自然に緩やかに死に向かう
旅に恋焦がれなくなったり、好きだったことを心から楽しめしなくなっているのは、もう十分生きた、もう思い残すことはない、と思うようになったからかもしれない。
母を自死で亡くしてから、私は生きていていいのだろうか、という思いがずっと心のどこかにあった。日々の暮らしの中で色々な出来事にかき消されていても、ふとその思いは顔を出す。
精神疾患のせいとは言え、夫から散々批判され続けた日々のせいもあるかもしれない。彼の思考は妄想に支配された極論ではあったけど、私に悪いところがあるのは否定し切れない。誰にでも悪いところはあるし、それも含めて丸ごと自分を受け止めるようにしてはいるけれど、私を責める夫の言葉たちは、私の心の奥まで染み込んで、消えない。
それでも、私は十分よくやったと思う。そう、もう思い残すことはない。子ども達のことはまだ少し心配だけど、精神科医に会って合う薬を飲み、必要ならセラピストにも会って話すようにしていればきっと大丈夫。その基盤を作ることはできたと思う。
人は誰でもいつか必ず死ぬ。誰にでも訪れる必然的なことなのに、なぜか人の死にはいつも驚かされる。私は、できるだけひっそりと死にたい。自然に、緩やかに、死に向かいたい。その心の準備ができた気がする。