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タイトル「平忠彦は、いまも憧れのライダーである」

 先日、平忠彦さんの現役時代のCM特集、そして引退セレモニーのビデオを見た。若い頃の平さんがモニターの中でキラキラと光り輝いていた。かすかに覚えているシーンが記憶を完全に蘇らせてくれる。この映像を本人が見たら、時が経つというのは、どうにもこうにも照れくさいものだなあと感じるに違いない。

 パンツにジャケットというカジュアルなファッションで街中をヤマハのスクーターを押していく。街ゆく人に声を掛ける。人通りは多い。通り過ぎてゆく女性が振り向く。「街では普通の男でいたい」というナレーションが流れる。ヤマハエクセルというスクーターのCMだ。

 「自分は一等賞が好きです」というキャッチがシリーズ化されたCM。資生堂がTECH21のブランドで売り出したヘアームースは、平忠彦という2輪レーサーを知らない人がいないほど有名にした。青紫という斬新な色が特徴で、TECH21カラーの8耐マシンは、多くのファンの脳裏に焼き付いた。

 TECH21のCM撮影はアメリカで行われた。アメリカの広大な大地。片側一車線の道にバイクを止めて何も書かれていない道路標識の近くでたたずむ。もうひとつは、眩しい太陽の下でプールを洗うという設定。とにかく、かっこいい。サーキットでは、どこへいくのも一苦労。いつもどこでも平忠彦はファンに囲まれサインを求められた。「街では普通の男でいたい」というナレーションは、スーパースターの心の叫びにも聞こえた。

 その当時、ヨーロッパから帰って来たばかりの平さんと青山通りをスーパークロスが行われる神宮球場に向かって歩いていた。途中、「肉まん」を買い、食べながら歩いていると、すれ違った若いカップルが、「あれ?平じゃない?平が肉まん食べてるよ」と驚いていた。それから10分後、球場を目前にした平さんは、大勢のファンに囲まれ大変なことになってしまった。

 僕は平さんがジュニア350ccクラスと国際A級350ccクラスを戦った2年間、メカニックとしてサーキットに出かけた。僕が働いていたレーシングショップが平さんのスポンサーになっていて、仕事の一環として平さんのメカニックを務めることになったからだ。

 2年間という短い期間だったが、この2年間は、僕にとって大きなターニングポイントになる。ライダーとして、人として、僕は完全に魅了された。不平不満を言わず、いまできることに全力を注ぐ。周囲の者を不快にしない我慢強さ。そんな平さんから、本当に多くのことを教わった。

 その後、自分も国際A級になり、レースに全力を注いだがメーカーの契約ライダーというプロにはなれなかった。経済的にも実力的にも、その時点でプロへの道を諦めなければならなかったが、バイクを降りてからもこの世界で仕事を続けてこられたのは、平忠彦というライダーと一緒に仕事が出来たからだと思っている。

 いま、平さんも僕も60歳を超えたが、会う度に決まって話すことがある。それはライダーの引き際についてである。平さんはいう。「自分はいつも夢を持ち、目標に向かって全力を尽くしている。それはいまも変わらない」。好きで始めたスポーツ。プロになろうと決めたのが自分の意思なら、やめるのも自分の意思、決断だと語る。

 そんな平さんに、その昔、引退の理由を聞いたことがある。その理由もまたシンプルだった。「自分はイチバンになるために頑張ってきた。2番や3番になるためにがんばってきたわけではないから」。そして、「レイニーやローソンというチャンピオンに比べて足りなかったものはなんだと思いますか?」という問いには「勝ちたいという強い気持ちだね」と答えてくれたのだ。

 平さんがグランプリにフル参戦したのは、86年(250cc)と87年(500cc)のわずか2年間だった。88年以降は500ccのマシンの開発をしながらグランプリと全日本ロードにスポット参戦した。ファンにとっては納得のいかない体制の中で戦い続けることになったが、そういう状況の中でも平さんの走りは光り輝いていた。

 88年と89年の日本GPではポールポジションを獲得する。決勝で表彰台に立つことは出来なかったが、日本GPの最高峰クラスで2度のPP獲得は、長い歴史の中で平さんしかいない。そして、90年の鈴鹿8耐で念願の初優勝を達成。翌91年の全日本ロードで大きな怪我をしたときに限界を感じ引退を決めた。日本のレース界は、この時期、平人気とともにピークを極めていた。

 平さんは、92年4月26日に宮城県スポーツランドSUGOで行われた全日本ロードで引退セレモニーを行なった。サーキットを埋め尽くした大観衆の中でラストランを終えると、こう語った。「これまでの人生、嬉しいことも悲しいことも、そして挫折の日も希望の日も、すべてサーキットにあった」。平さんのレース人生を締めくくるに相応しい言葉だと思った。

 いま、この原稿を書くために平さんのことを書いた過去の記事を見ていたら2004年に「日本2輪車普及安全協会」が行ったインタビューの中で興味深いことを語っていた。それは「憧れのライダーは?」という質問に、40代後半だった平さんは、「60代、70代、80代と歳を重ねた平忠彦」と答えていたからだ。

 92年の引退セレモニーから28年。引退後に始めた「タイラレーシング」は、輸入車の販売などで着実に業績を伸ばしている。60代へと歳を重ねた平さんは、自身にとっても、そして僕らにとっても、間違いなく憧れのライダーである。

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2018年MVアグスタの販売台数で全国1位になり、まずは目標達成と喜ぶ平さん。昨年は惜しくも販売台数では1位を逃したが、その他の部門を含めた総合ポイントでは1位に匹敵する結果を残した。

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