オレの見てきた……………パクノダ〜🎶(意味わからん人は前編から読んでなーー)後編の前編

いつもフロアからステージを見て、この人らはどんな景色を見てるんやろ。から始まった話。はじまりはじまり〜


今回はいつもより長編になってしまった(・・;)
それでも読んでくれると信じてるぞ


愛と勇気だけが友達さ。と高らかに歌うどっかのアンパン系ニキを横目に
オレは孤独だけ友達さ。とクラブに1人でいく日々を過ごしてた。


ステージに立ちたいとおもう欲求とは裏腹に進展しいへん日々
こういう時1人ってのはなかなかにキツいもんで、
スタートを踏み出すための一歩がなかなか出えへん。
ここでコミュニケーションができるヤツなら飛び込んでいくのかも
しれへんと思いながら、


いつ出るにしてもその一歩がつまずかへんように
まずは自分の準備を万端にしとく。
それが当面の目標になる。

それにはまずターンテーブルがいる!金?そんなモンあるかいっ!
って感じやったから、
ショーウィンドウに飾ってあるトランペットをながめる
貧しき黒人の少年の如きバイブスで
楽器屋のショーウィンドウにかじりついてたw

そしてマネーを貯める…貯める(この頃は貯めるって概念がまだあったw)
持ち金全部はたいて念願のターンテーブルにミキサーを
ゲットした。
まだクラブはレコード全盛の時代。
Technicsのタンテ2台にミキサーでだいたい25万近くしたと思う。

でもね、そんなんがかわいく見えるくらいに金がかかったのが
レコード!
7インチのレコが1枚600〜700円。毎週新譜がリリースされるから
エグかったなぁ
結果1番持ってた時でヒップホップのレコも合わせたら5000枚
ぐらいになってたかな。
梅田のVIC、ミナミのCISCO、ビッグステップの裏手の
雑居ビルの3階にあったまだ小さかった
ROCKERS ISLAND(多分大阪で最初にできた店舗ちゃうかな)
その向かいのBAOBAB。その他もろもろ。

とくにロッカーズは毎週通ってたな。
買いたいけどリディムの名前がわからん時は曲を聴かせる
そしたら店員さんがサウンドマンに電話して聞いてくれたり
良心的で和気あいあいとした雰囲気が好きやったな。

ここはいろんなディージェイ、サウンドマンがおったな
それこそTOKIWAのメンツとか。まぁ余裕で喋らんケド笑


ここでエピソードを1つ。
いつものようにロッカーズでレコをディグってたら
ロン毛をゴムでしばってヒゲをたくわえた男がカウンターで
談笑している。
それを横目にレコを探してたら、不意に
「自分なに探してるん?」と声をかけられる。
オレ「sizzlaっす」
男「sizzla?もっとエエ曲あるでこっちに」と
いざなわれるままに2枚のレコを差し出される。

「japjam」ジャパニーズレゲエのレーベル。
オレ「い、いや今日はシ、シズラを…」
男「これシズラよりヤバいし買ったほうがいい。自分名前は?」
オレ「タ、タバチっす」
男が店員さんにマジックを借り、レコードの包み紙に勝手にサインし始める
2枚のレコを見る。
…………タバチくんへ。と書いてある。

「むちゃくちゃやんけ」と「三木道三スタイル」
……もう買わざる得ない。でも…………い、いらん。
その時の率直な感想ですw

それに誰やねんっ!



あの……のちにわかったけど
おもくそクラブで歌ってましたわ。あの時のロン毛にヒゲ。


三木君でした笑


そしてお決まりの話脱線w



そんな日々を過ごしてる時、転機はふいに訪れる


きっかけは同級生やった女のコと偶然あって喋った時に

「ワタシの弟もレゲエめっちゃ好きやで」

なぬっ!近くにおった!と
一瞬、前のめりになったが心のどこかで「いやっ待て」と
ブレーキをかける。
オレの中に疑念がうずまく。

「この少しばかり和らいだとはいえ、いまだレゲエ氷河期の時代に
レゲエ好きが、ましてや地元におることは貴重」
「でも好きには大小あるし、レゲエに詳しいとしてもそれが必ずしも
「好き=舞台に立つ」になるとは限らない」

でも、この細く垂れた糸は手放してはいけない。それはわかった。
コミュ症のオレが少しばかり平静を装って

「なぁ弟に会わせてくれへん?」



• はじまりのはじまり


家でいえば車で10分ぐらいのキョリ。こんな近くにおった。
オレ「名前は?なんていうん?」
弟「みんなからあだ名でモンゴってよばれてる。」
(こいつはのちにレゲエやってるヤツ、やってたヤツならみんな
知ってるクルーを結成する。それはまだ先の話。)

最初から敬語じゃなかったんちゃうかな 笑
でも不思議と腹立たない。それに明るい雰囲気の男やった。

そしてモンゴはオレを知ってたw

もう時効やからいうけど
オレが中学(オレは青い春じゃなく黒い春とよんでた時代)の時に
ツレと原付バイクに乗って小学校のグラウンドに乗り込み爆走してるとこを
目撃されてたらしい笑
そのあと原付でコケてズボンビリビリにやぶけるんやけど
そこまで目撃されてたわ笑
そんな黒歴史から会話がスタートする。

えっ?なんでそんなことしたか?笑
オレの「わがまま」って曲の2番聴いてくれたらわかる
(配信、サブスク等で聴けます。よろしくね)

そこからレゲエの話に。
だいぶ喋ったんちゃうかな。
モンゴはモンゴなりに1人でレゲエをディグってたみたい。
かなり詳しいうえにジャパニーズレゲエの曲を
よく歌ってた。
もうその歌う声が少しできてきてる感もあることから
結構家とかで歌ってたんやろなぁってわかるくらいに。

それから2人、オレのツレも含めて3人でクラブに行くようになる。

主なとこでいうとTOKIWA関連のイベントやTOKIWASTAR(サウンド)の
旗揚げダンス
サウンドクラッシュ頂点、ボンティの来日公演、ジャパスプ、
ジェネラルディグリー、レッドラット来日公演等々…
大きいものから平日のイベントまで行き倒す

オレの家で買ったレコを聴き漁る。
もうあんまり言葉はいらへんかったな
どっちも音楽をやるって選択肢しか持ってなかったから
自然にクルー組んでた

まず最初にやったことは練習スタジオにいってモンゴの歌と、オレがプレイした音源をテープ録ってそれを配る、売ることからスタートした。


まだみんな若いし、自分の周りに音楽やってるやつがおったら
興味もってくれる年頃やからテープはすぐなくなった記憶がある。
その時代のレゲエをただミックスしただけのお粗末な作りのミックス
やったけどそれが最初の一歩になったことは間違いない。


じゃあ次は?
もちろんイベントをやること!

でもここで考えることがでてくる。
イベントやるとしても
その当時は夜9時ぐらいからスタートして
朝の5時終わりが一般的やったからいうて8時間、
夜10時からとしても7時間。

レゲエのサウンドにもディージェイにも知り合いがおらん
オレらは到底7、8時間を埋める術を持ってない。
そのうえまだレゲエ氷河期は依然として続いてたから
同年代で近くにそんなヤツと知り合う機会もない。
どうすればエエか考える。

そこででた案がヒップホップのヤツと共同でイベントをする。って
ことやった。
その時代のヒップホップは今ほどじゃないにしろ
盛り上がってくるニオイを醸し出してた.

じゃあ、ヒップホップには知り合いおったん?
って問いになるわな?

モンゴの同級生におったんです!
ソイツもイベントやりたいケド…って状態やったらしく
二つ返事でOKやった。


•出会いと初陣

イベントやる前にどんなヤツか会った。
プレイはテープで聴いて会った時の感想は

あっコイツ売れるニオイがする。

やったわw
イベントやる前でまだなにも始まってないねんw
でもコイツ売れるって思った。

なにしろプレイがうまいうえにガンガンコスる(あっレコードなw)

名前をGeorge(ジョージ)っていう。

(のちに最初のオレの直感が正しかったことになるんやけど
当時、音楽はじめて数年で全国を飛び回るぐらい売れたw
ヒップホップやってるヤツでDJ Georgeって名前を知らんヤツ
おらんくらいに。

そののちDOBERMAN inc.(ドーベルマンインク)のバックDJ
自身のDJなどを経て、
DOBERMANinc.とともにD-ST.ENT.を立ち上げる。
その中にはBACHLOGIC(バックロジック)
( •現在、ジャパニーズヒップホップのトップトラックメーカー)
もおってベタに飛ぶ鳥落とす勢いやったな。

ちなみにオレのWALKMANには今もDOBERMAN inc.の曲が
結構入ってて、今も聴いてる。
曲もカッコ工工ねんけど、
このころのBACH LOGICビートがキレキレすぎてずっと聴いてる。

ちなみにちなみにDOBERMAN inc.におったメンバーのうち3人が
今はDOBERMAN infinityとして活動してる。

かなり話それたけど
それはまだ先のお話なんで。

そんなメンバーで最初のイベントをすることになった。

ハコはもう今はないけどcafe BLUEってハコで
場所は現在のなんばハッチから千日前通りをはさんで反対側に
あったハコ。
べつにブラックミュージックのハコってわけじゃないけど
他と比べたらハコかりるのが安かったって理由。
っていうても土曜で15万!

た、高い…。
でもみんなそういうことに興味がある年頃やったからか
ゲストもなにもナシで150人ぐらいはいった。
そのあとは場所を変えてガンガンイベントやったなあ
ラブリッシュでもやらせてもらったり。

そうしてるうちにレゲエのイベントには依然としてでることはなかったが
もうジョージが他でもガンガンプレイしてる状態やったから
オレの選曲が面白いって理由で
ヒップホップのイベントで回すことがあった。

選曲には結構神経使ったな。
ラスタ系アーティストはブジュ以外受けが良くない
レゲエだけ回しても盛り上がらん
それは自分らでイベントやってきたからわかってた。

そこでヒップホップと混ぜて曲を組み立てる。
ボンティ、ビーニー、Ward21、TOKは受けることは
知ってたからそこを軸に
BAM BAM、STALAGリディム、

ヒップホップではラフ・ライダーズ周辺や
(DMX、EVE、THE LOX、DRAG ON等)
MURDER inc.周辺に
(JA RULE、ASHANTI等)
BUSTA RHYMES、MOB DEEP、NAS、FUGEES等
P.DIDDYのBAD BOYSレーベル関連、
JAY-Zのロッカフェラレーベル関連の曲を
混ぜてプレイしてた。

今思えばオレのヒップホップ色が濃い歌のスタイルの土台は
この時にできたもんじゃないかなと思ったりもする。

プレイしてたこの時期はホンマにおもろかったし
NG君とRYO君のSTYLE&MCをかけてめっちゃ盛り上がった時は
このヤバさはジャンル関係なしで共通なんやなと思ったり。
レゲエもすてたもんじゃないとおもったり。

そうこうしてるうちに自分に自問自答するようになる。

いまでこそ自分の曲をジャンルにカテゴライズ
することなく型にはまらずに歌えてるけど、
若手の頃はそこまで柔軟に物事を考えられるほど
人間もできてない。
いうならば考えが硬かった。

こう思うようになる

なんかどっちつかずなことしてるな。

オレはなにをやりたいんや?なにをプレイするためにはじめたん?と。




今日はここまで!

長編すぎてゴメンナサイ

あと10/30(月)から配信開始してまんにゃわ

タバチ 「脳汁ファクトリー」
 feat.  ミスキーミスキー

聴いてくれました?
イケてるっしょ?
ここから直接ダウンロードリンクにとべますので

聴いてくさい

では                  TABACHI



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