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東京最高?/ 辻本力(仕事文脈vol.16)

 「東京に疲れた」というフレーズを見聞きすることがある。人&モノ&情報過多、ドライな人間関係、みんな余裕なくてギスギス、etc…。そういうものの象徴としての東京に疲れた、というような意味だろう。


 なるほど、とは思う。でも、実は東京に疲れたと思ったことのない私は、正直その感覚を、実感を持って理解したことがない。むしろ、いまだに「東京楽しいし、最高じゃん」という気持ちでいたりする上京者の一人だ。


 私の上京は遅かった。それも東京に疲れていない理由の一つかもしれない。


 実家のある茨城県内の大学に行き、卒業後、やはり地元にある文化施設でアルバイトなどしているうちに、そのまま就職することになった。東京には時々遊びに行くことはあったが、よく地方出身者が抱くという「東京に行きたい!(行かねば!)」という気持ちは特になかった。品揃えのいいレコード屋もあったし、友達と音楽イベントをやったりしていたし、そこそこ満たされていたのだろう。

 その後、職場でたまたま担当することになった機関誌編集の仕事で、編集やものを書くことの面白さに気づき、その雑誌の休刊をきっかけに仕事を辞め上京。フリーのライター・編集者として働くようになり、今に至る。

 仕事を辞め、上京した時点で30歳間近だったこともあり、ある程度「これからはこの仕事で食ってくことになるんだろうな」という心算があった。つまり「これをやる」という明確な目的があったからこそ、いまだに東京に留まり、仕事を続けていられるのだと思う。もし私が、何となく東京の大学に進み、何となく卒業して、特にやりたいわけでもない仕事を食うためにとりあえずやっていたら、それこそ「東京に疲れた」となり、30歳くらいで地元に帰っていたかもしれない。

 また、地方に住みながらライター・編集者をやることもできるかもしれないが、取材を前提とした編集&物書きという現在の私の仕事では、やはり東京をベースにせざるを得ないという側面もある。なので、現状「東京で」はマストな選択なのだと思っている。

 「仕事」という観点から、結果的に東京という場所を選ぶに至った自分のケースを考えるに、「憧れ」が上京の動機にならなかったことが、疲れたり、幻滅したりしなかった一番大きな要因かもしれない。過剰な思い入れや期待がなかったぶん、ギャップを感じることもなかったのだ。とはいえ、多くの上京者が憧れる「東京」という町の魅力、そしてメリットに、後から気づかされることにはなった。

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