第三章 第一歩 農家というもの
コケコッコー!
旅をして二日目、
農家生活一日目、
ほのぼのハウスでの生活が始まった。
昨日はすぐに寝てしまったので、
とりあえず家の中と外を見て回った。
家は手作り感満載で、
それでいて安心するものを感じた。
この旅でどれだけの家を
見ることができるだろうか。
僕だったら台所はああしよう、など
たくさんのアイデアが浮かんでワクワクする。
コケコッコー!!
「ん?」
朝の比喩表現であるニワトリの声かと
思っていたが、
実際にニワトリがいた。
しかもざっと四百羽ほど。
「「コケコケコッコーコケコッコー!」」
朝のニワトリコーラスを鑑賞したところで、
山口さんが来て、作業が始まった。
僕の家でも家庭菜園はしているが、
実家にいた時はそれほど手伝っていなかった僕は
農業初心者と言っていいだろう。
何も知らないので、一から教えてもらう。
野菜の種を植えるための畝(うね)作り。
畑に山みたいな、山脈みたいになっているアレ。
野菜によって種の植え方と時期が違うこと。
ニワトリの育成の方法。
野菜や卵の出荷の仕方。
僕が生まれてから
毎日毎日食べていたあれやこれは、
そんな形で社会に出され、売買されていた。
日本を知るために旅に出た僕だったが、
こんな知識でよく生きてこれたなと、
なんだか恥ずかしくなった。
僕は畑を鍬で耕しながら考え事をしてみた。
というより、勝手に考えていた。
お題は、
どうやって僕の口に
食べ物が運ばれてきていたのか。
スーパーに行ってヒョイと買える野菜も、
畝を作って、種を植えて、
肥料を与えて、草刈りをして、収穫して、
袋に詰めて、値段のシールを貼って、
箱に入れて出荷する。
そして、あらゆる店に届き、
食材であれば店に陳列され、それを人が買う。
惣菜や料理店であれば
そこからまた人の手が加わる。
その長い長い道のりを経て初めて
僕たちの口に食べ物が運ばれてくる。
自然の力、人の手をこんなにも借りて、
値段にすれば安くて一食五百円。
農業をせずともこの仕組みは知っていたが、
意識をしないと
様々な苦労と努力を忘れてしまう。
その有り難みをひしひしと感じた。
「それにしても、一食五百円は安すぎる。」
僕たち生物が生きるために必要とする
一番根本である食べ物は、
時給千円で働く時の三十分で得られるのだ。
そう考えると、お金のシステムというのは、
なんとも変でおかしなことに思えた。
お金、それがあれば大抵の「物」が手に入る。
僕で例えれば、
教師は公務員として、
1ヶ月働いたらお金がもらえる。
そのお金で衣食住を賄う。
所得が大きくなればより良いものを買う。
すごい。
自分で出来ないこともまるっと解決するわけだ。
時短だ。
ただし、お金があれば。
そして、
お金を得られる仕事が続けられればの話だが。
では、お金が無かったら?
怪我や病気、会社の倒産などで、
お金を得られる手段が失われたら?
どうしようか。
「それを知るための旅じゃないか。」
そう言い聞かせて、畑仕事を続ける僕。
ふと我に帰ると、
一列20mほどの畝を何列も耕していた。
僕は自分のしたことが実感できなくて、
山口さんに聞いた。
「畑仕事のような、
体を動かして単純作業をしていると、
段々脳と体が連動して、
頭で考えなくても勝手に体が楽に動かす方法を
考えてくれている。」
僕のばーちゃんを思い出した。
畑仕事に精を出すばーちゃん。
だから元気なのかな。
僕はお日様に照らされて、
土の匂いを嗅ぎながら汗をかく。
気持ちが良い。
動けば動くほど、元気になっていくよう。
仕事が終わり、ベッドに入った僕は、
清々しい気持ちで横になった。
教師生活の夜とは全然違う。
仕事を家に持ち帰って、
パソコンと睨めっこをして、
アルコールを喉に押し込んで寝ていた
あの夜とは、違う。
「みんなもこんな生活したら良いのに。」
目を閉じた瞬間、僕は眠りについた。
コケコッコー!
毎朝恒例になったニワトリの声から始まる
ほのぼのハウス生活にも慣れてきた。
ちなみに、ご飯はどうしているかと言うと、
僕の今住んでいる家は山の上の方にあるので、
食料の調達は不可能。
山口さんが畑やらスーパーから、
その都度持ってきてくれている。
そしてなんといっても、
ニワトリさんから毎日生み出される卵。
食べ放題なのである。
本当に有難いことだ。
お金も移動手段も持っていない僕。
衣食住を与えてくださる山口さん。
だからこそ、僕は懸命に働きたいと思った。
今はそれしかできないのだから。
そんなわけで、一人暮らしをしたことのない僕は
毎食山口さんにレシピを聞いたり、
スマホで調べたりしながら
どうにかこうにか料理している。
ご飯を食べる、ニワトリの世話をする、
ご飯を食べる、畑仕事をする、
ご飯を食べる、寝る。
そんな日々を繰り返していた。
ほのぼのハウス生活が板についてきた頃。
午前の仕事が終わり、
僕は山口さんの軽トラに揺られて家に帰る道中、
農家の現実を知った。
ここ数日でも何個もの畑を耕したり、
野菜の収穫をしに行っているので、
僕は気になって聞いてみた。
「畑は何個あるんですか?」
山口さんが言う。
「ここの畑も、そこの畑も、
僕が買ったり、借りているんだよ。」
聞けば、山口さんは
甲子園球場が入ってしまうくらいの
畑を持っていた。
「すごいですね!」
「違うんだ。この山と集落はね、
年々高齢化が進んでいて、
もう年配の人たちが
自分で畑を管理できないんだ。」
少子高齢化が進んでいるのは知っていた。
ニュースでたびたび問題視されている。
それでも、目の当たりにするとここまでとは。
これは単純に高齢化したことが問題ではなく、
高齢化しているのに、
少ない若者は働く目線が変わり、
都会に憧れ、田舎を離れているからだ。
それは、今の時代の人の動きとしては
自然なのかもしれない。
紙幣が流通して、
海外からも輸入が多い今の時代、
五百円でお腹いっぱいになる時代。
せっせこ汗水垂らして野菜を作るより、
スーツを着てパソコンと向き合いお金を貯め、
流行りの服を着て、
オシャレなイタリアンでも食べている方が、
優雅な暮らしだと思うのかもしれない。
いや、実際僕も旅に出る前までは
「職業 農家」という選択肢すらなかった。
なんなら汗水垂らして働かなくていいように、
冷暖房が効いて、日焼けもしない、
福利厚生が保障されている城のような場所で
働くことに決めていたのだから。
さて、農家というものは
人手不足だけが課題ではない。
野菜一個作るのに、苦難の連続。
寝て起きて、
昨日植えたかぼちゃの苗を見に行ったら、
びっくり仰天。
苗が全て抜かれて丁寧に横に置かれていた。
犯人は、見れば一目瞭然だ。
小さい足跡が並んでいる。
「小鳥だね。」
と、山口さん。
苗を植えた後はよくあることらしい。
小鳥は苗を食べるでもなく、遊ぶ。
昨日、山口さんとバイトさんと僕の三人で
一時間かけて植えた苗が植え直しになった。
それでも山口さんは怒ったり取り乱さない。
「しょうがない。
怒って鳥が直してくれるのなら怒るさ。」
小鳥を害鳥だと言えば敵になるが、
なんて寛容な人なんだと思った。
農家の世界にも理不尽はたくさんある。
畑の四方八方は気候や天気から
動物や虫に至るまでが、
野菜の収穫までの道のりに影響してくる。
ふと周りの畑を見ると、
雑草が生えないようにマルチが敷かれている。
そもそも雑草が生えないように
除草剤を撒いているところもある。
猪や鹿などが来ないように柵が
万里の長城かと思うほどに連なっている。
これらの動植物や気候変動や雨風から
野菜を守るために
ビニールハウスで栽培している畑もある。
みんな、自然や動物と戦っている。
「なんとかならないのかな。」
僕は拙い農業の知識から考えた。
気候や天気を味方につけ、
動物や虫とも上手くやっていける方法とは…。
「全然分からない。」
知れば知るほど、
知らないことが増えていくのは
世の常なのだろうか。
そんな、農家の楽しさと厳しさを知った
ほのぼのハウス生活も最終日を迎えた。
お世話になった山口さんに手紙を書いた。
改めて、一週間という短い期間で、
しかも素性の知れない若者に対して、
食べ物と寝床をいただけたことに感謝します。
たった一週間、されど一週間で
僕の考えることの幅が広がりました。
聞けば聞くほど、話せば話すほど
世界が広がり同時に
自分の無知を自覚することとなった僕。
ソクラテスさん、「無知の知」とは
よく言ったものですね。
農業にしても、この世界のことにしても
まだ上澄みをすくった程度の知識だろうが、
それでも僕には得たものがあった。
人は人と話し合うこと、
自然や動物と分かりあおうとすることで
はじめてこの世界で生きていくことができる。
根拠はないし、
説明しろと言われてもまだよく分からないけど、
そう、思った。
手紙を書き終わった僕は、
一週間僕の身を守ってくれた
ほのぼのハウス農園を掃除した。
掃除好きなわけではない。
僕の部屋は幼い頃から常々散らかっており、
母親がよく掃除してくれたものだ。
多分、これは感謝からくる行いだと思う。
実家に帰ったらなにか手伝おう。
他人から施しを受けてから
実家に感謝することになるとは。
いや、そういうものなのかもしれない。
実家にいた時は全てが当たり前だったのだから。
一人暮らしをしている人も
こういう気分なのかしら?
家が綺麗になり、荷造りを終えた頃、
山口さんが来た。
「次はどこに行くの?」
僕は最初の目的地が岡山に決まった時から
行きたい場所があった。
そこは僕の親戚が住んでいる地。
今まで生きてきて
自分から親戚に
会いに行くことのなかった僕だが、
旅に出た今、
とても親戚に会いたくなった。
「倉敷に行きます。」
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