青春の分岐点、そして終着駅 〜「ラストチャンス、ラストダンス」の話〜
キングオージャーに裏切られました、田です。
5周年ライブを直前に控えた≠ME、その環境を揺るがすとんでもない曲が解禁されました。1stアルバムリード曲「ラストチャンス、ラストダンス」です。
≠MEの代名詞でもある「青春」のど真ん中を行くような世界観なんですけど、最近はシングル表題などメイン級の楽曲でこういう雰囲気をやる事が少なかったのでどこか新鮮な気持ちもあるというか。
そしてメジャーデビュー後の≠MEが度々表現して1つの武器にもなっていた「叶わない恋」を歌った楽曲であり、デビュー前とデビュー後、どちらの足跡も感じられるような絶妙な楽曲だな、と感じました。
そしてなんといっても行間に込められた歌詞の奥行きがとんでもなくて。なので書き殴っていきたいと思います。
この「ラストチャンス、ラストダンス」という楽曲を紐解く上で欠かせないと思うのがメジャーデビューミニアルバムのリード曲である「秘密インシデント」だと思います。
歌詞の節々にどこか地続きのような感覚のあるこの2曲。ミニアルバムのリリースが2021年であり、そこから高校生活と同じ月日の3年が経った2024年に発表されたという事もあるので「秘密インシデント」で恋に落ちた主人公が卒業を目前に控えたタイミングの出来事と解釈してもいいんじゃないかな、と思います。わざわざ1stアルバムに「秘密インシデント」を収録した理由にも「デビューを彩ったもう1つの「始まり」の曲だから」にさらにもう1段階意味を付け加えられると思うので。
この曲の歌詞解釈をしてく上で、この曲は特に意見が分かれる部分が2つあると思います。それが「秘密インシデントとの関連性」と「ラストチャンスという言葉が持つ意味」です。個人的には前述した通り「秘密インシデントと地続きになっている」と考えており、ラストチャンスという言葉に含まれているのは「恋に踏ん切りを付けたタイミング」ではなくシンプルに「卒業を目前に控えている」事だと思っています。その上で歌詞に対してのアレコレを書いていきたいので、それを把握した上で「オタクの解釈の1つ」として読んでもらえるとこちらも嬉しいです。
この曲の主人公である「僕」の好きな「君」に恋人がいる、という噂が流れていて「僕」の耳にも入ってくる所から曲が始まります。なんてことない歌詞ではあるのですがこの後の歌詞で見え隠れする「僕」の思想を踏まえるとかなり重要な意味を持つ歌詞となります。
移動教室へ向かう最中、偶然にも「君」が恋人といる現場を目撃してしまいます。相手は「知らない人」とされていて、踊り場=校内で見かけたので恐らく他校では無く、他クラスの人なんでしょう。そして「僕」の脳内には存在していなかった自分ではない人へ好意を向けている「君」の姿。そんな君の事なんて嫌い、と気持ちを投げ出してるように見えますが「好き」の反対は「嫌い」ではなく「興味が無い」だと思うのでまだ「嫌い」という感情を持ってるという事から「恋人がいる姿を見てしまっても君への感情を捨てきれていない、でも強がっている」様子が分かります。
我らが推しメン、少しハスキーなニュアンスを入れた歌い方がどんどん上手になってきているなぁとこのパートで感じました。いい歌声ですよね〜。
サビの冒頭では突然突きつけられた現実を見てもそれを受け入れたく無いのか、強がる様子が分かります。
そして「言葉の隅っこまで全部、最後まで見逃さないのに気付かないなんて何故?」という歌詞から「それだけ君の事を想っていたし、一方的に見ていたし、僕だけが分かっているはずだったのに、肝心の恋人がいた事に気づけなかった自分を責める僕」が描かれています。ここで効いてくるのが先程書いたAメロの歌詞であり、「恋人がいる」という事を知った発端は「噂」程度であるという事が「僕」の心の傷をより深いものにしています。全て分かっていると思っていた相手の事を上辺しか見えていなかった、という事実。
またこの歌詞は「自分を責める様子」ともう1つ、「こんなに君の色んな所を見て、一瞬も見逃さないぐらい好きだという僕の気持ちに気付いてくれないのは何故?」と「君」に向けて問いかけているような意味にも取れるダブルミーニングの歌詞になっていると思います。
同じ様に、そんな「少しの事も見逃さない」という姿勢が描かれているのが「秘密インシデント」での「バレないくらいの色つきリップ」のくだり。あの曲の主人公も好きな相手の些細な変化も見逃さない事が変わっていないし、そこに気付いて欲しいと思っているおり、この曲の主人公と似た思考を持っている事が分かります。
一番の歌詞の行間を読むと薄々感じられるのですが、この曲の主人公、だいぶ拗らせています。「好き」という気持ちを持ちながら行動に移せなかった弱虫の癖に…!!!!!!
≠MEの表題楽曲の中で同じように「叶わない恋」を歌っている「まほろばアスタリスク」の主人公が可愛く思えてくるぐらいにはだいぶ拗らせています。「チョコレートメランコリー」は論外です。アイツは恋に関して「叶う、叶わない」とかの次元じゃなく、力ずくでも「叶える」物だと思ってるので。
そしてタイトルにもある「ラストダンス」というフレーズ。これは「ダンスパーティー等で最後に踊る相手」の事で、そういった相手は両想いの相手だったり、男性側が好意を持ってる相手を誘いに行くという事が通例となっているそうです。この曲中でも「学校生活の最後というタイミングで、その最後を一緒に彩ってほしい相手として君を選ぶ」というその意味通りに受け取るのが自然だと思うのですが、「ダンス」というフレーズを「精神的な意味」として捉えると「君という存在によって踊らされていたのもこれで最後にする」という決意ともとれます。第一、「君」は手の平の上で転がそうとなんてしてないので主人公の自分本意な考え故の事なのですが。
2番。
涙は流さず強がってはいますが、動揺は押し殺せない。「風」が強い帰路で過去の事を考え、後悔します。
ここでの「風」の立ち位置は「帰り道に吹く強い風」。一刻も早く帰りたいであろう主人公を妨害するものとして単純に物理的に強い風が吹いているとも捉えられますが、「突然、現実を目の前に突きつけられ動揺している主人公の心情の比喩」とも思えます。
「≠ME」や「秘密インシデント」でも「風」は登場し、どちらも主人公の「恋に落ちる瞬間」の心情を表していました。恋愛においてポジティブな側面の心情を描いていた2曲に対して、この曲中では「失恋の戸惑い」という恋愛におけるネガティブな側面の心情を描いているんですよね。つまり「≠ME」、「秘密インシデント」とは逆の役割で描かれています。
以前「秘密インシデント」がリリースされた際のnoteにも書いたのですが、≠MEの青春は常に「風」がそばにいて、共にその情景を彩ってきました。久しぶりの青春ソングにちゃんと「風」がいてくれる安心感がすごいんですよね。
≠MEと風の関係性については2024年2月21日更新分の冨田さんのFCブログで書かれているのでそちらを読んでください。(月額たったの440円で過去のブログも読み放題!)(その他コンテンツも充実!)(みんなで入ろう!≠MEファンクラブ!)(ステマ!)
そしてこの曲で度々出てくる思考が「どこまで戻れば違った「今」になっただろう?」という考え。「秘密インシデント」で示されたように「恋を自覚するのはふいのきっかけであり、ほんの一瞬の出来事である」と同じように「恋」の進路を左右するきっかけは常に転がっており、一瞬の選択で違った未来が待っていると考えられます。パラレルワールドの理論に似たものですね。「ラストチャンス、ラストダンス」では「秘密インシデント」と違うベクトルで「恋は一瞬の出来事」だという事を示してると解釈しています。「どこまで戻れば間に合った?」と、今更考えても遅いし戻ったところで本当に違った未来があったのか、と考えると確証が無い思考に囚われている事からもこの主人公の焦りが伺えます。
この曲は「失恋」を描いたものと思いがちですが、それはどうなんだろう?と考える事があります。失恋のベクトルは人それぞれなので受け取り方は違うと思うんですが、個人的には「付き合っていて別れた」訳ではないし、「告白してフラれた」訳でもない、行動に移してすらいない恋が叶わないと知ったこの状況は「失恋」と言えるのでしょうか?なので曲中にも何度も出てくるようにあくまで「片想い」であり、客観的に見たら実は「恋」にも進めてないのではないのかな、と思います。主人公の中では「失恋」として処理している様ですが、そういう曖昧なラインの出来事を、明るいメロディに乗せて歌うからこそ切なさが加速しているような気がします。
「貸してる本だって もういらないよ 君にあげる」という歌詞、この曲の主人公がだいぶ拗らせている事がわかる象徴の1つの様な歌詞なんですよね。本の貸し借りをするぐらい親密な関係だったけど、「君」に恋人がいると知ってしまった以上、どんな顔をすればいいか分からない。でも「返す」という行為がある事でどうしても顔を合わせなければならない。だったらもう要らない。ほとんどこの恋に対してアクションを起こしてないように感じる主人公ですが、「本の貸し借り」は主人公の中では「恋のアクションの1つ」のつもりだったのかもしれません。相手はそれに関して「友情のアクションの1つ」としか思っていなかったようですが。
そして「僕」が「君」のそばに存在していたという事を刻む為に、形あるものを残したいという一種の呪縛にも似た気持ちも読み取れます。
「恋」という形の無いものを形あるものとして残したいというのは指原Pの詞で度々出てくる表現ですよね。「いい映画を観た時」とか「美味しいご飯を食べた時」に思い出す相手は僕がいいとか、この「台詞を読んだ時に「あ、あの時この台詞好きって言ってたな」と思い出してほしい」とか。形の無いものに対して物理的な属性を付与する事で、明確に「そこに在る」という事を示す。
フォロワーが言っていましたがここはもうしおみるの振り付けに全てが詰まっています。ありがとう。Forever。
そして「僕が君を想う時に 君は誰といる?」というこの一節の歌詞のおかげでこの曲にオタク→アイドルとしてのメタ的な構図としてもこの楽曲を受け取れる側面が生まれている気がします。
ラスサビ。
ここでついに自分の気持ちに踏ん切りを付けます。というか開き直ってるようにも感じます。今日でこの恋は終わりだから、明日からは好きじゃない。いわば「昨日とは違う自分」に踏み出す決意とも取れます。「僕」の事を好きじゃない「君」存在なんて消してしまいたい。でも大切だからこそそんな事出来なくて「好きじゃなくなる」のが限界だった。「僕」が変わる為の精一杯の抵抗がこれだった。
この後に続く歌詞が「君の全部が好きだ」という歌詞なんですけどもう無敵の人状態なんですよね。それが出来るんならもっと早くしろ!!!!最初っから!!!!!気持ちを!!!!相手に!!!!!伝えろよ!!!!!
あと「バイバイ 淡い 期待」の語感、気持ちよすぎる。
「君の全部が好きだ」と言いますがこの曲中で散々示されてきたように「君の全部」なんて本当は知らなくて、知っていたつもりなだけだったんですよね。それでも今まで見てきた「僕の中の君の全部」を「好き」と心で誓う「僕」。この「好き」だったという気持ちは消さないし、消せない。だから最後に全てを心の中でさらけ出す「僕」。
そしてこの曲最高のフレーズがラスサビで投下されます。本当に最高の歌詞なんですよ。「笑ったその声も 授業に飽きた表情でさえ (中略) 好きなのは僕だけだ」という歌詞。
「笑ったその声」は、「僕」と接している時の紛れもなく「僕」だけに向けてくれていたあの笑顔と笑い声。でも個人的な解釈として、1番Aメロで「踊り場で恋人と笑い合う君」を見かけてしまった時、恋人に見せる笑顔と「僕」に見せてくれていた笑顔の違いに気づいてしまったんじゃないかなぁ、と。恋人にしか見せない笑顔、いわゆる「素」で笑っている「君」。だからそれを見た時は「そんな笑顔をする君は嫌い」と判断したけど、ひっくり返して考えれば「僕に向けてくれていた笑顔は「素」では無くとも、「素」じゃないからこそ恋人は見られないであろう表情」だと自分の中で美化したのかな、と思いました。
そしてもう1つ、「授業に飽きた表情」。1番Aメロで「君」の恋人が「僕」の知らない人である事から恋人は他クラスだと察せられます。だから「同じクラスであり、尚且つただ同じクラスで過ごすだけではなく君の事を日頃から気にかけていないと見れなかった表情」なんですよね、この表情って。
つまりこの2つは恋人は知る事が出来ない「僕だけが知っている君」であり、それをこの先も忘れないと心に刻むという、恋も、後悔も、そしてマウントも全てが共存する歌詞なんですよ。「僕は君の全てを知ってるんだ」と勘違いするくらい想ってたし、好きだったのに肝心の恋人が出来ていた事には気づけなくて。だからこそ最後の最後に今の恋人は知らないであろうどうあがいても「好きなのは僕だけ」な部分を心に残して先へ進むのがこの曲中の「僕」の人物像を凝縮した歌詞だと思います。
この曲がアルバムの曲順でどこに位置づけられるか、そして来る5周年ライブでどういった扱いを受けるかにもよってこの曲への向き合い方が変わってくると思います。「秘密インシデント」のifとも取れるし、続編とも思える。ただ個人的には「秘密インシデント」が始まりとして「きっかけがあった瞬間に行動したルート」が「≠ME」で、「行動しなかったルート」が「ラストチャンス、ラストダンス」なんじゃないかなと。青春自体過ぎ去るのはまさに「風」のように一瞬で儚いものだからこそ、そのきっかけを見逃さず動けるかどうかが重要になってくるんだと思います。それによって分岐した終着駅。それが「≠ME」と「ラストチャンス、ラストダンス」だと考えたいです。
ここ最近のシングル表題はこのスタンスの曲が続いていたのでここで「貴方は?」と問われる側を描いた曲が聴けるというのもまた良いんですよね〜〜
「片恋」と言うのが推しメンっぽい、素敵