
こころのくすりは眼鏡のようなもの
向精神薬、いわゆるこころのくすりについては、賛否両論あるかもしれない。私の経験では、服薬はとても大切だ。私の元カウンセラーは「向精神薬は目の悪い人が眼鏡をかけるようなもの」と言った。「視力に合った眼鏡をかけるように、症状がある限りはそれに合った薬を飲み続けて、快適に暮らせればいい」と。心から、その通りだと思う。
精神疾患にかかると、ネガティブな考えを自分でコントロールできず、不必要に辛くなってしまう。自分ではどうしようもないのが精神疾患なのだから、その不要な考えを取り除いたり、和らげたりする助けを薬がしてくれるのであれば、薬に助けてもらえばいい。目がよく見えなくて不便なのを眼鏡に助けてもらうように。誰も眼鏡に頼らず、自分で視力を治せとか、我慢しろとは言わないだろう。
夫の精神疾患に振り回されて私も完全に参っていた頃、スピリチュアルに救いを求めて、スピリチュアル・カウンセラーに相談したことがある。その時「薬は一時的に助けるだけのものだから、飲まない方がいい」と言われて、精神疾患について分かっていないのだろうと思ったけれど、悲しくなった。自分でコントロールできないから、苦しんでいる病気なのに、薬の助けを借りるのがなぜだめなのだろう。
私の母は、うつ病で自死をした。薬を飲んで症状がよくなったからといって、薬をやめた直後のことだったらしい。症状がよくなったのは、薬を飲んでいるからであって、治ったわけではないのに、薬をやめてみようと言った精神科医を恨んだ。
夫も、ある精神科医に薬をやめるように言われて、量を減らしたら、症状が戻って大変な目にあった時期がある。その後2年近くも、その精神科医は少ない量や別の薬をあれこれ試し続けた。夫の症状に翻弄されて、私達の関係はもう限界まで来ていた。なぜもっと早くそうしなかったのか分からないけど、医者を変えて、と訴えて、別の精神科医に以前服用していた適切な量の合う薬に戻してもらった途端、嘘のように夫は発症する前の穏やかな夫に戻った。本当に、今までが悪い冗談だったかのように突然に。
適切な量の合う薬を飲んでいると、ネガティブな考えは完全にはなくならないけれど、追いやるというか、目を背けることができるらしい。それができなくて苦しんでいた間、お互いに本当に辛かったけれど、そのおかげで、もう二度と薬をやめたり変えたりしない、と夫は強く誓っている。私も、母のことや夫のことで辛い経験があるからこそ、薬の大切さを実感している。
精神疾患は、治る可能性がない場合も多々あって、一生薬で症状を抑えて行くしかないかもしれない。薬に頼りたくない気持ちは分かる。薬がなくても自分は大丈夫だと思いたいのも分かる。でも、薬に助けてもらって、それで余計な辛い思いをせずにいられて、本人の人生も、周りの人達の人生も快適になるのであれば、頼った方がいいと思う。眼鏡をかけたら世界がよく見えて、暮らしやすくなるようなものなのだから。