第一章 昨日と同じ今日なんて存在しないと気付くのは、きっと勇者だって旅立った後!
何の変哲もない日常に意味を見出すことは容易ではない。だからこそ、彼女らは非日常を求めたのだ。そして、いつも通りの日曜日には満足いかなくなった彼女らを満足させられるのは、私しかいなかったのだ……。
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「おきなさい。
おきなさい わたしの かわいい ○○○○や……。」
これは某有名RPGのオープニングの有名な台詞である。はっきり言おう、こんなに優しく起こしてくれる人間というものはそう存在しない。大抵は布団を剥ぎ取られ、大声でもって叩き起こされる。今朝の私の目覚めも例外ではなかった。鼓膜を破らんとする大声と共に身体を強く揺さぶられ、私は最悪の目覚めを迎えた……。
「ティーパーティーをはじめましょう!」
梅雨の日曜日。きらきらおめめが4つ、私を見ていた。
事の始まりは私の伴侶である法師の東京出張である。父親が東京に行くという非日常は、娘達に非日常を渇望させた。つまるところ「一人で東京に行くなんてズルい!」「私たちも何処かへ行きたい!」である。法師は当然仕事で東京に行くのだが、子供たちにはそんなことは関係ない。
お出掛けを望む彼女らだが、本日は生憎の雨。外出には不向きなのである。そこで前日に私が提案したのがドレスに着飾って自宅でティーパーティーをすることであった。その提案に賛同した子供らがこちらの覚醒など待てるはずもなく、私は非日常のために叩き起こされたのである。
ティーパーティーの様子はこちらのTwitter参照。
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特別な日というのは良いものである。大人になった私でも非日常には心が踊る。そして何より記憶に残る。しかし、日常があるからこそ非日常が特別になるように、非日常があるからこそ人は日常の価値を知るのだろう。一通りの給仕を終えて疲れた私はソファーで天井を仰ぎながらそんなことを考えている。
例えば……。旅行というものは楽しいものだ。しかし旅行から疲れ帰ると人は、「我が家って最高」などと言い出すのだ。いつも通りのつまらない日常に特別な意味を見出すには、非日常の体験を挟むのが一番なのだとよく分かる。
特別な日があるからこそ、特別でない日も特別になる。
冒頭の台詞で起こされ旅立った勇者にも、懐かしみ惜しむ特別な日常がきっとあるのだろう……。到底起きられないだろうと思う優しい母の声で目覚める日々を、彼は野宿したダンジョンで思い出すのかもしれない。
失ってから気付くのでは遅いのだ。出来ればまだある日常を大事に思い過ごしていきたい。
ならば特別ではない日々を失くす前に大事に思えるよう、私はこれからも子供らに非日常な特別を提供しよう。4つの目がきらきらになる非日常を。その為には私は母にも、パーティーの仲間にも、魔王にもなろう。
子供らが本当に旅立つ日までまだ十分な時間がある。ティーパーティーひとつではきっと足りない、満足しないはずだ。
さあ、次は何をやろうか?
p.s.
ストレス発散には人と話しゲームし素振りし美味い食事を取る。
食べることは生きること!
自己表現の上手い人間になりたいものだなぁと常々思う。
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