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異国の光を見たくて、果ての対馬へ旅に出た
いま海外へ旅に出ることはできなくても、海外を「見に行く」旅はできるかもしれない……。
ふとしたそんな思いから、その対馬への旅は始まった。
海外へ旅に出ること。それは僕にとって、人生に彩りをくれるきっかけで、明日を生きる力をくれる魔法みたいなものだった。
だから海外へ行かれない日々は、ただただ寂しかった。この1年、また海外へ行ける日が来ることを、ずっと夢見ながら暮らしていた。
そんな日々も2年目を迎えたある日、日本地図を見ていて、気づいたことがある。
日本は海に囲まれた島国だ。だからもちろん、地続きで国境を接している国はない。
けれど、海には国境があり、その向こうには異国がある。北海道の宗谷岬の向こうにはロシアのサハリンがあるし、沖縄県の与那国島の向こうには台湾がある。そして長崎県の対馬の向こうには、韓国があるのだ。
つまり、これらの地へ行けば、日本にいながら異国を「見る」ことができるかもしれないのだ。
日本地図を広げながら、西の果てにぽつんと浮かぶ、対馬に目を奪われた。対馬と韓国の釜山は、直線距離で49.5kmらしい。でも地図で見ると、手が届きそうなほどに、ほんのちょっとの距離に見える。
もしかしたら、対馬へ行けば、韓国を見ることができるかもしれない……。
思い返せば、初めて一人で旅した異国は韓国だった。そのとき最初に降り立った街は、他でもない釜山だった。
ふと、これなんじゃないか、と思った。いま自分が求めている旅は、これなんじゃないか。
いま海外へ旅に出ることはできない。でも、せめて海外を「見に行く」旅ができたら、それはいまできる、もうひとつの「海外の旅」になるんじゃないか……。
4月のある日、韓国を見たいという気持ちだけを胸に、僕は対馬へと旅に出た。
もちろん、対馬へ行ったからといって、必ず韓国を見られるわけではなかった。条件が良ければ見える、という但し書き付きで、どうやら春はその「条件」が悪い日が多そうだった。
春は大陸から、黄砂やPM2.5が飛んでくる。だから晴れていても、大気が霞んでしまうため、韓国が見えない日が多いらしい。
僕が訪れる3日間は、天気はとても良さそうだった。けれど、PM2.5の状態が悪かった。まるで僕の旅に合わせるかのように、大陸からPM2.5が釜山へと、そして対馬へと飛来するようだった。
これでは韓国を見ることはできないかもしれない。それでも、もしかしたら……。
まさに僕は、「もしかしたら」という奇跡だけを信じて、対馬行きの飛行機に揺られていたような気がする。
対馬へ着いた初日は、南部の厳原に泊まった。そして次の日、韓国が見えるという対馬の北端を目指して、期待と不安を胸に車を走らせた。
韓国を見たいという気持ちだけで訪れた対馬は、眩しいくらいに自然が美しく、優しい風景で溢れた島だった。
宝石を溶かしたように煌めく青い海、果てしなく続くかのような新緑の山々、その間にひっそりと佇む小さな神社……。
心安らぐ風景に出会う度に車を停め、ほとんど名前しか知らなかった対馬の地に、静かに魅せられていった。
あちこち寄り道したせいで、対馬北端の比田勝に着く頃には夕方になっていた。
ホテルでチェックインを済ませ、韓国が見える展望台へ急いだ。
西の空は、すでに朱色に染まっている。誰も観光客のいなくなった展望台に着くと、僕は階段を駆け上がった。そして韓国がある北西の方を仰いだ。
目の前に浮かぶ海栗島の向こうに、国境の海が広がっている。でもその先は、ぼんやりと霞んでいてよく見えない。
やはり韓国を見ることはできなかったか……。
Googleマップを開くと、まさに目と鼻の先に釜山の街はあるようだった。確かにこの海の向こうに、韓国はあるのだ。
日が暮れゆく中、そんなことを思いながら海の彼方を見つめていた、そのときだった。
霞んだ海の向こうから、オレンジ色の光がいくつか浮かび上がってきたのだ。
あれは漁船の光なのだろうか?
備え付けの望遠鏡でその光を見てみると、どうやらそれはビルの灯りのようだった。
望遠鏡から目を上げると、海の向こうの光がさらに増えている。オレンジ色だけではない、白や赤、不思議な緑色をした光も見える。
呆然としながら、僕は海の向こうを見つめ続けた。すると、夕方から夜へ移り変わるとともに、海の向こうの光は無数に増えていき、やがて真っ直ぐな光の帯が出来上がっていった。
それは幻なんかではなかった。間違いなく、韓国の、釜山の「光」だった。
オレンジ色の光が集まっているのは、釜山の市街地だろうか。高層マンションの灯りもたくさん見える。その後ろには山々のシルエット。望遠鏡を覗けば、ピンク色にライトアップされた広安大橋まで見えた。
本当に久しぶりに見る、異国の風景だった。その光の輝きは、いままでに見たどんな異国の風景よりも、消え入りそうなほど淡くて、だから幻想的なものだったかもしれない。
冷たい夜風に吹かれながら、海の向こうの釜山をいつまでも見つめた。
あの韓国のさらに向こうにアジアの国々があって、その遥か彼方はヨーロッパへと続いている。それはまさに、世界の始まりの「光」のように思えた。
夜空を見上げると、無数の星々がきらきらと煌めいている。
いま釜山の人たちも、同じ星空を見上げているのだろうか……。それに気づいたとき、釜山の人たちと繋がれたような気がして、ちょっとだけ目が潤んだ。
次の日の朝、韓国が見える展望台へ再び上ってみた。
でもこの日は、どんなに海の彼方へ目を凝らしても、春の霞が揺れるばかりで、何も見えなかった。昨日の夜、釜山の夜景を見ることができたのは、本当に奇跡だったのかもしれない。
それでも目の前に広がる薄ぼんやりした空気感は、あの懐かしい春の韓国そのものだった。きっといま釜山にも、同じ空気が流れているのだろう。
気持ちのいい青空の下、それに負けないくらい青い海を、一艘の漁船が走り抜けていく。日々の暗いニュースなんて存在しないかのような、穏やかな風景だった。
大丈夫、と思った。大丈夫、また海外へ行ける日は必ず来る。
だからその日まで、あの釜山の光は忘れない。自分を励ましてくれるかのように瞬いていた、あの美しい光だけは。
そしてその日が来たら、真っ先に釜山へ旅に出よう。今度は対馬を望む海辺へ向かうのだ。「ようやく海を越えることができたよ」と、今日の自分に伝えるために。
青い海の彼方をもう1度見つめてから、展望台をあとにした。
空港へと車を走らせながら、僕の心は軽かった。それはまるで、人生に彩りをくれて、明日を生きる力をくれた、海外への旅の帰り道みたいだった。
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