オレの…………パクノダ〜(もう意味わからんなw)後編の
さあ、今回もパクノダの如くオレの記憶をみんなに少しずつ植え付けて、最後には「オレの曲をちょっと聴いてみよう」ってなれ!のはじまりズラ〜(パクノダ知らん人はググってみ)
前回の話の最後にも書いたけど、若い時の自分は物事を柔軟に考える
ってことができず、考えが硬かった
ちなみにここでいう考えの硬さっていうのは、
レゲエがスキなはずの自分がなんでヒップホップと混ぜてプレイしてるんやろ?
と、レゲエという音楽がスキなあまり、なんかヒップホップと浮気してるような感覚になった記憶がある。
一途なあまり未熟。
周りが見えてない。
あの頃もっと広い視野があれば。と少し悔やんでる。
音楽やねんからルールはない。マナーはあるけど。
自分で勝手に自分の道を狭めるようなルールを作り
それで葛藤してた。
確かにヒップホップを聴いてるお客さんにレゲエにも興味をもってもらう
って思惑があったし、
シンプルにヒップホップはスキやけど
それに以上にレゲエっていう音楽をスキなあまり狂う
…もはや恋愛やん笑
オレは決して善人ではないけど、1つだけ曲げない自分ルールがある。
それは
スキなものに対してだけは正直であること。それは音楽に対しても、モノに対しても、そして人に対しても。
だってそこにウソついたら終わりでしょ?
誰に対してのウソやねん?ってなる
そこに言い訳するのも違う。
この頃はレゲエに対して正直でありたいと思うがゆえに、
凝り固まった考えに行き着いてもうた。
レコード回すの少しやめよう。
今考えても頭おかしいなw
ヒップホップと混ぜてプレイするのは楽しいと思ってたハズやのに…
そんな自分が許せない。
若さがそうさせたのか。
でも安心してください!今は柔軟に物事考えれるんでw
音楽をやめるっていう選択はなかったけど、ひとまず回すのは
休んだ。
それでも周りは休まない。
モンゴはちょくちょくイベントによばれて歌ってたし、
少しデカめのDeejayコンテストで優勝して注目されだした。
(まあ優勝するんちゃうかなとは思ってたけど)
その後にたくお君っていう元々はヒップホップの歌い手が
クルーに入って
モンゴとコンビで歌ったりとか。
でも少しするとたくお君は消えてった。
そしていよいよ歌い手としてのトビラが開く
といっても何も劇的なナニカがあったわけではない。
あいかわらず大小関わらずイベントは行き倒してた。
そんな時、モンゴとステージで歌うゲストアーティストを見ながら
モンゴがこっちを見ずに
一言だけ、
「うたえばエエやん。」
多分、あいつも覚えてないような取るに足らない出来事。
軽い気持ちで言うた言葉かもしれんし。
でもオレはあの時の光景は忘れへん。
オレが仮に、今現在歌うことをやめてたらそんな他愛もない言葉
忘れてると思う。
でも今も歌えてるのは
その言葉がオレの人生に光をあたえてくれたから。
一生忘れることはないかな。
ちょっとイキったな笑
音楽をやめるっていう選択はない。
でも歌い手の選択肢は考えもしんかったわ。
葛藤はあったが…
ここに歌い手タバチが爆誕であるw
今思えば若さがそう思わせるのか…
歌い手みんなが始めた時にそうやったのかはわからんけど。
オレに関して言えば、
なんかやる前から自分のことをイケてると過大評価
して自信しかなかったな。
始まってもないのに笑
そして見事に鼻っ柱をキレイに折られることになるw
普通に歌うのとは別モノ。
そもそも声の出し方から違う。
普通の歌より矢継ぎ早に言葉を出すから息継ぎの場所すら
わからへん。
最初はそこまで考えて曲書いてないしw
歌ってみて「これ、息継ぎどこですんねん」みたいな。
あと声。
声を張る。この当時のレゲエには必要な要素やけどこれすらできてない。
時代はガナる(ダミ声)歌い手の全盛期
オレもそれに憧れるが一朝一夕でその声が手に入るわけでもない。
毎回毎回、歌うたびに少しずつのどに負担をかけ
言い方わるいけどまぁ殺していく。
ラバダブなんかで歌うたびにいつも喉が痛い。
それがずっと続いてオレの場合、のどの痛みを感じなくなるまで
2、3年ぐらいかかったんちゃうかな
いまじゃそれが普通にでるようになったが、
それと引き換えに失ったものもある。
それは普通の歌声である。
あと音域も狭くなった。
高い声が出せなくなったし、高い声を出そうとすると
かすれてダミ声が混じってしまう。
例えば、カラオケで歌えてた曲が歌えなくなった。
(自分の音に近い曲なら歌えるぜ、あとシャウトする系とか)
あとダミ声で歌うってのはダミ声の歌い手にしかわからんと思うけど、
その声を手に入れたとしても1曲で結構スタミナを消耗する。
そんな「レゲエを歌える声をだす」という初歩的なことにすら
自信を打ち砕かれる。
最初に歌ったイベントも覚えてない。
あの頃、どこで歌ったのかも覚えてないけど
いつもどこかでラバダブしてたな。
・ つながり
大阪はご存知の通り日本で1番のレゲエタウンである。
オレが若手やった時代はまさに帝国というのがふさわしい
ぐらい層が厚かった。
多分やけど、全国のディージェイ総人口の半分は大阪に
おったんちゃうかな?ぐらい多かった。
その中でも大阪の南、泉州の方が盛んで、その理由は
レゲエを歌ってる、回してるセンパイが多かったから
それを見た後輩たちが歌い始めるって図式が成り立ってた。
オレやモンゴは北大阪。センパイ達から受け継いだモノも
つながりもない。大阪の中でも層は薄い。
最初に出会ったのは確か、モンゴが仲良くなった
ハイブレッドとスモーキー。
それとFIREWORKSやったかな。
(ハイブレッドも後にモンゴとクルーを組むことになる。
ハイブレッドは現役でやってます。楽曲もチェックしてな!
あとスモーキー。(この時期のあとにスモーキーアイって歌い手も
でてくるけど、それとは別人)
こいつはいろんな事情で音楽やめたんやけど
その当時は同じ土俵のライバルやし、なんか悔しいから言わんかった
けど、めちゃめちゃヤバかった。
おれが若手の時、「ヤバいな」と思ったヤツ2人おるんやけど
その1人がスモーキー。
みんなアイツがやめるって言うた時思っとった。
「せっかくの才能が…もったいなすぎる」って。
FIREWORKSは知ってる人もおるかも。
この時は福ちゃんだけじゃなくもう1人おった。
この時期はラバダブ以外にも、カラオケに行って
カラオケの機器に持参したポータブルレコードプレーヤー
をつなげてレコードの裏面のオケで
4人でラバダブの修行とかしてたな。
ラバダブが修行やのに、その修業してたわ笑
そしてラバダブの日々…日々…日々。
この当時、ショーケースしたくても
そんな時間なんかもらわれへん。
だから歌もずっと「8小節とサビ」しか書いてない。
それをいっぱい作って挑む。
ある日、ハイブレッドのバイト絡みの知り合いがイベント
やってるから歌いにきてほしい。って話で
モンゴと3人でいったクラブ。
もう跡形もないけど、確か今でいうとガーデンバーの前辺りに
あった。
そこで初めて会ったのがペッ君。ペクーっていうたほうがエエかな。
この時、ペッ君には相方がおって2人で歌ってた。
お客さん?そんなモンおらん笑
ただ5人で歌っただけのこと。
お客さんおらんなんてあたり前やったから。
そのあと、モンゴのリンクでブラックマウンテンという
2人組と知り合う。
ブラックマウンテン……みんな馴染みのない名前でしょ?
その正体はエクスプレスとゾベキングでした笑
ブラックマウンテン
自分で書いててなつかしい笑
この2人にもエピソードがあって
あのボンティがまた来日する!ってなって
大阪のマザーホールっていう当時のビッグダンスは
ここ!ってホールでやるって話が持ち上がる。
それのフロントアクトにブラックマウンテンが選ばれて喜んでたら
まさかのボンティがドタキャン笑
結局、マザーホールで無料でイベントやることになったんやけど、
まさかのトリ!笑
ボンティを心待ちにしてたが裏切られた数千人のお客さんが
ブラックマウンテンが歌った瞬間、鬼ボス!
本人らも「おおっ!」ってなったらしいが
ちょっとしたらお客さんが目を覚ましたのか
「ボンティだせやっ!」の怒号に変わったらしい笑
2人からしたらイケそうや!っておもったやろなー
多分お客さんもなんかメダパニかかってたけど
急に目覚したんやろなw
この話をエクスプレスに会って喋るたびに聞いてるわw
すきやねんこの話。
話脱線したな
この時期おった若手の歌い手はほかにもおって
印象に残ってるのは
ダイナソー、アーム、ゴールディ&シルバ、ミソンビ、
アイスコーかな。
中でもオレが若手の時に同じ土俵でやってるから
当時は「コイツヤバいな」って思ってたけど
口が裂けても言わんかった2人目は…
ダイナソー!
ダイナもホンマにカッコよかったな
フロウが独特でヒップホップ色も
曲の中に色としてあるんやけど、
アイツが歌うとしっかりレゲエやねん
あの時期、1番でてたし
オレらの世代やそのすぐ下の世代はみんな食らってたんちゃうかな
三重に来てからブレーメンのクルーで大阪にお呼ばれした時に
堺市で久しぶりに会って楽しかったな
当時のエピソード聞いたり。
あの時はみんなライバルで喋ることがほとんどなかったからこそ
うれしかった。
そして話を戻そうw
そのあと、FIREWORKSのディージェイとして
モンゴ、ハイブレッド、エクスプレス、ゾベキングが加入する。
オレは個人で動いてて、その後大阪の枚方にクラブができる。
北大阪にはあんまりクラブがなくて
歌いに行くのはもっぱらミナミやったけど
やっとできるってことで行った
そこで会ったのが
ステレオンとオンギャ
最初に見た時、正直「ウマッ!」ってなったな。
まあそんな素振りださんけど笑
そこにペッ君、ペクーと久々に再会して
北大阪ってことがわかった。
やっと北大阪にも歌い手が増えてきた
オレは個人で動いてたけど、
そこにツレの弟が歌い手目指してるって話を聞いて
「今なら少しばかりスタート切りやすくしてあげられる」
って思いもあったから
喋りにいった。
それがJIGEN(ジゲン)ってヤツで
ホンマにおもろいヤツやったな。
2人でありとあらゆるラバダブに行った。
遠かろうが次の日寝ずに仕事行ってた。
ことあるごとに
このメンツでラバダブしたり、
ダンスでたりしてたな。
そしてみんなそれぞれの道へ
正直、まだまだエピソードはあるんやけど
長くなったのでこのへんで。
TABACHI
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