【第二回】ヒットする新規メディアは、「ニーズ」ではなく、「抑圧」から生まれる。 ——「美魔女」ブームが解放した40代女性の「抑圧」とは?
さて、前回はメディア立ちあげにあたって必要な「理念」について、岩波文庫を例に語りました。が、「理念」だけでは、読者にとってはクソの役にも立ちません。「理念」という精神に、骨を通し肉付けしていく段階に入ります。具体的には「何を」(=テーマ設定)、「誰に」(=ターゲット読者)、「どのように」(編集的な方法論やトーン&マナー)伝えていくか、これらを決めるプロセスになります。そして、この「誰に」「何を」「どのように」の3点セットが、いわゆるメディアとしてのコンセプトの中核になります。
私もこの10年ほど散々、新規メディアのコンセプト設定について考えてきました。そして、通常のプロダクトマーケティングの手法をメディア作りに当てはめて、「消費者ニーズ」(読者の情報ニーズ)を探り当てようとすることに躍起になるプロセスを何回も実体験してきました。
具体的な実作業としては、読者ニーズに関して「仮説」を立て、マクロミルなどのネット・アンケート通じて定量調査を行い「あなたが興味・関心のあることは何ですか? 以下の選択肢をチェックしてください」式のリサーチをやったり、対象読者と類似の人を集め、専門リサーチャーに委託して、グループインタビュー(要はマジックミラー越しに見る座談会)をやったりするわけです。
そして、いよいよ思い至ったことがあります。今日はそのことについて書きましょう。
マーケティング・リサーチを通じて、読者が飢餓感を覚える「ニーズ」を探るプロセスを完全にムダと言いたいわけではありませんが、このようなマーケティング・リサーチの方法論を精緻に実行することと、ヒットするメディアが出来るかどうかにはあまり相関がないのではないか、と最近の私には思えて来ています。
なぜならば、読み手の「情報へのニーズ」ではなく、「自分でも語りえぬ抑圧」こそが、大きくブレイクするメディアの胎盤となるからです。
「美STORY」が明らかにした40代女性の「抑圧」
幾つか具体的な事例を挙げましょう。
全く40代以上に見えないような見目麗しい熟女を集め、「美魔女」とラベル付けして、大いに持て囃すことで、大きくヒットとなったファッション美容雑誌に「美STORY」があります。(「美STORY」の編集長だった山本由樹氏は、最近、幻冬舎の見城氏や、秋元康氏、サイバーエージェントの藤田氏らと組んで、新たに「gift」という会社を立ち上げたことでも話題をさらいました。)
さて、その「美STORY」では、美魔女を
「年齢という言葉が無意味なほどの輝いた容姿」
「経験を積み重ねて磨かれた内面の美しさ」
「いつまでも美を追求し続ける好奇心と向上心」
「美しさが自己満足にならない社交性」
という条件を備えた
"エイジレスビューティー"な女性
と定義しているそうですが、私に言わせれば、これは広告主向けのお見合いの釣り書きみたいなものでしかありません。
表紙のロゴ下では「ニッポンの40代はもっともっと美しくなる!」とショルダーコピーがあります。これはこれで、まあ、分かります。
この「美STORY」が読者に対して、絶叫している「裏メッセージ」は何か、皆さんは、お気づきになったでしょうか。
それを私なりに解釈するならば・・・
「40代の女性だって、バリバリにオトコに口説かれて、ガンガンとセックスしていたっていいじゃないか!ね?そう思うでしょ?」
という熱い魂の呼びかけです。この雑誌で、セクシュアルなことが重視されているのは、上記の表紙モデルの露出度の高さや、美魔女のヌードが何度も掲載されることを見れば一目瞭然ではないでしょうか。
おそらく「美STORY」が登場するまでは、40代にもなって分別のある大人の女性にとって、「セックスしたい」という人間としての当然の素直な欲望がタブー視され続けてきたような気がします。そして、夫や子供のことを最優先に考えて行動すべきだ!という「良妻賢母」的な規範のプレッシャー下で、「キレイでいたい」>「恋愛したい」>「セックスしたい」という40代中年女性の欲望の三段活用に対しては、いい年こいて「はしたない」「いやらしい」という蔑視の眼差しが向けられるのが常であり、そこに深い無意識への封印があったと思います。この封印を解放してあげることで、読者からの共感を獲得し、カタルシスを提供したことにこそ、「美魔女ブーム」の震源地としての「美STORY」の成功の秘密があったのではないでしょうか。
このような無意識のうちに封印された欲望や衝動を、心理学の世界では「抑圧」といいます。
そして、当たり前ですが、自分自身でもすぐに肯定しにくいような欲求や衝動だからこそ、「抑圧」となってしまうわけです。外部企業のマーケティング・リサーチなどで、表面的に聞かれたといって、自分自身が「何に抑圧されているか?」について、いきなりダダ漏れモードで、ホイホイと正直に答えることなど絶対に不可能です。
例えば「美STORY」の創刊前に、40代女性向けに定量調査で「あなたが最近、感じた情報ニーズについてお答えください。」というような設問を設置し、そこに、「男性から口説かれて、セックスできるくらいキレイでいるための美容情報」というような選択肢があっても、正直にチェックする人は少ないでしょう。ましてや、初対面かつ複数人のグループインタビューで、このような「抑圧」についての本音が聞けると期待するのは、そもそもが極めて難しい話です。
しかし、こういった「抑圧」を探り当て、言語化し、解放してあげることにこそ、ヒットする新規メディアの胎盤があります。
読者というものは、自分がどういう情報を欲しているのか?何に抑圧されているのか?実は、自分自身でもよく分かっていません。そして、自分自身でも無意識の下に封印し、すぐに気が付かないからこそ「抑圧」なのです。
素晴らしくヒットする新規メディアというものは、読者の目の前にその姿を初めて表したときに、そういった「抑圧」からのを解放を呼びかける自由の女神のように現れるものではないでしょうか。
メディアの歴史は、抑圧が解放されてきた歴史でもあります。
新規メディアの使命のひとつは、読者が語りえぬ「抑圧」を解放することです。
「抑圧」から見えてくるメディアの可能性
私がリクルート時代に創刊に携わった「R25」というフリーマガジンでも、創刊前に何度となく、対象読者である若いM1サラリーマン層を集めて、グループインタビューを実施しました。呼び集めたM1層を区分する重要なセグメント分けの基準は「新聞を読む/読まない」というものでした。当時、チーム内や役員会では何度となく議論に上がった主な論点は、R25の媒体コンセプトそのものをどのように設定するかについてでした。
より具体的には政治経済などの硬派な時事ネタを、どのように扱うのか。あるいは政治経済などの時事ネタは扱わず、東京ウォーカーのようなタウン誌やBRUTUSのようなライフスタイル誌っぽい顔つきをしたフリーマガジンを作るべきではないか?ということが最重要の論点であったのです。そこで、政治経済などの硬派なネタへの情報ニーズの有無を具体的に表す、生活行動として「新聞を読む/読まない」というフラグを用いて、グループインタビューを繰り返したのです。
しかし、幾度となく続くグループインタビューの中で、対象となるM1読者予備軍からの「新聞ですか?ええ、えぇ、読んでますよ・・・日経をね(小声)」と答えるインタビュー対象者の顔つき、口ぶりをマジックミラー越しに見つめていた編集責任者の藤井大輔さんから「こいつら、ちゃんと新聞の内容を分かって読んでるのかな……」という意義深い洞察がもたらされます。
高学歴で大企業勤務の若いM1層の間には、「スーツを着たサラリーマンたるもの、日経新聞に書いてあるレベルのことは、常識として知っていなければならない」「新聞に書いてあることで、理解できないことがあっても、バカだと思われて恥をかくので、職場で他人に気軽に聞いてはならない」という「抑圧」が発見されたのです。
40代女性が「良妻賢母」的な理想のイメージに縛られて、「セックスへの欲求」を封印していたのと同様に、20代半ばの若いサラリーマンは、「日経新聞をスラスラ読める企業戦士」への同化圧力を強烈に感じており、「金利が下がるとなぜ景気が刺激されるのか?」というレベルの「そもそも論」について「聞いてはならない」という抑圧に苦しめられていたのです。
そもそも、グループインタビューの中で「新聞を読んでいる/読んでいない」という二項対立的な読者ターゲット層の区分自体が、読者の実態からかけ離れていたわけです。M1層の実態は、「社会人たるもの、新聞は読むべきと感じている/感じていない」という区分と、「新聞の内容をきちんと理解して読めている/読めていない」の区分とで2×2で4パターンに分かれるマトリックスで捉えるべきでした。そして、R25は実はかなりの多数派を占めていた「新聞は読むべき」と感じてはいるが、「新聞の内容をきちんと理解して読めていない」層に向け、速報性ではなく、そもそも論の分かりやすさで勝負するという媒体コンセプトを決定したわけです。
ケータイやスマートフォンへの電子書籍という新規メディアは、「女性はエロ本を読んではならない。ましてやコンビニや書店など人目のある公の場所で買ってはならない!」という抑圧から、世の女性たちを解放し、その結果として、女性向けのアダルト・コンテンツ需要(レディースコミック的なものや、官能小説的なもの)が花開きました。
VHSに始まるホームビデオから、インターネット黎明期、そして上述した電子コミックに至るまで、新規メディアで最初に受容されるのは、常にアダルト需要のエロ・コンテンツである、という事象は、メディア業界で幾度も見られる普遍の法則です。が、ここに私は、単なる「あるある話」を超えた必然性を見出します。なぜならば、エロ・コンテンツへの需要、つまりは性欲こそが、もっとも普遍的な最大公約数にとっての「抑圧」でもあるからです。
メディアが立ち上がり成功した後では、「抑圧」もある程度解放されてしまうので、そこに「情報ニーズがあった」ように事後的には見えてしまいがちです。
しかし、創刊前やローンチ前の時点では、「ニーズ」を探りあてるよりも、読者の語りえぬ欲望としての「抑圧」を発見しよう、という姿勢で行動したほうが、宝箱を開けるカギを早く見つけられるのではないか、と私は最近思うようになりました。
この「抑圧」という概念を心理学者のものだけにしておくのは実に勿体無い。メディア編集者やマーケター、起業家こそ、「抑圧」についてのセンサーをビンビンに研ぎ澄ましましょう。なぜなら、「抑圧」の有るところ、必ずビジネスチャンス有り、だからです。
===終了===
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