『インディゴの気分』ドラマ化感想【補遺】

【旧ブログより】
2019年4月 7日 (日)

『補遺(ほい)』
意味:書き漏らした事柄(=遺)などを、あとから補うこと。その補いの部分。
(補遺なんて単語、多分この作品に出会わなければ一生使うこともなかっただろうし、知らずに死んでいたかもしれない)

まだまだ思いが溢れすぎて書ききれない感想はたくさんあるのだが、総括というかまとめと言う意味で、このドラマの感想はひとまず今回で一区切りということにしたい。DVDなど発売したらまた黙っていられないと思うのでそれまでしばしのお休みということで。

ここでは、原作とドラマのキャラクターの違いについて、もう少しだけ書きたいと思う。

以前のポルノグラファーおよびインディゴの気分関連の記事の中で少し触れていたことだが、原作版とドラマ版のキャラクターには違いがある。

まず、原作とCDでは、久住くんを除いた木島と城戸の二人は理性的で抑制的な印象が強かった。抑えて抑えて抑えて直前まで抑えて、エロいシーンで(ばかりではないが)爆発!の繰り返しという、そんな印象。曲線でいうとこんな感じ。

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一方、ドラマではもっと人間らしいというか、感情の動きがわかりやすい。
(特に蒲生田先生はずいぶん優しいし、入院してからは特に弱々しくて観ていて辛かった)
脚本や演出がそうなっているし、演じる役者さん自体のキャラクターもあるだろう。

例えば、理生が一人の時に感情を激しく出すところ。
ポルグラファーのときにもあったけれど、微妙な関係の時期に電話を無視された理生が部屋で大声を出して暴れるシーンは、原作のキャラクターでは(私には)考えられないが、ドラマの彼ならそういう子供っぽい脆さがあるのは納得できる。(そもそも原作の理生は自分から電話しないと思うし、城戸もああいうわかりやすい避け方はしないだろう)

城戸も、原作ではTHE文化系なイメージだったが、ドラマでは普通に明るいしスポーツとかしていそうで友達も多そう。感情の起伏がわかりやすく、陰と陽の振り幅が広い。事実だけを見るとコイツ許せん!となっても、本当は結構いいヤツだし憎めないところもある。

それと、原作では何故か泣けなかったけれど、ドラマでは自然に涙が出てきた。

泣けるもの=良い作品では全然ないと思うけれど、こういう行間を読者に委ねる系の作品においては、(解釈を限定されてしまうという諸刃の剣でもあるけれど)感情を誘導してもらえるほうがカタルシスを得やすくなるのだろう。

私自身は、今回のドラマでのキャラクターの違いは、決して違和感ではなく、ドラマとして成立しているので納得できるし楽しめた。
原作愛が強すぎるゆえ、自分自身なぜ納得できたのが不思議でもあるのだが、それが演出の力であり役者さんの力であり、役者さんがその役を生きていた証なのだと思う。


何か、パラレルワールドを観ているような感覚もある。

理生じゃないけど紛れもなく理生だし、城戸じゃないけど、やっぱり城戸だし。うーん面白い。原作(+CD)→ドラマと何度もみたくなる。

用途(?)でいうと、

・漫画は読後の余韻に浸りながら静かに過ごしたいときや屋外で
・CDはエロいシーンでカタルシスを得たいとき、ソファやベッドでヘッドフォンで聴いて萌えすぎてゴロゴロ転がりたいとき(家で)
・ドラマはキャーキャー騒いだり泣いたり、ツッコみながら一人でも友人とでも。願わくば映画館で一挙放映なんてしてくれたら…

これまでBLに限らず好きな作品の実写化で、納得のいく作品は少なかったのだけれど、何度でも言うが、一番思い入れの強い作品をこんなに丁寧につくってもらえるなんて、本当に奇跡だと思う。

DVDでどんな未公開シーンが追加収録されているのかと思うと楽しみで仕方ない。

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