活動を開始、第3章ではいよいよヨーロッパラウンドへと旅立っていきます。購読よろしくお願いします。

「家族とともに飛行機で」

夕唯の泣き声でぼくは目を覚ました。気圧の変化で泣き出したのだろう。ぼくの耳もツーンと詰まったような感じになっていた。

いつの間にか窓の外が明るくなっていた。気圧が変化したのは、ジャンボが機首を下げ着陸態勢に入っていたからだった。

「まもなく当機はアムステルダム・スキポール空港に到着します。当地の時刻は午前6時でございます」

英語、オランダ語のアナウンスに続き、ただひとりの日本人スチュワーデスが日本語で話した。

ぼくの腕時計は1時を指していた。成田を飛び立ったのは4月10日の夜9時のことだった。それからアラスカのアンカレッジを経由し、北極回りでアムステルダムに到着した。出発してから実に16時間が過ぎていた。

16時間が過ぎたというのに、オランダはまだ11日の朝なのだ。日本とヨーロッパとの間には、8時間の時差がある。しかし、4月からはサマータイムになるので時差は7時間になっていた。

スチュワーデスが忙しく機内を行き来している。長い夜だったな。そう思った瞬間、シカゴの「長い夜」という歌のイントロが口をついた。「長い夜って知ってる?」「知らない」「知っているわけないよな」妻はぼくより6歳年下だった。この曲が流行ったのは、確かぼくが中学3年の頃だったような気がする。知っているわけがないか。ぼくが中学3年の時、妻は小学校の3年生だったのだから。

厚い雲が空を覆っていた。ジャンボは、機首を下げてからずっと雲の中をゆらゆらと揺れていた。「アムステルダム・スキポール空港から入った連絡によりますと、只今当地の気温は6度。天候は曇りでございます。ありがとうございました」それを聞いた妻が少し怒ったように言う。「誰よ、オランダが暖かいなんて言っていたのは」

妻の言う通りだ。思っていたよりもオランダはずっと寒い。チューリップの国オランダというイメージがいつのまにか暖かい土地を連想させていた。チューリップ、赤い、太陽、暖かい。日本を出発する時に、オランダが日本よりも暖かいといったのはぼくだった。そう言ってしまった手前、これはマズイと思った。しかし、だからといってどうなるものでもなかった。

「まだ6時だもの。きっとこれから気温が上がるよ」そのとき雲が切れた。と同時にギィーという音が足元から聞こえた。ジャンボが機体の尻を下げて着陸態勢に入ったのだ。

空港が目の高さにあった。子供用のシートベルトをつけた夕唯が、ぼくの膝の上でおとなしく座っている。「いよいよ俺たちの旅の始まりだな」と妻に言った時、オランダ航空KLM861便は2度、3度大きく左右に揺れ、滑走路を走り始めていた。

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