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食べ森クラブ 2月活動レポート(2019/2/10)

食べ森クラブ 2月の活動についてレポートします!

今月は食べた果物の種をみんなで持ち寄って植えたり、ご近所から「柚子持っていっていいよ」と言っていただいてみんなでトゲにキャーキャー言いながら柚子をもいだり、だんだんと食べ森クラブらしくなってきました。

2月の活動レポートは、参加者のオガ&スタッフのさいかずから。

オガのレポート部分の写真はオガが、それ以外の写真はさいかずが撮ってくれました♪

ぜひご一読ください。

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みんなで焚火を囲んで座れるベンチができたよ♪

【第2回参加報告】食べられる森への一歩 と すでに食べ始めている子の一歩 byオガ

第2回の食べ森クラブは、食べられる森にすべく本格稼働。ひまわりや八朔の種を植えたり、みんなのしたいこと(これはおいおいメンバーから報告があるはず)を実現するために山をかき分け沢を登り現地調査をしたり、ベースキャンプとなる場所に丸太のベンチを作ったり。

視覚情報と脳内思考に頼りがちな毎日を送る私たちにとって、体で感じることの気持ちよさは格別で、体を動かすと自然とアイディアも出るし、試行錯誤も苦ではなく、各自の興味に応じて、考えながら体を動かすのではなく、体を動かしながら考えるスタイルで、とにかく実践開始!

あ、申し遅れました。数か月前にいきなり“森に行くべし!”と天の声が聞こえたような、聞こえなかったような…フォレストネーム“オガ”が、今回の活動をかーちゃん目線でご報告いたします。

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目線の先には焚火とマシュマロ♡

食べ森クラブへは、小3の娘と参加。参加動機は、なんだったかな?とにかく森で過ごすために土日に家を空ける正当な理由が欲しくて、娘を巻き込みました(笑)

その娘は、誰の血を受け継いだのか、非体育会系&現代っ子?で、運動は好きだけど練習頑張るとかしんどいのは嫌い、虫嫌い、熱いの寒い臭いの汚いの嫌い、やりたくないことは絶対しない。と、かなり強めのポリシーを持っていまして(^^;、森はどうかなぁと心配だったのですが、一度連れて行ったらすっかり気に入ってしまって、むしろ私より森に行くことを楽しみにしているんです。

で、何を楽しみにしているかというと、火遊び。もとい、焚火とマシュマロ焼き。

焚火とマシュマロ焼きが、梃子でも動かなかった彼女の鉛のハートに火を付けました。しかも、火力強めで。

“食べられる森をつくる”が趣旨だったはずの当クラブ。ところが、焚火の前を陣取り、マシュマロを焼いて、すでに食べ始めている我が娘…。

焚火なんかしたことないし、マシュマロはそんなに好きではなかったはずなのに、焚火にくべた杉やひのきの穂先が爆ぜる音と自分で焼くマシュマロのトロっとしたおいしさに完全に心を奪われた模様。他の子たちが種を植えたり、木で遊んだりしているのには目もくれず、とにかく焚火とマシュマロ焼きに勤しむ娘の眼差しは真剣そのもの。


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ゴーゴー燃えているよりも燠になっている方が
おいしく焼けるってちゃんと知ってるもん!

焚火のためならせっせと薪を集め、マシュマロを焼くためならマシュマロを指す木の先端をナタで必死に削り(小3女児がナタを手にする姿はなかなか壮観です)、焚火の熱さや煙たさをものともせず、じっくりこんがり焼き上げる。トロっとしたマシュマロを頬張り、満面の笑顔を一瞬だけ見せては、また無表情で薪を拾い、マシュマロを焼き…の繰り返し。

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ナタもすっかりお手の物♪

「おーい、いつまで続けるのよー。森で遊びなさいよー。」と、かーちゃん的には心配だったのですが、マシュマロがなくなった段階ですっきりしたのか、やっと他の子と遊び始め…。

マシュマロ焼くより、場の空気読んだら?とか、(森に連れてきておいてなんですが)マシュマロ焼くより勉強のほうが大事なんだからね!なんて大人の私は考えてしまったのですが、実は好きなことや興味があることをとことん追求すると、勝手に学びが始まるんだということが帰宅後にありまして。

家に帰りついて、片付けもそこそこに、ほぼ物置の学習机に向かいだした娘。何をしているのかとのぞき込むと、指示したわけでもないのに、森での一日を絵に描き、活動内容をノートに書きだしていたのです。

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巷で話題のリフレクション。振り返りノートは娘の習い事でも取り入れられ、先生に書くよう指導されているのですが、娘は頑なに拒否。

書かない理由を聞くと、「書くことがない」と。習い事の間、先生にいろいろご指導いただいているのに書くことがないとはおかしいでしょ!と思っていたのですが、森から帰ってきて彼女がノートにサラサラっと書きだす姿を見てわかったんです。自分がしたいことを存分にしたら書きたいことだらけだから書くけど、自分に興味がないことを人からやらされたのでは、頭にも体にも心にも刻まれず、記憶として残らない。だから、彼女は、習い事の振り返りノートを書かなかったのではなく、書けなかったのだと。

“森の振り返りノート”は、今はできごとの羅列だけど、そのうち、感じたことや試行錯誤したことなんかが書き込まれていくのかなぁ

りんご一つで医者いらずなんて言いますが、きっと、森一つで先生いらずかも!?

それぐらい、森の持つ力は偉大だと、まだ実がなる前から、実りの多い一日を過ごしました。

食べ森クラブの趣旨とはちょっと違うかもだけど、娘は娘なりに森で食べて、森を食べて(体感して)、成長していくんだろうなぁ。今から次回が楽しみです♪

こういう体験や気づきもプログラムの想定内?

そのあたりは、スタッフのさいかずからの報告をご覧ください。

「大人の子どもかえり」& 「川が生まれる。」 by さいかず

食べ森クラブ 2回目終了。

「寒いからね、絶対に寒いからね」
という言葉を裏切られる事、2回目。前回と同様に、冬とは思えないくらい暖かい陽気に迎えられて、食べ森クラブの2回目が無事終了しました。
(前日は雪だし、翌日も雪予報だし、晴れたのが奇跡のよう)

食べ森クラブとは、
「食べられる森をつくろう」
を合言葉に、同じメンバーが月に一度、森に集い「何する?」から決めていく探求型学びのプログラムです。

「正解を求めるのではなく、問いを立てるのでもない、直感の導きの正しい使い方を学ぶ場である」
とは、前回を終えての気づきでした。

正直、あれ以上の学びの衝撃があるのだろうか…
とは少しばかり贅沢な不安の中で参加しました。まぁ、不安以上に「わくわく」してはいましたが。

さて、蓋を開けてみれば今回は水にまつわる2つの気づきを得ることができました。
名づけるならば、こんな2つです。

「大人の子どもかえり」
「川が生まれる。」

【大人の子どもかえり】
とは、その文字の通り「まるで子どものような大人」が生まれる事です。

フィールドの中には涸れてしまった沢があります。この沢を大人たちで探検してきました。

ずんずんと、
ぐいぐいと。

まるで、前回「山が呼んでいる」と言って尾根まで登った子どものように(なんとまぁ、その子のお父さんが沢登りをしていた訳ですが)。
この様子がとてもいいなぁ、と。

というのも、食べ森クラブを始める前に僕たちは「子どものように好奇心のままに進む姿勢こそが、学びの中では大切なのではないか?」と話していたのです。そして
「子どものあり方が、大人に感染していく場」
をひとつの理想形としていました。

この沢登りはまさに、大人が子どもに立ち返ったかのような勢いで進んでいきました。倒木や大穴もなんのその。
「あれ、そこに道あったの!?」
と、なるくらい夢中になりながら川を登っていきました。

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「俺、沢を登りたいんだよね」「お、いいね。俺も行きたい!」
とワクワクする二人

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倒木をものともせず、ずんずん登っていく!

なんと、当初描いていた「理想形」を2回目にして見つけてしまいました。あと10回あるんだけどなぁ…あなおそろしや、食べ森クラブ。

【川が生まれる。】
2つ目の、川が生まれる。とは比喩の話です。

食べ森クラブは、事前にほとんど「決め事」をしません。強いて言えば、フィールドの境界はありますが、とはいえ広いです。

これは、カリキュラムやプログラム作りをサボっているわけではありません。「自由である」というプログラムにこそ価値があるのではないか?本当に「学び」を得るためには、企画者の意図すら手放す方がいいのではないか?、というチャレンジです。
(やってみるとわかると思いますが、相当に最初は不安です笑)

では、何も決めないと「何が起こるのか?」と、その姿が今回見えました。

私たちは「食べられる森をつくろう」という合言葉の下に集まった仲間です。そんな仲間たちが森で自由に過ごすと、

斜面の上から、

FJT_4104 - コピー

ベンチ作り→何かを食べる時や話し合う時に座るベンチを作る人々

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グラウンドデザイン→このフィールドをどうしていくといいか話し合う人々

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火を囲み食べる→何はともあれ、焚き火を囲んでマシュマロを焼いてる人々

と、全くバラバラの行動をしながら全てが「食べられる森を楽しむ」という一本の川で繋がったのです。なぜ線ではなく川を例えに使ったかと言えば、この流れには前後関係が存在しているからです。

あらゆるものを内包して流れる川。


斜面の上下という流れもあるし、
手順の前後という流れもあるし、
人々の意識という流れもあるし。

沢登りの体験も相まって、そこに僕は川を見出しました。

食べ森クラブに参加していると、
「僕はなぜカリキュラムを作ってきたのだろう?」
と、ふと疑問を抱くことがあります。
もちろん、カリキュラムを作ること自体は否定しませんし、僕も作ることはあります。


ただ、
「カリキュラムがなければ学びは生まれない」
という前提を無意識の中に持ってしまっていたのではないか?
という自分への問いが芽生えてきているのです。

次回はいよいよ「畑作り」へ、歩みを進める感じになりました。もちろん、確定はなく、もしかしたらひたすら斜面を登るかもしれませんし、また沢登りにトライするかもしれません。


「その場、その瞬間に集った人々を最大限信じる」
姿勢で。

計画するともしないとも違う、
「あるがままにその日を迎える」
事の可能性を信じて、来月も楽しみたいと思います。


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