国立墓地にて感じた小さな幸せ
メモリアルデーの祝日には、毎年セレモニーが国立墓地で行われている。国のために働き、戦争などで命を落とした軍人に感謝して、思い出す日。夫がずっとセレモニーに行ってみたい、と言っていたけれど、実際に動こうとしないので、私が場所や時間を調べて、ようやく今年のメモリアルデーに行ってきた。
国立墓地は、思ったより広くて、緑の芝生に白い小さな墓標がどこまでも整列している風景は圧巻だった。木々も多くて、上空には鷹が舞い、セレモニーの間ずっと、私は周りの景色に見とれていた。
入り口を入ってすぐ、真珠湾攻撃で亡くなった人達のための大きな記念碑があって、日本人である私はここにふさわしくないね、と夫に言うと、夫は私の手を握って、そんなことない、と言ってくれた。そう言えば、ハワイのアリゾナ・メモリアルでも、日本人であることに少し罪悪感を感じた。あんなに日本人が多く訪れているハワイで、そこには日本人らしき人が誰もいなくて、ちょっとびっくりした。みんな、罪悪感があるから行かないのだろうか。
セレモニーはとてもきちんとオーガナイズされていて、退屈な長過ぎるスピーチもなく、小気味よいテンポで進んで、あっという間の一時間だった。バンドが各軍種のテーマ曲を演奏した時、海軍の曲が「錨を上げて」だったことに心底驚いた。小学生の頃、音楽の授業でピアニカやたて笛で散々演奏した曲。まさかアメリカ海軍の曲だったとは!日本の音楽の教科書にそんな曲が載っていたことが不思議。今も日本の子ども達は、アメリカ海軍のテーマ曲を演奏しているのだろうか。
夫は空軍の曲が演奏された時、歌詞を口ずさんでいて、最後に「God Bless America」を牧師さんが歌った時は、周りの人達も合わせて歌っていた。牧師さんの歌も、後ろから聞こえてくる女性の歌声も、とても上手で感心していた。すると、牧師さんは二番の歌詞も歌い始めて、周りの人達はその歌詞を知らなかったようで、一瞬にして静かになった。牧師さんがたからかに歌う歌声だけが響いていた。後でそのことを指摘して、夫は笑っていた。そんな歌詞、誰も知らない、と。そういう些細なことで笑い合える幸せ。
セレモニーの後、墓地を散歩したい、という私に夫は付き合ってくれた。お腹が空いたから、と早めに切り上げられたけれど。たわいもないことでも、こうやってバケットリストを叶えて行って、小さな幸せを積み重ねて行こう。