見出し画像

歴史講座戦国島津第14回「島津貴久の自立と“三州太守”自認」

薩摩半島を統一した島津貴久はいよいよ「島津奥州家家督」「三州太守」となる。それをどのように正当化し、周辺領主に認めさせたのか。一方、貴久と連繋していたにもかかわらず裏切られた島津奥州家勝久は、どう対応したのか?

関係史跡はこちら
・島津奥州家の菩提寺「玉龍山福昌寺」跡
 https://goo.gl/maps/E58ejve4h22CkScS6
・島津勝久の潜伏先「般若寺」跡
 https://goo.gl/maps/Hvea9CX8ft5Tyxzu6
・安国寺跡の島津豊州家忠朝の墓
 https://goo.gl/maps/faRqykT7rZc28UYX7

ここから先は

12字 / 1ファイル

¥ 300

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?