「しつけいらずの子供」は、「しつけ上手の大人」になれない気がする
出先のショッピングモールなどで子供が金切り声をあげて我儘を言い、それを親が「うるさい!」と一喝する。
そんな風景を目にすると、反射的にギョッとします。
それは決して「うるせー!」とイライラするとか、「しつけが雑な親だな!」と軽蔑するとか、まったくもって、そういう話ではなく。
ただただシンプルに「どうしてああなってしまうのだろう?」という、純然たる「疑問」がわいてしまうのです。
理由はなんとなく察していて、私自身が「金切り声をあげない方の子供」であり、親も親で「うるさい!」と叱りつける親ではなかったからなのだと思います。
子供の頃に自分が「そう」ではなかったから、うまく理解することができないのです。
私はその状況に、妙な焦りのような危機感を覚えています。
◆子供の癇癪 VS カキノエキス
さて、記憶にございませんとは言いつつ、「覚えてないだけで実際はギャンギャン言ってたんじゃないの?」という疑惑は否定できません。
ということで、母に聞いてみました。
「私、子供の頃に『うるさい!』とか怒鳴られた記憶がないんやけど……」
「そりゃそうやろ、怒鳴られるようなことする子供やなかったんやから」
そ、そっか……。
「じゃあ、『ウキャーッ!』とかいって癇癪起こしたことも、なかったってこと?」
「全然」
本当にないんかい!!!!!!!
「あ。でも、一時期だけあった。もうずっときゃんきゃん言いよった時期が」
いや、結局あるんかい!!!!!!
「それがさあ、『カキノエキス』で一発で治ったんよ」
「なんて?」
「『カキノエキス』」
「……どっちの?」
「海の牡蠣の方。薬局のオバチャンに相談したら『カルシウム不足たい! これ飲ませればもう一発やけん!』って言って」
ほほ~ん……?
曰く、小さな子供というのは身体がグングン成長していくもので、そっちにカルシウムがガンガン持っていかれるから、どうにも癇癪を起こしてしまうのだ、と。
私の一生に一度の癇癪期は、「牡蠣のエキス」なるもので、あっさり鎮められたらしい。
あまりにもあっけなかったから、私は自分の癇癪期を覚えていなかったのでしょう。
しつけとか気持ちとか、そういう問題ではなかったのだ。
少なくとも当時の私にとっては。
ちなみに、今ちょろっと調べてみたところ、確かに牡蠣のエキスにカルシウムはけっこう含まれている、らしい。
そして、1歳くらいからなら、食あたりやアレルギーに気をつけつつ摂取してもいい、らしい。
あくまでも一例ということで責任は取れませんが、今まさにお困りの方は、眉唾な情報程度のものとしてどうぞ。
◆育てられたようにしか育てられない?
さて、話はここでは終わりません。
私の疑問と恐怖は、そこかしこに溢れる「奔放な子供」と「それを育てる親」の存在にあります。
それを目の当たりにすると、子供側でそれを経験しなかった私が大人側に立たされた時、どうすればいいのか分からないのです。
人は、育てられたようにしか育てられない、ような気がしています。
だというのに、ろくに癇癪を起こさなかった私には、「癇癪を起こした時に、親に〇〇された(怒鳴られた、たしなめられた、上手にかわされた……)」といった経験が、ごっそり存在しない。
もし仮に私に殿方とのご縁があって、子宝にも恵まれて、さて子育てですぞとなったとき、その子が癇癪持ちだったら、私は一体どうするのだ?
魔法の牡蠣のエキスでどうこうするのか?
カルシウムどころの騒ぎではないほどの問題児だったら?
そんなことを考えると、なんだか、途方もない気分になってきます。
いや、未婚でこんな皮算用めいた心配をしている時点で、だいぶ途方もないんですけれども。
けれど、実際に結婚して子供ができたら、こんなアホみたいなことはもう考えられないにちがいない。
アホなうちにしか考えられないことが、書けないことが、ある――。
ということで、もう少し深堀りしてみましょう。
まずは、私と両親が「怒鳴られる子供」と「怒鳴らない親」であった現実を、ちょっと分解してみます。
◆「怒鳴られない子供」だった私について
金切り声に限らず、私は「地団太を踏んでなにがしかをオネダリする」とか、「好き勝手に走り回る」とか、奔放な子供らしいことは、どれもこれもやらないような子供でした。
(些細なイタズラとか悪だくみは人並みにやってたけどね)
その理由は「あたくしが良い子だったから♪」なんてものではありません。
なんともおぞましいことに、私の幼少期の記憶の中で最も古いところにある感性に、すでに「みっともない」が存在したのです。
「人前でグダグダ我儘を言うのはみっともない」ので、大声でぎゃんぎゃん我儘を言わない子供。
こ、怖……。人目を気にし過ぎだよ……。
いやしかし、探せばいくらでも居るような気もする……。
(自分もそうでしたよという人が居たら、ぜひ教えてほしいです)
とはいえ、癇癪と同じように、私は私がワガママガールだったことを忘れているだけかもしれない。
ということで、母に聞いてみました。
「私ってさ、子供の頃にどうしようもない我儘とか言ったこと、あった?」
「一回だけ」
一回はあったんだ……。でも一回だけなんだ……。
「自転車なんて乗れないくせに、『おジャ魔女どれみ』の絵がついてる自転車が欲しい、って」
ああ……お、覚えてるわ……。思い出したわ……。
そんな話になった瞬間、ショッピングモールの広い廊下を思い出しました。
廊下の中央にずらりと並ぶ自転車。
その前で、ムッツリ黙り込んで立ち尽くす自分。
※ここでちょっと怖いのは、記憶の映像が主観ではなく客観であるところ。
これに限らず、どんな思い出も、その大半が主観映像ではなく客観映像で再生されます。
このへんからも、私がどれだけ「他人にどう見られているか(みっともなくないか、可愛いか、面白いか……)」を意識していることが分かります。
ということで、私は「生来の良い子だった」というわけではなく、「みっともない子だなあと思われたくなかった」という自意識によって自分の行動を抑制していたため、結果的に怒鳴らるような突拍子もないことをしなかった、というわけです。
◆「怒鳴らない親」だった両親について
◇「THE 昭和の親父」らしい父
私の父は、母によく「俺は父親になるために生まれてきた」と語っていたそうです。
父は、自分自身が早くに父親を亡くしたからか、若い頃から「父親になること」を夢見ていたそうな。
そんな父は、兄と私を育て上げ、私が就職先を決めて大学を卒業する間際という「子育て終了の一区切り」のタイミングで急逝(※原因不明)しました。
母はのちに「いくらなんでも父親の役目を果たした途端に急ぎすぎ」と黄昏れていました。
ここまでの話でなんとな~く分かると思いますが、父はそれはそれは我が子大好き男でした。
常に120%激甘だったかと言われれば、そういうわけではなく、機嫌が悪い時にはグチグチ言ってきたりだとか、「ここぞ」という時は理詰めでガンガン叱ってくれたりだとか、そういうことはありましたが。
決して無碍にされない、必ず味方でいてくれる、という絶対的な信頼はありました。
娘にそう思わせる父の愛は、「うちの子になにかあったら許さんぞオイ……」とメラメラ燃えているタイプの愛でした。
私が人様にドデカい迷惑をかけたりだとか、そういったことをしていたら、きっと人前だろうとなんだろうと怒鳴ってくれていただろうなあ、とは思います。
◇「母親」らしくない母
私の母は、「自分を親だとは思ってない」のだそうです。
「友達とか、いっても姉とか、それくらい?」
なんて初めて言われた時の、「あ~~~~~!!(しっくり)」感たるや。
母は私がごくごく小さなころから「子ども扱い」をしなかったそうです。
どんなに幼くても「一人の対等な人間」だと思っていた、と。
言われてみれば確かにそうかも、と感じます。
諭された覚えは数多あれど、しつけられた覚えがまったくないのです。
なので、怒鳴られることももちろんありませんでした。
(その代わり、大きく機嫌を損ねたら徹底的にプリプリされます。これもなんとなく友達らしい距離感だなあと思います)
◆しつけなくていいのかも?
書きながら至った結論は、今のところこうです。
「しつけなくてもいいのかも?」
「しつけ上手の大人」になんぞなる必要はないのではないか?
父がそうであったようにドッシリと信頼関係を築いて、母がそうであったように丁寧に諭せばいいのではないか?
あ~ほらね! やっぱり、育てられたようにしか育てられないやんか!
まあ、うちの親の育て方は悪くないものだったと思っているので、別にそれはそれでいいと思うけど、いや今回の話は「自分の子供が自分に似ていなかったら、受けた経験を再現すれば済む話じゃなくなるから、大変そうだね~」という話なわけで……ぐるぐる……どうどう……。
なんだかよく分からなくなってきましたが、この「分からないな」に辿り着くまで走り回るのが目的のnoteだったので、これはこれでよいでしょう。
いつか本当に子供ができたとき、このnoteを読み返したときの己の反応は、「アホだな~♪」と笑い散らかすか、「アホだな~!?」とnoteを抹消するか、そのいずれかだと思います。
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