『死にたいけどトッポギは食べたい』を読んだあと、Netflixでフレンズを観た夜
これが私の、記念すべき初投稿となる。
と言っても、
「そうだ、noteを書いてみよう」と、思いつきという快感に突き動かされアカウントを作成したのはもう少し前の話だ。
作ってから、なかなか書けなかったのである。
なぜなら私は、"完璧主義で諦めが早い"という、甘ったれた矛盾を抱えたイマドキの人間なのだ。
「ちょー良い文章かこう〜!」とか意気込んで、アカウント作成の当日はずっと試行錯誤。
で、寝落ち。
次の日、ソファで目覚めたときの血流の鈍い感覚に不快感を覚え、
もうそれで完全にやる気スイッチが切れてしまった。
情けない自分あるあるに、もう本当にうんざりしてしまう。
毎日をやり過ごすためだけに生きる、「省エネモード」に自動切り替えだ。
これだけ読むと、改めて自分を病的に思えてしまうが、実は今はもう気にしてない。
そんなもんなのだ。
『死にたいけどトッポギは食べたい』を読んで、その終わり方も含めて、私は自分を、必要以上に"ヤバイ子"扱いすることを辞めた。
辞めたというか、飽きた。
著者のように、自分の悩む姿をさらけ出す人もいる今、"ヤバイ子"に特別価値なんてないんだから。
みんなヤバイのよ、見方によっちゃーね。
映画サークルにいたり、オタッキーな友人・親戚が多かったこともあり、量産型のドラマや映画を好きということに、そもそもものすごく抵抗があった。
好きでもない音楽に関して通ぶったし、自分の一番好きな映画(シング・ストリート)を言って、サークルの人に鼻で笑われた(『死にたいけどトッポギは食べたい』的には鼻で笑われた"気がする")ことはだいぶ根に持ってきたが、
そういう武装はもうこりごりだ。
私は、自分じゃない誰かが「可愛い」って言われてるとなんだかつまらない気持ちになるけど、SNSでは可愛い女の子ばかりフォローしてる。
お説教されるのが大嫌いだけど、自分の口調はいつもお説教くさいし、
晩酌のお供は、B級映画じゃなくって、Netflixで観るフレンズだ。
フレンズは最高だ。
みんなお互いにからかったり、文句言ったり嘘ついたりもするけど、
ニューヨークという街に生かされて、キラキラしてる。
それも結局、私が夢見がちで、
ニューヨーク=キラキラっていうイメージを捨てられずにいるからかも。
でもそれが私なんだ。別にいいやそれで。
そしてこれが、私の記念すべき初投稿である。