集体农庄北京留学日记㉕
もう2月であるが、12月の日記を書く、だいぶ久々である。
日本人の友人、おなじ寮の人と飲み会、酔っぱらって蚕を注文してつまみにしてドン引かれる。
12月10日、北京に珍しく大雪が降った。学生たちも大喜びで雪合戦などで遊んでいた。
友達と火鍋を食べに行く、火鍋といっても羊のしゃぶしゃぶのことで辛くはない、白酒によく合っておいしい。
その後に友達とカラオケに行く、楽しかった。
結構いろいろうたった、発音の練習になったかな?
景山公園にのぼる、山から紫禁城などの写真を撮った。
景山公園は故宮の裏にある公園で故宮の建設時に出た土砂で作った人工の山。周りに高い建物がないので高く見えるが、高さは44.6m(海抜88.7m)しかない。広さは面積は23万㎡ほど。
山頂にあるのは万春亭、景山山頂に位置する万春亭は乾隆15年(1750年)に建てられ、北京の南北建築の中軸線の基点であり、北京の中軸線の最高点として知られている。
北京の中軸線、美しい宮殿建築が縦に連なっている。
CCTV本社など最新の高層建築が望める。
写真で見るとよくわかるが、北京の旧城区画は建築の規制があるので、周りに高い建物がなくてよく景色が見える。奥にはビルの壁があるが。
綺望楼と万春亭
明の最後の皇帝が亡くなった石碑。
万春亭の東に位置する観妙亭の東側で明末に悲劇が演じられました。明の崇禎17年(1644年)、農民反乱軍の指導者の李自成が北京城に攻め入ると、崇禎帝(注2)は永王と定王の2人の皇子を紫禁城から脱出させ、皇女の長平公主と昭仁公主を自らの手で殺し、崇禎帝自身は宦官の王承恩と共に紫禁城を抜け出し景山に登りました。そこで一本の槐樹に帯を釣るし縊死しました。幾度か植えかえられたものではあるが、今もその場に槐樹があり説明文が添えられています。
狛犬の目が雪で閉じていた。
清朝の皇族が先祖を供養するために建てた廟堂群がある。通称、寿皇殿建築群と呼ばれる。寿皇殿にはかつて康熙帝から光緒帝までの8代の皇帝と皇后の肖像画や牌位が安置されていた。
いまは一部の皇帝のものしか公開されていない。
故宮博物館方面の南門から出て帰る。
景山東門内の北にある観徳殿は、清の時代の皇帝が皇子の弓射りを見る場所であった。現在は臨時の展覧スペースとなり、北京の中軸線文化、古都の歴史文化、庭園文化の展示を主としている。
今回は北京の都市整備についての展示があった。
下は北京がこの十年でいかに変わったかという展示である、写真を見比べてみてほしい。
建物が完全中華伝統様式なのに、古い北京が新しくなったという展示をしているのは皮肉である。
面白かった。こういうのを嫌う人もいるであろうが、しかし、北京に住んでいる人からすれば、やっぱりこういう都市整備が求められていたのだろう。
今日はここまで。
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