【第一回】「創刊の理念」とはどのようなものか? ——岩波文庫にあって、楽天koboにないもの

さて、私はこれまで、紙とネットの両方において、幾つかの新規メディアを立ちあげて参りました。この連載では、新たにメディアを立ちあげようとすることに興味のある人に対し、視野を広げて頂くきっかけとなれば、という思いで書いて参ります。

このnoteも、この2012年に産み落とされた新規メディアでありますが、このような新規メディアを立ち上げるに際して、最も必要なものは、皆さん、何だとお思いでしょうか。お金? 人材? ヤル気? ……etc.

非常に青臭く、白けるようで恐縮ですが、私は、新たにメディア(ウェブサイト、雑誌、書籍etc.)を作るにあたって、もっとも必要なものは、「志」や「理念」、「哲学」や「思想」としか言いようのない何か……だと痛感しています。より具体的に言うならば、自分を取り巻く社会や時代状況に対する、「異議申立て」や、「存在する不条理への怒り」のようなものとでも言えるでしょうか。事業として持続し、読者や関係者を巻き込んで、リスペクトを勝ち取るようなメディアには、有形か無形かを問わず、スピリットとでも言えるような何かが必ずその中核にあるのだと感じて参りました。

さて、これは何ゆえでしょうか。

まず、第一に、書籍やウェブサイトというもの、つまりメディア上で提供される記事やコンテンツは、1回限りで消費され、蕩尽されるものではないからです。つまり、既存のものと何か違うところのないかぎり、存在意義はありません。(この「利用されたからといって、消費されない」という情報の本質については、メディアに携わる者は、よくよく考えぬく必要があります。)

そして第二に、読者がメディアを必要とする理由は、メディア企業やコンテンツの著者を儲けさせたり、関係者の自尊心を満たすためではありません。読者は、あくまで自らの知的欲求を満たしたり、読者が日々の生活の中で感じている違和感や不満どのように解決するかにこそ興味を持つからです。

さて、今回は、本サイトの開設記念ということもあり、私が、この文章において「創刊の理念」と言ってきたものが指し示す具体例を紹介し、解説をしたいと思います。

「創刊の理念」として、もっとも格調高く、自らの存在意義を謳い上げる事例として、私が感銘を受けた岩波文庫の発刊の言葉を紹介します。自分達のメディアは、どういう価値観を持って社会に挑もうとしており、現状について何を不満に思い、読者と、読者を取り巻く世界をどのように変えていきたいのか。この文章に勝る普遍性と、純度の高い熱量を伴った好例を私は知りません。そして、楽天koboやAmazon Kindleを巡って、電子書籍に関する議論がやかましい昨今だからこそ、読み返すべき名文だとも思います。

文語調で一見、堅苦しいのですが、今となっては、若干の皮肉に感じられる面も含め、実に味わい深い文章ですので、毛嫌いせずに、お読みください。

(太字強調は筆者によります)

読書子に寄す
――岩波文庫発刊に際して――
岩波茂雄
 真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。
今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。
近時大量生産予約出版の流行を見る。
その広告宣伝の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称する全集がその編集に万全の用意をなしたるか。千古の典籍の翻訳企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うるがごとき、はたしてその揚言する学芸解放のゆえんなりや。吾人は天下の名士の声に和してこれを推挙するに躊躇するものである。
このときにあたって、岩波書店は自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかのレクラム文庫にとり、
古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に須要なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する。
この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、
読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とするがゆえに、外観を顧みざるも内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来の岩波出版物の特色をますます発揮せしめようとする。
この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって文庫の使命を遺憾なく果たさしめることを期する。芸術を愛し知識を求むる士の自ら進んでこの挙に参加し、希望と忠言とを寄せられることは吾人の熱望するところである。
その性質上経済的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。
昭和二年七月

まず、解説したほうが良いと思われる点があります。文中に

「予約出版の流行を見る」
とあります。この文章が書かれた大正末〜昭和初期の当時は、たとえば有名な作家の全集を入手しようとすると、出版社に対して、全集を「まるごと買う」と予約して、本が読者の手元に揃う前に、予約金を読者から徴収するという出版形態が一般的でした。このことを指し、岩波は、文中で「予約出版」と言っています。そして、そのように「予約」された全集においては、丸ごとの全集を全て抱き合わせで買わねばなりません(そのための担保として、予約金が必要になるわけです)。つまり、読者は自分が読みたい本だけ、例えば夏目漱石ならば「こころ」だけ買って読む、という訳にはいかないのです。これは、読者にしてみれば、大変に不条理ですし、今風に言えば消費者本位ではない出版形態ですよね。そういう文脈において、この文章で、岩波は

「分売を許さず読者を繋縛して数十冊を強うる」
と書き、それまでの出版形式を批判しているわけなのです。

このような出版形態が主流の状況においては、満足に本を買って読めるのは、物凄いお金持ちや大学教授のような身分の人ばかりでしょう。そういう時代状況に立ち向かって、岩波は、

「知識と美とを特権階級の独占より奪い返す」
ために岩波文庫を発刊し、

「生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめる」
と謳いあげるわけです。

つまり、この岩波文庫発刊の言葉は、ハードカバーの大袈裟な装丁で全ての本を一括予約し、事前に予約金を徴収するという、当時の「全集」販売の出版スタイルに対する強烈な「異議申立て」として存在しているわけです。そして、そのように考えるならば、

「真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行」
というのも、今となっては当たり前のようですが、実は「かなり過激なこと」を言っていると、お分かり頂けるのではないでしょうか。

今となっては、古い左翼の牙城、守旧派の巣窟のようなイメージのある岩波書店ですが、その岩波文庫発刊にあたって、この文章の中には、Power to the People的なラディカルさが躍動しています。

実際に文中にも

「この文庫は予約出版の方法を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する書物を各個に自由に選択することができる。携帯に便にして価格の低きを最主とする」
とありますが、これを音楽産業に例えれば、「予約者限定のCD10枚組BOXセット」を購入しないと、その中にしか収録されていないビートルズやモーツァルトの曲を聞けなかったような状況において、コンテンツの廉価なバラ売りを、持ち運び自由な形態で開始したという意味で、iTunes Music Storeがやって来たようなインパクトを、岩波文庫の発刊は、当時の出版業界に与えたのではないでしょうか。

(この文章が、筆者にとって実に面白いのは、上記の文章で、「岩波文庫」としている部分を、楽天koboやAmazon Kindleと入れ替えたとしても、そのまま最近、喧しく乱立している電子書籍プラットフォームの設立趣旨書などに、利用できそうな名文に思える点です。おそらく現在の電子書籍流通に置いて、ここで紹介した岩波文庫発刊の言葉のような意味で、「創刊の理念」を持ち、現在の出版状況に対する純真な異議申立てを行おうとしているところがどれほどあるでしょうか。どんなに良く出来たテクノロジーでも、テクノロジーである限り、必ずや陳腐化してしまいますが、この岩波文庫発刊の文章は、良く出来た「志」や「理念」、「ビジョン」というものが時代を超えた普遍性を持つことの好例です。)

最近のIT業界のニュースでは、楽天koboの件について、そのハードウェアとソフトウェアの不具合や書籍の品揃えが貧弱なことなどが否定的に取り上げられることが多く、メディア業界の内外でも話題となっていますが、筆者が思うに、楽天koboに最も足りないものは、書籍コンテンツでもバグのないソフトウェアでもなく、この岩波文庫の発刊の言葉に見られるような「ラディカルな理念」「社会への志」だと思います。(Amazonには、岩波のような格調高さはなく、その意味では物足りないものの、ユーザーのメリットと利便性を何よりも最優先すべし、という別の意味での「志」があります。)

読者は決して、三木谷さんの楽天がAmazonに勝ち、コンテンツ流通で覇権を取ることを助けるために、koboを手に取るわけではありません。私が「残念」に感じるのは、koboの発信にあたって、そのオペレーションの巧拙とは別の次元で、楽天なり三木谷さんなりの、現状の書籍流通に対する「問題提起」なり「異議申立て」なり「ビジョン」なりが余り見えなかった点です。

80年以上の歳月を経てなお、岩波文庫発刊の言葉から、楽天koboに何が足りないのか、学ぶべきものがあります。

===終了===

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