いつかくるその時のために。
いつもねnote書く時に思うことがある。
基本、楽しく読んでほしいと思うからキッチリ話を組み立てて
そのうえで自分の普段の言葉で書くようにはしてる。
それで「面白かった。」と言ってもらえば嬉しくなるし、
この感じで書いていけばエエかな。とも思う。
でも、オレが生きてきて感じることはそれだけじゃない。
真剣に音楽のこと、生きるということ。
笑えへんかもしれんけど、「これもオレ」やと知ってもらうために
このnoteを書いている。
そんな考えのオレの曲を聴いてもらうためにnoteを書いている。
ということで申し訳ない(-_-;)
今回も笑えないですw
でもね、
「いつかみんなにも訪れるその日」
のことを書いていこかなと思う。
さて、みなさん
みなさんの両親はご健在ですか?
とはいえ、
生きてるうちにしか親孝行できへんでっ!とか
親に心配しかかけてきてへんオレが言えるわけもないし
言いたいわけでもなくて
これから書くことの話に関わってくるからです。
両親が健在ならばそれに越したことはない。
ただ自分が歳を重ねるってことは等しく周りの人達もそうなわけで…
さぁ書いていきましょ
去年ですかね、オトンが死んだんです。
いきなり重っ!ってなったでしょ笑
ゴメンなさいw
シリアスがほとばしっているw
まぁ実際はそんなシリアスな話ではなくて。
でも、それ以来オレは考えることがあるんです
オトンは幸せやったんやろうか?
人生を悔いなく生きれたんやろうか?
と考えるんですよ。
まあボンクラなオレみたいなモンのせいで苦労かけたことも
多々あるんで
オレが「オトン幸せやったか?」とは聞けへんです。
その問いにはもう答えはないんです。
それでも幸せやと感じて天国に行っててほしいという
オレの希望ですかね。
オレは子供の時、オトンのこと好きじゃなかったんです。
なんやったら嫌いといってもエエ。
なぜならずっとどつかれて育ってきましたから
オレは子供ながらに心で
「コイツ、いつかどつきまわしたんねんっ」
って思って子供時代過ごしてましたわ笑
子供時代はいろんな思い出あったんですけど、
なぜかどつかれてた記憶が1番最初にきてしまう。
あっ!でも虐待とはちがいますよ笑
自分が悪さしてそうなることも多々あったんでw
でもコイツエグっ!ってエピソードもあって
忘れもしない笑
小学生低学年の頃、公園のブランコで遊んでたんです。
立ったままでブランコを漕いでその勢いでより遠くに飛んだヤツの勝ち
って遊びしてた時に、
勢いよく飛んだまではよかったんですけど、
右手が近くにあった鉄棒にウエスタンラリアットする形になって
その後座り込んで着地したんです。
で、右手で体を支えて立とうとしても立てない。
「なんで?」と思って右手見たら
曲がったらアカン方向に曲がってて笑
不思議と痛くなかったんです。
でもね、子供が見ても「……手ぇブリ〜ンってなってる」
って思って怖くて泣いたんですw
手ぇブリ〜ンってなったまま家帰ったら、オカンおらんくて
オトンがおったんです。
オレが泣きながら手見せたんです。
一瞬、なぜかテレビの方見たんです。
そして、オトンの顔がみるみる真顔になって、
オレにこう言うたんです。
みなさん、オトンの第一声なんやと思います?
おのれ、なに日曜日にケガしてくれてんねんっ!
です笑
子供ながらに「そこかいっ」ってなったん覚えてるんですw
今やから笑えるんですけどね笑
ああ、あとなんで一瞬テレビ見たか?
忘れもしいへん、
サザエさんの歌が流れてきたんです笑
それで多分、
サザエさん→夕方→日曜日→病院開いてない→おのれっコラッ
の流れです笑
エグいでしょ笑
もう昭和レトロですw
今じゃ考えられへんw
ほかにもあるんですけどまぁ本題はここじゃないんで。
酒も飲む、タバコも吸う、唯一バクチだけはしいひんかったんですけど
店で酔っ払って迎えに行ったことも何回もあります。
しっかりしたオトンではなかった。
そして、オレも大きくなっていくんですけど、
最初のほうにオレが子供の時思ってたこと書きました。
「コイツ、いつかどつきまわしたんねん」
これをする時がついにきたんです。
とは言っても、これまで親を殴るなんてこと
オレのルールにはなかったです。
「それはやったらアカン。」
そのルールは絶対で、そのルールに則ってきたんですけど、
ある日ブチギレてどついたんです。
「それはやったらアカン。」
そのルールがあることの意味が
その時に初めてわかりました。
殴ったのに痛いんですよ。
心が。
あぁこれやったら殴られてるほうがエエわ。
と思ってそこからは手は出さんようになりましたね。
そこから、時間は流れてオレが三重県に
オトン、オカンは大阪を離れて田舎で暮らすという
選択をしたんですが
最後の日にオトンと握手した手が昔よりも小さかったこと。
震えてたこと。
「がんばれよ〜」の言葉は覚えてるんです。
子供の頃の「わだかまり」みたいなモンがあったとするなら
多分、この時に完全になくなった気がした。
それからは遠かったこともあって会う機会も数えるほど
でした。
オトンが倒れたこと。
のちにオカンからの電話で知ったんです。
「のちに」と言うたのはオレに心配かけまいとしてでしょうね。
そうそう簡単にこれる距離ではないことも考えて
ちょっと経って容態が安定してから連絡あったんです。
酸素が取り込みにくいらしい。
その時はオレはそれくらいのことしか知らんかった。
そんなある日、電話があったんですが、
出てみるとオトンからでした。
「元気か?」ぐらいの他愛もないモンでしたけど
その日からちょくちょく電話して、
その時々で働けんくなったオトンに
少ないけどお小遣いを送ってたんです。
オカンには内緒で。
何に使うかは薄々はピンときてたんです。
タバコです。
もしかしたらビールも飲んでたかもしれませんケドw
こればっかりはなかなかやめれんかったみたいで
陰で吸って、隠したタバコをオカンにバレての繰り返しやったみたいで
そこでオカンが
「もしお金送ってるならやめろ」
って言うたんです。
オレはそれでお小遣い送るのやめたんです
やめたんですけど、
結構考えさせられましたね
「…それが正しいんやろか?」
こんなん悩むまでもないんですよ。
オカンは正しいんです実際。
長生きしてほしいと思うなら絶対そうなんです。
オレも長生きしてほしいと当然おもってました。
でもね、これはその本人を取り巻く周りの意思で
自分の人生を生きている本人の意思ではないんです。
本人のやりたいようにさせてあげることのほうが実際は正しいんじゃないか?
オレ兄弟の中ではボンクラで
そしてこれまで自分の思うように生きてきた
いまだ音楽にうつつを抜かしてる
だからこその発想かもしれへんですね。
でも自分に置き換えてみたら
やっぱやりたいように生きて
そして死ぬ。
そのほうが性にあってるんです。
でも長生きしてほしいと願う家族の想いも
間違いなく正しいんです。
永遠のテーマですね。
答えがない。
オレが最後にオトンにあったのは去年
オカンからの電話で「いよいよアカンかもしれん」と聞いて
それから少し経ったある日、実家に帰りました。
着くなり病院にいってオトンの顔見ました。
もう体重も40キロ前半でやせ細ったオトンが寝てましたわ
そしてパッと目を開けたか思ったら
「おう!〇〇。ちょっと眠いからまたあとでな」
ずっと一緒に暮らしてたかのような軽い口調でいうんですw
オレ面食らってw
この日は帰りましたw
とはいえ、実家に帰る理由はもう1つありました。
それはオカンが1人で切り盛りしてる
まあまあ広いミカン畑の収穫を手伝うため。
いうて、オカンもそれなりの年齢で畑を1人で切り盛りしてる。
毎日ほんまに毎日畑に行って働く。
休憩時間にお茶を飲んで近況を話す。
近所のこと、ミカン畑のこと、兄弟のこと、オトンのこと。
昔なら当たり前にそこにあって、時にうっとうしかった団らんが
ホンマにかけがえのない時間に思えて
うれしかったですね。
これは離れて暮らさんと気がつけないことかもしれません。
帰る前、改めてオトンの病院に行った時に寝てたんです
寝顔見てたら一筋涙流れたんで手で拭いたんです。
その時、「オトンの顔に触るなんてことこれまでなかったな。」
とか他愛のないこと考えてたんです。
でもこれが最初で最後。
そして多分、これが最後の会話と思って。
酸素マスクはずしてくれっていうもんで
はずしてから
「オトン、オレもう行かなアカンねん。近いうちにまた顔見にくるわな。」
「あとなんかほしいモンあるか?」
オトンはちょっと考えて、
「スマホほしいな。」
オレ「スマホ?なんでや?」
オトン「スマホあったらお母さんやってるみたいにお前らの顔見ながら
喋れるんやろ?」
目が熱くなるのをギリこらえましたね。
「おうわかった!スマホな!買ってくるわ。」
「もうマスクしてちょっと寝ろ」
オトン「わかった。安いやつでエエぞ」
そしてオレはオカンに託して帰ったんです。
次の日かな?妹から「オトン死んだ。」
と泣きながら連絡あったんです。
そうか…
その時はそれしかでてこんかったですね。
オレが帰ってきてすぐに…。
悲しいと思う気持ちと
もう1つ複雑な感情があって
思い上がりかもしれんけど、
これまで張り詰めてたからこそ
生きてこれたけど
オレと会って喋ったことで
その「緊張の糸」みたいなモンを切ってしまったのではないか?
それはオレじゃなく、
ほかの兄弟が会いに行ってもそうなったのかもしれんけど、
1番両親に迷惑かけてきたオレが最後でよかったんやろか?
もうそれにも答えはないんですけどね。
それでもいまだに考えてしまいますね。
長々スイマセン(-_-;)
これを書くかどうかは正直迷ったんです。
でもどこか聞いてほしかったのかもしれませんね。
それとこのブログで言いたいことは
お涙頂戴のエピソードじゃなくて
両親はいつかいなくなるぞってことでもなく
自分にもいつかその日は訪れるってことです。
「オトンの死」は確実に自分の人生を改めて考えさせる
キッカケになりました。
オレの自分の曲にも変化がありました。
聴いてくれてる人ならわかるかもしれません。
「多感な時期」
一般的には思春期の10代中頃〜20代の中頃ですかね?
長い人生の中のたった10年やそこらでいったい何が決めれるんでしょ?
その時期しか自由であることが許されへんみたいな空気感は
いったい誰が決めたんでしょ?
すべては社会の流れに則ってみんなと道を外れないようにと
自分で決めてるんやと思います。
ならオレは自分でこう決めたんです。
一生「多感な時期」でエエと。
あるアーティストの対談みたんですけど
「夢」
みなさんこれなんて読みます?
「ゆめ」ですよね。
これ子供の時はゆめって読むんですけど
大人になったら読み方変わるんです。
「不安(ふあん)」
って読み方に。
言い得て妙というか、その通りやなと思って見てたんですけど、
それでもオレはずっと不安を感じながらもやっぱ
「ゆめ」
と読みますよ。
読みたいです。多分死ぬまで。
ふあんに読みを変えたら押しつぶされそうで。
オレがオトンの死で学んだことは
やっぱオレは自分のやりたいように思ったように生きたい
ということ。
そして最初の問いに戻るんですけど、
オレは死ぬとき幸せやったと思うために
人生を悔いなく生きたと思うために
ちょっとくさいですかね?笑
でもくさくてもいいです
これがオレですからあしからず〜♫
あとはオレの曲でも聴いてくれ。
TABACHI
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