アメリカで大学院に行く
アメリカで修士号を取った経験は、私の自信につながっている。大変でも何とかなるし、何とかできるという自信。
GREという大学院に入るために必要だったテストの結果が低過ぎて、いきなりプロベーションで修士号プログラムに入れてもらったり(プロベーションとは成績が悪くなって来た生徒が置かれる状況で、私の場合は一年以内にCを取ったら退学と言われた)、少人数のクラスでは、発言しないと出席と見なさないと言われて、クラスの間中、発言の機会を狙って冷や汗をかいていたり。
クラスのみんなの前でのプレゼンは、聞き手を話し手に集中させるためにパワポなしが主流で、手が震えるほど緊張したし、どのクラスでも半端ない量の論文を読まされた。おかげで速く読んで主旨はつかめるけど、細部には気を配れない読み方の癖がついてしまった。
論文を書くための調べものも大変だった。あらゆる情報に出典が必要で、引用がないとすぐに教授に「出典は?」と聞かれる。出典は自分ですって言いたいね、というクラスメイトの言葉に笑いながら、強く賛同した。引用方法のルールも面倒だった。
でも、教授もクラスメイトも、英語が完璧でない私を優しくリスペクトして受け入れてくれた。学部のアシスタントとしてパートタイムで少し働いて、周りの人達の優しさに、大学で働くのもいいなと思ったりもした。
あるクラスのために書いた論文では、教授に「学会で発表したい、共同執筆者にしてくれないか」と頼まれて驚いた。どうぞ好きに使って、と許可した。認められたようで嬉しかった。
卒業のための理解度確認テストを数日かけて受けて、無事に合格したと分かった時は、これで終わった!もう二度と論文は読みたくない!と思った。
それらのすべてが、自信につながっている。どんなに大変でも、やればできる。何とかなる。結局、修士号とは全く関係のない仕事をしているけれど、その自信はいつも私を支えてくれている。