はじめてのロックダウン(都市封鎖)ーマレーシア
世界各国に暮らす物書き仲間で、リレーエッセイを始めました。
その名も『日本にいないエッセイストクラブ』。
一巡目のリレーのお題は、「はじめての」。
今回は8人目、東南アジア回遊中のわたし、森野バクです。
「日本にいないエッセイストクラブ」の告知はこちら。
そして、リレーエッセイをまとめているマガジンはこちらです。
次のエッセイストは、記事の最後でご紹介します。
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「おーい、どうしたんだよ、こんなところで。店はもう閉まっているよ。帰った、帰った」
家の近所を歩いていると、クラクションが鳴って、車の中から顔見知りのおじさんが声をかけてきた。
マレーシアはコロナウイルスの感染拡大を抑えるため、全土が3月18日から2週間の「行動制限令」 *下に入った。ムヒディン首相の緊急記者会見で発表があったのは、3月16日の夜遅く。夫とわたしがニュースに気がついたのは翌17日の朝で、出遅れてしまっていた。数日のうちに必要なものだけは買っておこうと店に向かう途中だった。
「パンを買いに来たの。明日から開いているかどうか、わからないでしょ」
「ああ、パン屋なら大丈夫、開いているよ」
「よかった。そちらはどう?」
「もう、忙しくていやになっちゃうよ。食べ物屋が閉まるものだから、家で料理をする人が増えるだろ? 朝からあちこち呼ばれっぱなし」
おじさんは、プロパンガスの販売店を経営している。クアラルンプールはほぼプロパンガスなので、ガスが切れたらボンベを交換しなければならない。これから2週間外出が制限されるとなると、予備のボンベを注文しておく人も多いだろう。一般家庭はもちろんだが、調理ができないのは飲食店にとっては死活問題だ。
ロックダウン**実施まであと1日 発表翌日の街の様子は
マレーシアは「外食天国」といわれるほど、飲食店が多い。それなりのレストラン、気軽な食堂のほかに、いろいろな専門屋台がひとつの場所に集まった「ホーカーセンター」とよばれる集合屋台があり、人の集まる時間にはフードトラックもやってくる。
朝から集合屋台にいる家族を見かけるくらいだから、外食依存度はかなり高いといっていいだろう。その屋台・露店が営業しない上に、飲食店も持ち帰りのみになるというのだから、みんなが慌てるのも無理はない。
近所のホーカーセンターはがらんとしていて、ほんの数軒のお店しか営業していなかった。この様子を見て、ようやくわたしにもロックダウンの実感がわいてきた。ラマダン(イスラムの断食月)だって、中国(旧)正月だって開いている場所が閉まっているのだから、もはや正常な状態ではない。
個人経営の小さなお店を閉めてしまったら、収入はどうするのだろう。わたしはそう外食をする方ではないけれど、いつもの活気が急に懐かしくなった。
結局、パンはもうほとんど売り切れてしまっていて、わたしたちはスーパーマーケットに出かけた。人がやたらと多い。棚が空になるというほどではなかったけれど、トイレットペーパーや乾麺を抱えた人が目立つ。いつも山積みの卵売り場には、1ケースの卵ももう残っていなかった。
行動制限令は、商業施設の閉鎖、学校の休校、外国人の入国の全面禁止を内容とするもの。政府の発表では、スーパーマーケットなど食料品や生活必需品を売る店、コンビニエンスストアやガソリンスタンドなどは対象外とされていた。
From The Star, 17 March, 2020. Retrived on 31 March, 2020.
とはいうものの、こういうときには不安から買い物客が殺到するので、供給が追いつかないと一時的にでも品薄になることを、わたしたちは東日本大震災の東京で経験している。これからしばらくはそんな日々が続くんだろうね、と夫と話しながら家に帰った。
いよいよ行動制限が始まった
明けて3月18日の朝は、とても静かだった。平日で、いつもならスクールバスや通勤の乗用車がいるはずの道も、がらがらに空いている。
行動制限令を受けて、わたしが住むコンドミニアム(日本でいうところのマンション)にもいろいろな変化があった。管理事務所からは「部屋にいてください」という張り紙が掲出されて、敷地内ではマスクを着用するよう住人に呼びかけがあった。
スイミングプールやサウナ、ジム、ラウンジ、図書室、遊び場などの共用スペースがすべて閉鎖された。カフェは持ち帰りのみで、店内の飲食は不可。小包などは戸別配達はしないので、正門前の守衛室まで各人が取りに行くようになった。すべては人の接触をできるだけ減らすためだ。
地元英語新聞 The Sun (2020年3月18日)
この日の朝刊の一面は、最初の死者が出たことを報じていた。34歳の男性と、60歳の男性のふたりが亡くなったという。記事によると、いずれも体調の異変を感じてわずか2週間ばかり。ご家族はもちろん、当人もまさかこんなに早く病状が悪化するとは、想像できなかったのではないだろうか。気の毒でならない。
マレーシアで最初のコロナウイルス感染が確認されたのは1月25日のこと。感染者は、シンガポールから入国した中国国籍の旅行者3人だった。このときは外国人ということもあって、まだまだ危機意識は薄かったと思う。それから2か月も経たないうちに、感染者は673人まで増えてしまった。
マレーシアは、マレー半島とボルネオ島の北部からなる国だ。マレー半島の方は、北がタイ、南がシンガポールと国境を接している。このうち南の国境は、物価の安いマレーシアに住んで、待遇のいいシンガポールで働く、国境を越えて通勤する人が多いチェックポイントだ。
今回の国境閉鎖では越境通勤も認めないことにしたので、およそ30万人がタイやシンガポールの職場から戻れなくなった。会社に宿舎を用意してもらって働くことになる。仕事を続けるなら、自分の家や家族と離れなければならないとは、なんと厳しい選択だろう。
行動制限令は、州を越えた移動を原則禁止にしている。往来には警察の許可がいるため、発表後は、越境通勤者や、故郷に戻る人で高速道路やバスターミナルはごった返したようだ。感染の拡大を防ぐために人の動きを減らすのが目的でも、駆け込みを止めるのは難しい。それだけ、わたしたちの行動範囲は広がっているということだ。
不安を抱えながらの、制約の多い生活が始まった。先はまだ見えない。
*行動制限令 (Movement Control Order; MCO)
このあと4月14日まで、さらに2週間の延長が発表された。
**ロックダウン もともとはヨーロッパなどの城壁のある都市で、出入りを封鎖すること。マレーシアの場合はこれには当たらず、また必要最小限の外出は認められているので、正しくは「行動制限」なのだが、実際にはあらゆるところで「ロックダウン」が使われている。
『日本にいないエッセイストクラブ』、9人目はスイスにお住まいのアリサさんです。
公開は4月6日頃の予定ですので、どうぞお楽しみに。
アリサさん、よろしくお願いします。
……それにしても、このエッセイストクラブのバトンは、いったい地球を何周するのだろうか?
前回、7人目のエッセイスト、フクシマタケシさんの記事はこちらです。
「ガホワ」というアラビア式コーヒーの淹れ方を叱られながら覚えて、砂漠に生きるベドウィンの輪の中に入っていく―ラクダと遊牧民文化を愛するフクシマさんらしいエッセイです。
わたし自身の外国体験でもそうですが、客人(まれびと/たまに来る人)のままでいるのと、そのコミュニティのメンバーとして受け入れられるようになるのとでは、異文化理解の度合いが違います。
旅行気分で海外を歩くのは楽しいけれど、そこで暮らす=生活するとなると、面白おかしいことばかりではないのは、いずこも同じ。
UAE留学を経て、今はカタール政府で働くフクシマさんが、きちんと軸足を置いてその国と向き合う眼差しを感じます。
視線の先に見える日本は、どんな像を結ぶのか。
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☆ 4月5日追記
お読みくださってありがとうございます。
この後のマレーシアの状況を、下の記事に書いています。