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屁を恥とする精神が誇りと繋がった時

早朝、自分のおならの音によって目が覚めた。

ハッとして隣を見やる。
そこに夫の姿はすでになかった。

ホッと安堵する私。
結婚生活20年にもなるが、私はまだ気を抜いて夫の前でおならをしたことがない。


それは「恥」の精神が根強い。
実家の家族や自分の子どもに対しては何の気兼ねなく屁が放れる。しかし同じ身内でも夫の前ではどうしても放れない。

夫が屁をしないわけではない。むしろしすぎるくらい、時に嫌がらせな程に私の前で屁をひる。
しかし、私の放屁はどうしても夫に対して「恥」がわいてしまうのだ。

よく長年結婚生活しているとお互いが空気のような存在となって、夫の前でも平気で屁をひるという話を聞くが、私はどうしてもそれができない。

そこにあるのは「恥」。

しかし、もはや親より長く生活を共にしている夫。
屁は生理現象であり、生きてりゃ皆出るものであり、もちろんこの20年において不意に出て聞かれたことも何度かある。
しかし、自分の意識のあるうちは私の屁を聞かすまいと気の抜けない日々を送っている。



最近小6の次男が熱心に漫画を描いている。
まだ描き続けている最中ではあるが、その漫画の第一作目を見せてくれた。
それを読んで私は心を震わせた。

主人公は「長乃濱久美子右衛門」。

私のフルネームががっつりと使われている。
また、読み進めると、普段の私の口癖「あたしゃ、やだよ。」などが使われていることから私がベースのモデルとなっていることが伝わってくる。

その主人公、久美子右衛門の粋なことといったらないのだ。

「罪のない者はきれぬ、好きにしろ」
「ならば覚悟を決め己の人生に幕を閉じよう、美しきかな人生!!」
「いらないね、金で買えるものなんてたかが知れてるよ」

その各キメの場面において吐き捨てられる言葉の根底には
なにか潔い「日本人の恥」の精神が感じられるのだ。

今朝、無意識で屁をひり、早起きしていた夫の不在で「恥」を感じずに済んだと思った私の心境。
20年の仲でもいまだに恥を感じている自分に改めて「もういいだろ」とつっこんだのだが、子どもが感じている私の「恥」精神が日本人としての粋でかっこよすぎる「恥」精神に変換されているのではと思ったら嬉しく(ものすごい勝手な思い込み)、今後ともこの「恥」の気持ちは大切にしていきたいと「長乃濱久美子右衛門」の生き様を見て感じたのであった。

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久美子/タビ
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