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「チーム竹島の見果てぬ夢」

 7月の寒い朝に・・・という見出しの頁で始まる「チーム竹島の見果てぬ夢」は、1991年7月25日に、いまはもう倒産して存在しないリム出版という会社から出版された。400字の原稿用紙で300枚のノンフィクションである。

 ソフトカバーで750円だった。当時、東京中日スポーツのM記者に「チーム竹島のことを書いたらいいよ」と言われ、90年のシーズンが終わり、91年が開幕するまでの冬の間に書きあげた。

「チーム竹島」は、竹島将と泉優二という二人の作家がチームを結成。88年から91年までの4年間、ロードレース世界選手権(WGP)の125ccクラスに挑戦した。その4年間の中で僕は、90年から91年までの2年間、助監督してチームに関わった。
 
 90年は激動の一年だった。エースライダーの高田孝慈が5月にニュルブルクリンクで開催された西ドイツGPで大きなけがをする。そのため、参戦継続に向けて代役選手の選考など、慌ただしく調整を進めていた7月上旬、チームオーナーの竹島さんが交通事故で亡くなる。チームは存続の危機を迎えるが、監督だった泉さんが代理オーナーとなり、竹島さんの遺志をついでチームは動き出していく。「チーム竹島の見果てぬ夢」は、その激動の一年を描いたものだ。

 ニュルブルクリンクの事故は、予選中に起きた。フロントブレーキのディスクプレートが破損し、コントロールを失った高田がコースを飛び出しガードレールに激突する。その衝撃で右足頸骨と腓骨を骨折、シーズン中盤戦を欠場した。

 西ドイツGPを前に高田は3戦を終えてランキング2位につけていた。日本GP3位、スペインGP4位、イタリアGP5位。ここまで優勝はなかったが安定した結果を残しチャンピオン争いに加わっていた。フロントブレーキの破損は、ディスクプレートそのものに問題があったことが後に判明し、悔しいものだった。数ヶ月後、シーズン終盤戦に高田はなんとか復帰したが、怪我をするまでのような走りは再現することはできなかった。

 それは翌年の91年になっても変わらなかった。チームオーナーの竹島さんを失い、竹島さんの遺志を継いだ家族の支援を受けたが、万全の体制をつくるのは難しかった。加えて、ボンの病院で行われた手術が完璧ではなく、折れた箇所から下の部分が右側にずれて接合されていことで、右コーナーで右足の爪先が路面に擦ってしまうという問題を抱えていたからだ。

 思うような走りが出来ないフラストレーションと成績の低迷。そして「チーム竹島」を追うように、91年に日本のプライベートチームからグランプリに参戦した上田昇、坂田和人、そして若井伸之という若い3人が大活躍を遂げて世代交代を余儀なくされる。チーム竹島もこのシーズンを最後に活動を終了することになり、この3選手にバトンをつないでいく形で高田は引退していくことになった。

 高田が怪我をした90年は、東西冷戦が終焉し、東西ドイツが統一されるなど、世界が大きく変わっていく一年だった。その数年後、世界情勢が大きく変化するように、レース界にも大きな波が押し寄せる。スペインのドルナが国際モーターサイクリズム連盟(FIM)と契約を交わし、グランプリを運営統括するようになる。F1同様、スポーツ性よりもイベント色の強い運営方式とルール改訂で、「チーム竹島」に続いた日本のプライベートチームの参戦はじょじょに厳しさを増していくことになるからだ。

 そういう状況の中でも、日本国内のレース人口の増加とレベルの上昇、そして「チーム竹島」の参戦がきっかけとなり、世界グランプリに参戦する日本人選手のレベルは一気に上がった。125ccクラスではヨーロッパのチームに所属した坂田和人(94年、98年)と青木治親(94年、95年)がチャンピオン獲得。ヤマハ契約の原田哲也(93年)、ホンダ契約の加藤大治郎(2001年)と青山博一( 09年)が250ccクラスでチャンピオンを獲得するなど、「チーム竹島」の掲げた日本のチームで日本人チャンピオンという夢は果たせずも、多くの日本人チャンピオンが誕生した。

 竹島さんは90年に交通事故でなくなり、泉さんも2013年に病気で亡くなった。作家である二人の夢は、まずは、日本人だけのチームで世界チャンピオンを獲る。それを踏み台に、将来的には、当時最強だったF1のマクラーレンのようなチームをつくる。バイクメーカーに頼らず、才能ある日本人を世界に送り出すルートを築くという、当時としては壮大な計画だった。

 竹島さんと泉さんは、一晩中、夢を語り続けた。無謀とも思えた「チーム竹島」の世界挑戦も、それを支えているのは、何でも面白がる二人の「チャレンジ精神と冒険心」だった。

 1991年の夏、「チーム竹島の見果てぬ夢」は、僕がヨーロッパにいる間に、著者校正もなく出版された。出版バブルのころであり、とにかく、いろんな本が大量に出版される中での荒技であり、僕にとっては満足のいく本ではなかった。

 先日、久しぶりに「チーム竹島の見果てぬ夢」を手に取った。懐かしい気持ちと同時に、つくづく、この仕事を続けてこられたのは、この厳しく辛い一年と、この本を書き上げられたからだなあと思っている。

 そういう意味で「チーム竹島の見果てぬ夢」は、間違いなく、僕のグランプリの出発点である。この本が出版されて30年が経った。もう手にいれることはなかなかできない「チーム竹島の見果てぬ夢」だが、時々、レースファンから読みたいと声をかけてもらうことがある。僕にとっても未完成なものだったし、これを機会にしっかり手を入れた完成版をNoteで再録するのもいいかなあと思っている。

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