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第三章 ヒノキの棒からはじめましょう
「もっとオリジナリティ出していこうよ!」
ある日そんな脳天気な言葉を向けられた私は、菩薩の如く微笑みましたとさ。今日はその言葉に少しばかり反論したい私のお話。
【守破離】、という言葉を知っているだろうか。茶道や剣道の経験がある者ならば聞いたこともあるかもしれない。
嘗て私がまだ中学生だった頃。我が剣道部の面タオルにはこの三文字が染め抜かれていた。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守ること。 「破」は、守を敢えて破り、他の師や流派の教えについても考えること。 「離」は教えを離れ、新しいものを生み出していくことである。
茶道や剣道に限らず、この考え方は私にはとても有用であった。修士論文を書くにあたっても、私はこの【守破離】を基本に論文を書き上げた。まずは自身の研究に於ける基礎知識を叩き込み、次に他大学へわざわざ赴き講義を受け、最後に自身の説として修士論文を執筆したのだ。
不思議なもので、毎日の様に目にしていた文字は、私の生き方の指針のようなものになっている。今もそうだ。何かに着手したとき、私がまず気を付けるのはオリジナリティを出さない事だ。
例えば、料理を作る為にレシピを開いたなら、レシピにそぐわぬことを意図的にすることはない。レシピに足りぬものを何かで代用することもない。私は、そんな段階には居ないとレシピに忠実に料理を行うのである。
否、忠実にというのは少し違うかもしれない。忠実に行った、つもりであることは何気に多い。レシピを見て作った筈の料理が思いの外美味しくないという経験が私には少なくない。不味くはないが、美味しくもない。そんな時、私は基本を守るということは実は何より難しいと感じるのだ……。
ピアノを楽譜の通りに弾くことだって、実はとても難しい。説明書の通りに何かを組み立てることも時に簡単ではないだろう。
世の中の物事は案外基本を守ることこそが本当に本当に難しいのだ。
「オリジナルかどうかさえ、基礎のない君には分からんだろう」
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Lv1の君にはヒノキの棒すら満足に扱えちゃいないさ。
P.S.
私は明日脚を湿布だらけにします(予定)
私とは本当に正反対だなぁと感じた!でも大丈夫、オリジナリティ云々の方は貴方ではない!!!
鶴瓶師匠はなんとなく難しいことを簡単に見せている気がしてならない。