【商業BL感想】インディゴの気分 丸木戸マキ
【旧ブログより】
2017年8月28日 (月)
2017年ナンバーワン。りーちゃんかわいい。
【内容紹介】
【感想】
『ポルノグラファー』の木島さんが好きで好きでたまらない。
どれくらい好きかというと、齢40にして初めて同人誌(今作掲載の『ポルノグラファー』その後の短編)なるものを買うために、訳も分からず勢いだけでJ庭に行ってしまったくらい好きなのだ。
『ポルノグラファー』の前日談として城戸の視点から語られ始めるこの物語。『ポルノグラファー』を木島の再生を描いた作品とするなら、この『インディゴの気分』は、木島がスランプへと至る過程を描いた作品ともいえる。
『ポルノグラファー』へとつながる作品なのだから、当然ハッピーエンドではないことは織り込み済みで読み始めるのだけれど、それでもやはり切ない。『ポルノグラファー』の100倍は切ない。『ポルノグラファー』の中で、木島と城戸の関係を匂わす場面はいくつかあったのだけれど、こんなに切ない話だったのかと…。
木島は若くして文学の才能を開花させた天才で、城戸は木島の才能に憧れ、同時にコンプレックスを抱く普通の文学青年。
数年後再会したとき、一方的に憧れ、同時にライバル視していた存在が落ちぶれている現実を目の前にして、城戸の隠された嗜虐心が親切心に姿を借り顔を出す。このあたりの展開では、学生時代の、天才と呼ばれる圧倒的な才能を目前にした悔しさや敗北感、そして再会後の優越感や同時に起こる木島への歯痒さ、加えて城戸の凡人(常識人)であるがゆえの狡さ浅ましさがよくあらわれていて、その感じがたまらない。
城戸の“木島を支配したい・利用したい”という気持ちと“自分のあこがれ・ライバルで居続けていてほしい”という気持ちの狭間を行き来しながらも、木島が落ちぶれなかったら自分と関わりを持つことなどなかっただろうと自嘲するような気持ち。木島と対峙することで自らの醜さを思い知らされていく様が読んでいて苦しくなる。
城戸のために、蒲生田の弟子となった木島は、蒲生田を父のように慕うようになり、最期には蒲生田の遺作を託されるほどの関係を築いていく。死期の迫る大作家とスランプの天才若手作家は、当初の思惑以上に理解し合い距離を縮めていき、そのことに嫉妬する城戸。
社会の常識に囚われず生きてきた木島は純粋(?)に友人以上の恋愛対象として城戸を求めた(と思いたい。依存で片付けたくはないけれど…)のに対し、城戸は木島に対して複雑な感情がありすぎて、自身の気持ちを受け入れることができなかったのだろうか。
ここが男同士の話なのだなぁと思う。
ライバル(対等)で居続けたいと思う限り、恋愛関係との両立は男同士の場合難しいのだろうか。
城戸は、件の彼女とは別の女性と家庭を持ち、子供もできた。
これは正しい選択だとわかる。仮に城戸と木島が結ばれたとしても、後に続くのは悲しい物語だっただろうと思うし、私の大好きな木島さんの心からの笑顔を見られることもなかっただろうから、切ない終わり方でもこれが正解だったのだろう。
木島のスランプの原因のひとつが自分のせいだったのかもしれないと城戸が語るシーンがある。
連載を追っていた時は「お前のせいに決まっとるだろうが、この鈍感野郎!木島さんをこれ以上傷つけるな!!」と憤ったのだけれど、コミックで読み返してみると、そんな単純なものではないと気付く。
城戸は木島を好きだったし彼なりに理解していたのだとわかったから。
インディゴの気分=MOOD INDIGO=うたかたの日々
ブルーより暗く、深い憂鬱。死にたい気分。
木島はこのあとスランプを経て、新たな人(久住)と出会い、再生を果たす。城戸とのうたかたの日々は、心にそっとしまわれるのか、もしくは作品という形で昇華されていくのかはわからないけれど、少し切ない懐かしい思い出として残っていくのだろう。
そして、城戸はこの先ずっと、このインディゴの日々を内に抱え続けることだろう。自らが手放した、選択しなかった
“あったかもしれない未来”
を思い、一生もやもやとしていくのだろうし、そうであってほしい。
木島さんファンの私は心からそう思う。
それと、ポルノグラファー続編の木島さん、実は戦力外扱いで農業やってない(デスクワーク担当)というところや、それなりに田舎暮らしを謳歌しているのが嘘つき健在で最高だった。
あと、蒲生田と社長の番外編も読みたい。
もう一度言います。私の2017年ナンバーワン。