見出し画像

第十章  夏、平和を想う。

 実家に帰省している。
 山近くに家が有る為、蝉の声が喧しい。庭には朝顔が咲き、テレビには夏の甲子園が映り、実家は盆行事に追われている。
 日本は夏だ。
 私は原爆投下日に黙祷し、終戦記念日を迎えることにも夏を感じる。もちろん、自国の戦争なんて見た事はない私だが。
.
.
.
.

 私は子供の頃、離れの部屋で祖父母と布団を並べて寝ていた。じいちゃん子で、ばあちゃん子だったのだ。

 戦争にも行った祖父は戦時中のことを殆ど語らない人だった。語りたくないというよりも、元々硬派で口数の少ない人だったのだが、そんな祖父が私を呼び古いアルバムを見せてくれたことがある。
「兵隊さんに行ったんや」
と。そして、
「じぃちゃん、カッコええやろ」
とドヤった。大正生まれなのに180cm近い身長の祖父の兵隊姿は確かにスラッとして男前だった。古くぼやけたセピアの写真が時代を感じさせた。兵隊に取られても日本に居たとは聞いているが、それ以上は私も知らない。私の記憶では、祖父が戦時中の事に触れたのはその一度きりなのだ。

 対して、お喋りで楽しい人だった祖母はよく戦時中の話を語ってくれた。祖母の戦時中の体験談が私の寝物語だった。
 田舎道でB29に追いかけられて草むらに慌てて飛び込んで身を隠した話をケラケラと笑いながらする祖母だった。洒落では済まないと思うが……そういう人だったのだ。
 私は戦争なんて記録でしか知らない。写真や話から想像は出来るが、それはあくまで想像でしかない。本当の戦争なんてきっと分かりはしない。戦争なんて辛くて悲しいものに違いないのに……祖母が語る戦時中の話は何故かいつも楽しいものだった。
 太平洋戦争末期、祖母は大阪で兵隊さんの飛行機を作っていたのだそうだ。祖母は戦地へ看護婦として行きたかったのだと言うが、あまりにも過酷な環境だと恩師に止められたのだとか。そうして大阪の工場に居たようなのだ。
 戦争の最中に、同僚にココアという飲み物を教えてもらったという祖母は、ココアが飲みたくてしょうがなかったらしい。
「今はええなあ、あのココアが簡単に飲める」
そう言ってインスタントのココアを買ってきては、
「♪カカオの実から〜ココアがとれる〜」
と歌い踊りながらココアを淹れてくれた。この歌も飛行機工場の同僚に教えてもらった歌だと言ってよく歌っていたおかげで、私もココアを淹れる時にはこのメロディーを口ずさんでしまうのだ。

 戦争中の話を積極的にしてくれた祖母は、辛く苦しい戦時中すらも明るく前向きに生きようとしていたのだろうと思う。しかし戦争は良くないという意識は当然のように祖母も持っていた。私にもそう言って聞かせた。そして、戦争を語らない祖父には祖父なりの考えもあったのだろう。
 私は難しい歴史の話は分からないし、特別な政治思想がある訳でもない。ただ、祖父母のおかげで、平和であることは決して当たり前ではないことは知っている。
 戦争は良くないという人並みの言葉を思い浮かべながら、仏壇の祖父母の写真に手を合わせ、私は今年も夏を迎える。

いいなと思ったら応援しよう!