足元にある当たり前を「ありがとう」と思えたとき
日常の生活において、自身の当たり前にある幸せを常に感じ、気づき、意識することができている人はどれくらいいるのだろうか。さらに、その幸せに感謝を伝えることができているひとはどれくらいいるのだろうか。
古今東西の言い伝えでもあるように”幸せ”は失って初めてそのありがたみに気づくことが多い。当たり前が当たり前でなくなった時に気づくことができるとはなんとも皮肉な話ではないか。
それもこれも根本の要因は人間が怠惰な生き物であるからではないかと最近考えるようになった。
さて、これ以上話すと少々哲学チックになってしまい収集がつかなくなりそうなので、本日の本題に入ることにする。
タイトルにもした足元にある当たり前を「ありがとう」と思えたとき、当たり前のありがたみにきづくことができたというのは、地方創生を行っているとあるNPO団体の代表の方がおっしゃっていた言葉で、お話を伺った際にとても素敵な言葉だなと思ったので今回noteにまとめておくことにする。
何もないことに価値がある
普段の通勤路のわき道に芽吹いた小さな花のつぼみ
当たり前のように飲める綺麗でおいしい湧き水
その地で生まれ、住んでいればすべてが当たり前の光景である
代表は、ちょっと外を見渡すと自身が当たり前と感じていた光景、資源は決して当たり前ではない「なにか特別」な価値を持っていることに気づいたという話をしてくれた。
この話を伺い、ものの価値というのは思っているよりも曖昧なものであるということに気づいた。
思い返してみれば、貨幣ができる前は人々は自身の欲しいものを得る時に、それを持っている人と自身の持っているものと物々交換していた。今でこそ、ものやことに値段が付けられ独占禁止の原則によりそのものの価値はある一定均一化されていが、本来その価値も需要と共有により決めらる極めてあいまいなものと言えるのではないだろうか。
メルカリでStarbucksの無料でもらえる紙袋が売れるのにも、価格は無料であるにもかかわらず価値が生み出される1つの例と言える。
和歌山県熊野古道に海外の富裕層が押し寄せるワケ
何もないことに価値を見出し観光業で成功している自治体の例として、熊野古道のお話を少し紹介したい。
2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産に登録された熊野古道に欧米、東南アジアからなぜか富裕層が訪れているというのだ。彼らは、2時間~3時間ほど古道を歩き宿を目指すという。
そこまでして彼らが求めるのは「何もなさ」だという。
「何もない」からこそ、団体客のパッケージツアーではなく個人手配の旅行者にターゲットを絞り、海外旅行者の受け入れ態勢を整え成功を収めているのが和歌山県田辺市である。
詳細は、熊野古道にて宿を運営されている小竹治安さんの資料にまとめてられているのでURLと一緒に紹介しておきます。
https://urban-ii.or.jp/download/save/01151010_5a5bff70387fe.pdf
※直接リンク:PDF
NPOにこそマーケティングが大事
今回伺ったお話を通じて、NPOや地方創生にこそマーケティングがとても大事なのではないかと考えるようになった。
まだまだ地方には数多くの眠る資源がある。
しかし、その資源をどのように活用すればよいのかというノウハウがなかったり、そもそもその資源に価値があることに気づいていない地域が多いのもまた事実だ。
その「何もない」資源に価値を見出し、広めていくことこそマーケティングの本質なのではないかと個人的に最近よく考えるようになった
タイトルにも書いた”足元にある当たり前を「ありがとう」と思えたとき”に私はその「ありがとう」を色んな人にシェアしたくなった
そのきっかけが、今回実際に地方の方とお話する機会をいただいた際にマーケティングの本質はもっとシンプルで、地方各地にある当たり前の「ありがとう」を広めていくことなのだと気づいたからかもしれません。
そして、地方創生やNPOこそ実はマーケティングが最も大事なことであり求められているスキルなのではないかと感じました
まだまだ日本には私の知らない素晴らしい土地がたくさんあるので、
もっと色んな地方に訪れ、見て、経験していきたいと思います!
(そして、不定期にnoteにまとめていけたらと思います)
頂いたサポートは次のnoteの活力に!感謝カンゲキ雨嵐です☔🍬